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「GINSODA SOLO EXIBITION "drawing 01"」鑑賞

昨日、gallery &cafe空のいろに行ってきて銀ソーダさんの個展、「GINSODA SOLO EXIBITION "drawing 01"」に行ってきた。そしてそれが本日最終日だったので更に本日も行ってきた。いわゆる2日連続銀ソーダである。いわゆると書いてみたがそんな言葉は存在しない。
昨日行って楽しかったので今日も行った。それだけである。
今月は色々と天候的にも自分の心的にも色々あり、情緒が乱れに乱れまくっていた。その為に昨日は夜に実家に行って夕食を馳走になってテンション爆上がりで饒舌になったものの、そこはいわゆる「躁」の状態で、楽しかった見返りに今朝の目覚めはなかなかの疲労感だった。
人と会うというのは心の健康を保ってくれるのだが、このご時世に頻繁に会うのは躊躇われる。しかも私の場合は楽しかった分後からぶり返しがある。
それに比べてぶり返しがないのがアートを見る事である。
このように展示を見て長文を書いてFacebook、Twitter、noteに晒している行動を始めて銀ソーダさんはおそらく一番書いているだろうと思われる。それだけ沢山銀ソーダさんは展示を行い、そして私も銀ソーダさんの展示を見に行っている。
そんなに沢山見に行けば書くこともあるまいと思うかもしれない。
とんでもない話である。行くたびに銀ソーダさんの作品は顔を異にする。
それは作品の質が上がっている「成長」なのか、新たな顔を増やした「増殖」なのか、それはわからない。個人的には両方だと思われる。
そしてすっかり私は銀ソーダさんのファンになった。
今回の展示は主に小サイズの紙に描かれたドローイング作品である。
サムホールという日本独自のサイズの水彩紙に何も考えず、銀ソーダさんの「看板」とも言える青で描かれたドローイング作品。それが壁一面にみっしりと展示されている。
個々の作品も素晴らしい。あるものは花咲くような鮮やかさ、あるものは陶器のような硬質さ、生き物のような作品もあれば、硬質な無機物的な作品もある。
そしてそれらが集合したギャラリーの空間もまた様々な個性が集まった空間となって素晴らしい。
作品が「ちょっとあなた、私を見てくださいよ」
「いやいや、この私の勇姿を見よ」
「何を言いなさる、私はちょいとそこらな奴とは違いますぞ」
と各々が主張していて賑やかだ。
線が、色が遊んでいる。
よく漫画でキャラクターが作家の意思と離れて勝手に動き出すという表現を耳にする。私は今回の銀ソーダさんのドローイングで同じような事を思った。
線と色が生き生きとしている。銀ソーダさんはもはや脳に指令を送らず、ただ画材の任せるままに、色に任せるままに作品を作成しているように思われる。
なので自然と作品一枚一枚に個性が出ている。青系統の色しか使ってないのに作品の個性はとてもカラフルだ。
思考して何かしらの意図を込めて作品を描くことは容易ではない。しかし何も考えずにただ任せるままに描くことも同じくらい容易ではない。
銀ソーダさんは大型作品を描く場合は抽象という表現の中で何かしらの意図を込めて描くこともできる人だと思う。しかし間反対の「思考しない作品」もとても楽しい作品を描かれる。
個人的にこのドローイング作品は私の好みのツボである。お金を持ってないのが、本当に余裕がないのが忍びない。今回様々な展示を見て初めて「作品欲しいなー」と思った。せっかくなら複数、タイプの違う子達を。
お金を貯めねばと思う。この決心がどこまで続くかは果たして疑問だけれども。
しかしギャラリーで見ることができるあの圧倒的量の賑やかさも捨てがたい。ドローイング作品の一番輝く展示の仕方でもある気がする。
とても良いものを見たという充実感に満たされた。いつまでも見ていられる空間だったが、なにかと喋ってしまうので他の見ておられる方にとって邪魔かも知れず、お客さんが増えてきた頃を見計らって退室した。このご時世の事情もある。
涼しげな空間でした。
銀さんまた今度。
楽しみにしております。

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