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自己紹介~英語との出会いで人生が変わる~

はじめまして、2022年の9月からカナダにCOOP留学で来ているとしです!
自分の人生経験を共有することで誰かのお役に立てれば幸いです

はじめに

年齢:1998年生まれの25歳。
出身:神奈川
大学:関東の4年制大学経営学部卒業
資格:TOEFL ITP 487点、世界遺産検定2級
趣味:テニス、カラオケ、お笑い芸人のコント鑑賞、旅行など
プロフィールはざっとこんな感じです!
中学生からみんなと同じように英語の勉強を始め、普通の学校生活を送っていました。公立受験に落ちて、私立の高校に通うことになるのですが、そこで人生の転機が訪れます。

高校時代

大切な仲間

公立受験に落ちているので、望んで入った学校ではありませんでしたが、人生かけがえのない友達と出会うことができました。
まず、中学では軟式テニス部で、テニスを続けようと思いましたが硬式しかなく、たまたま中学時代の友達と一緒だったので、体操部に誘われ入部することに。未経験者も多く、地元も近い人達ばかりだったのですぐに打ち解け、仲良くなることができ、今でも年に数回会う程度ですが、一生の友達とも呼べるべき仲間ができました。中学時代にいじめられたこともあり、友達ができるか不安でしたが、この高校に入学できてそして出会えて本当に良かったです。

人生のターニングポイント①オーストラリア研修

自分の学校では私立ということもあり、贅沢にも修学旅行は定番の沖縄ではなく、1週間のオーストラリア研修旅行でした。(その分費用も高い…!)
その内容も豪華でゴールドコーストとシドニーの2都市を訪れました。

ゴールドコーストでは水族館と遊園地が合体したSea Worldとディズニーランドのワーナーブラザーズ版みたいなMovie Worldという有名な遊園地を二か所訪れ、市内観光もして綺麗なビーチで集合写真を撮り、カランビン自然保護区で、大人気のコアラをだっこしました。

ゴールドコーストのビーチで撮った写真(綺麗でしょ?w)

シドニーでは、市内観光、贅沢なディナークルーズ、世界遺産ブルーマウンテンズを訪れました。シドニータワーや、ハーバーブリッジ、大聖堂、世界遺産オペラハウスなど主要な観光地を周り、夜にはシドニー湾をクルーズで一周するという贅沢な気分を味わいました。しかもディナー付き、現地の音楽家付きでした。船内は陽気な音楽とともにディナーで盛り上がり、こんな贅沢を味わったことのない自分からしたら不思議な時間でした。

船上からのオペラハウスとハーバーブリッジの眺め

最終日にはバスで数時間かけてもう一つの世界遺産ブルーマウンテンズへ行きました。そこでも感動の眺めを見ることができました。ここはスリーシスターズと呼ばれる魔法によって姿を変えられたという伝説の岩があることで有名です。

世界遺産ブルーマウンテンズからの眺め

こんな感じで人生初の海外研修旅行でたくさんの刺激をもらい、

「海外ってすげー!日本とは全くスケールが違う!」

と、肌で直に感じた初めての海外にあこがれを抱き始めました。元々ワンピースやデジモンなどの冒険系アニメが大好きだったので、今度は自分の足で外の世界を冒険してみたい!もっとたくさんのことを経験したい!と思うようになりました。

ある人との出会い

さて、人生初の海外での経験が自分の価値観、人生観というものを変えたのも事実ですが、もう一つ、忘れられない出来事がこのオーストラリア研修中に起こります。正直こちらのほうが自分に与えた影響は大きく、自分の中の価値観が大きく崩れ、変わりました。

高校生の時までは実は英語は苦手分野でした。SVOって何?文型とはなんぞや?という程度の英語力だったので当然英語は聞き取れないし、喋れるわけもありません。そんな状態でオーストラリア研修旅行に行ったわけですが、現地の人とコミュニケーションは全く取れませんでした。(当然ですね。)特にハンバーガーを買いたいと思ってマックに注文しにいった時はいろいろな種類のハンバーガーがあり、注文の仕方も英語では言えないので、指さしてこれくださいと言えば大丈夫やろ、と気楽な気持ちで、「This one, please!」と店員さんに言ったところ予想外にもとんでもない量の英語が返ってきて、聞き取れもしないし、聞き返すフレーズも知らないしで(聞き返してもわかるはずがない)、後ろにも人が並んでいたので後ずさりしてなくなく注文を諦めました。それ以外のお店は日本でも食べたことがないのでもっとハードル上がるし、そのままお昼ご飯を諦めたくもなかったので再度同じマックに行き、食べたかったセットのハンバーガーを諦め(何のハンバーガーかは忘れた)、普通のハンバーガーを食べることに決め、自分の英語が通じるかわからない不安を背に、ハンバーガープリーズ!と言ったところ、見事通じてハンバーガーをゲットすることができました。日本でしっかりと中学3年間勉強したのに全く自分の英語が通じず、英語がコンプレックスになっていました。

前置きが長くなりましたが、自分の人生を変えてくれた人とは日本に帰国する便の飛行機内で出会いました。その人は私の隣の席に座っていた日本人の女性なのですが、なんと英語がとても流暢で、外国人のCAさんとコミュニケーションがとれない私を助けてくださいました。英語が全く分からない私には衝撃の体験で、その人の英語力はとても高く、日本人でも頑張って努力すればここまでのレベルになれるのかと感心すると同時に英語を使って誰かを助けるというのは素晴らしいことだなと思うようになりました。自分もいつか英語を喋って誰かの手助けができればいいなと強く思うようになったきっかけでした。その女性は確か30代でレース関係の仕事に携わっていて、出張か何かでアデレードという都市に行き、その帰りだったようです。その当時の私と同い年くらいの子供がいるともおっしゃっていて英語を喋れる親ってかっこいい!と思うようになりました。その人とは連絡先を交換せず、その場でお別れしたのですが、とても感謝しています。この方のおかげで苦手な英語に挑戦し続けることができ、今では自信をもって英語を流暢に話せるといえるレベルに到達できたからです。その方とはそれっきり会っていないので、その時の感謝と成長した自分を見せられないのが残念ですが、ぜひお会いできたら直接感謝を言いたいです。(この投稿を見てくれているかも…?)

それらの経験が、大学入ったら絶対に留学に行ってみたい!と思うようになったきっかけです。やや短絡的ではありますが、「国際」という名前のついた学部なら留学プログラムがあるだろうと思い、国際系学部に焦点を当て、受験勉強を頑張りました。結果は惨敗、もう一年頑張ってみようと浪人を決意し、翌年引っかかったとこに進もうと決意し臨んだ二回目の大学受験。結果はまた惨敗するも滑り止めで受けた2校は無事なんとか合格をもらい国際と名のついた学部に入ることができました。

大学時代

英語学習プログラムの活用

さて自分の予想通り、国際と名のついた学部は留学プログラムも豊富で、英語学習プログラムも充実しており、そのほとんどは無料で参加することができました。とはいっても、いきなりネイティブと一対一で喋ることはあまりにもハードルが高すぎて参加は諦めていました。そんな時に留学希望者で初心者向けの英語力アップ講座があるというのを知り、それを毎日5限の時間に受けていました。留学希望だけど英語は話せない、そんな人向けの講座でしたが、講師はフレンドリーなカナダ人、クラスメートも同じ志を持った人ばかりで1年後期から入った私も暖かく受け入れてもらえました。これがかなり効果的で日本人同士でもその教室内は日本語禁止で、ゆっくり理解できるスピードから会話を始めたので、苦労しながらもぐんぐんと自分の英語力は上がっていきました。そのクラスのみんなも高いレベルを目指している人たちばかりだったので、たくさんの刺激をもらって、助けてもらい、やる気も気力も与えてくれてとても感謝しています。

2年生になり、いよいよヘルプなしで喋れるようになってきたので、毎日空いた時間に好きな時に参加できるEnglishラウンジ(ネイティブ講師とあるトピックについて話す無料の英会話教室のようなもの)、Englishカフェ(こちらはやや上級で留学生や留学希望の学生が二週間に一回プレゼンをし、そのトピックについてディスカッションを行うもの)に通い続け主にリスニングとスピーキングを鍛え上げ、学内の5日間のEnglishキャンプで疑似留学体験をし、海外から日本に来る留学生の生活支援ボランティア、国際交流ピザパーティーなどとにかく多くのプログラムに参加しました。その中でも、アメリカからの留学生と交流する機会があったのですが、ここでも挫折を味わうことに。

なんと、1年以上英会話に集中し続けてきたのに、自分の発音がアメリカ人の学生に全く通じませんでした。相手の言ってることはそれなりに理解できるのに自分の日本人発音のせいで何を言ってるか分からないとまで言われてしまいました。この経験が、しっかりと自分の発音と向き合い改善し、ネイティブの発音に近づけようと強く思った瞬間でした。

大学の派遣交換留学プログラムに受かるために色々なことに挑戦し続け、自分でもTOEFLを独学で勉強し、1年後期に受けたTOEFL ITP 420点だったのを2年生の前期に受けたTOEFL で487点まで伸ばすことができました。派遣交換留学は希望すれば誰でも行けるようなプログラムではなく、国によって合格点は違いますが、その中での最低点は490点でした。その分、選ばれた学生は派遣先の大学の学費無料でさらに月6~8万円の奨学金がもらえるという非常に良心的で安く海外留学に行けるというプログラムでした。自分はあと一歩足りなかったのですが、努力が認められ、3年生から1年間オランダにある大学に派遣が見事決まりました。本当はカナダなどの英語圏の国に行きたかったのですが、基準点が高く届きませんでした。非英語圏の中でもオランダは特に英語学習が浸透していてほとんどの人が英語を喋れるという理由でオランダに決めました。ついに念願の長期留学プログラムに合格し大はしゃぎで、これまでの人生で感じたことのない達成感を得ました。この後まさかあんなことになるとはこの時は知る由もありませんでした。

人生のターニングポイント②新型コロナウイルス感染拡大

ついに念願だった長期留学プログラムに合格し大はしゃぎで夜も常にわくわくしていました。多種多様な人たちと交流し、多様な価値観に触れ世界中に友達を作り、英語力も達者なヨーロッパ人並みに上げる、そんな大きな夢や希望も新型コロナのパンデミックによって簡単に打ち砕かれました。渡航開始わずか1か月で帰国することに決まったあの日の絶望は忘れられない。人生で味わったことのない絶望。前日まで途中経過を報告するために真面目に報告書を書いてやりとりしていた国際課の担当者さえも最後まで教えてくれませんでした。担当者からは淡々と学生は全員強制帰国になった旨を伝えられました。ある意味人間不信になる。焦って帰国用の航空券を買って、気づけば銀行から10万単位でお金が消えていっていた。先生からは1年分の8万円の旅行保険の返金は認められないと淡々と告げられ、今までに味わったことのないお金の流出を体験した。今もオランダの大学の学生証には印刷するための1000円分がチャージされたままだ。それも返金してくれない。金持ちなら気にならないが、貧乏大学生からしたらたまったもんじゃない。唯一補償してくれたのは家賃の住まなかった分でそれ以外は何も返ってこなかった。虚無感しか残らなかった。

帰国後は絶望感と虚無感だけが残り、全てがオンラインになって友達と会う機会も減り、しばらく鬱状態でした。なんのための2年間だったのか。2年間必死に頑張って続けた英語の勉強は無駄だったのか。そんなことを考えているうちに涙が止まりませんでした。周りにはパンデミックが始まる前に留学に行ってきた人も何人もおり、どうしても比べてしまい妬ましささえ感じていました。この機会を逃せば次は4年生、就活と重なり留学経験もアピールできない、そもそもパンデミックはいつ終わるのかも分からない、就職後はなかなか海外など長期で行く機会が無い、などの理由で自分の中の絶望感は深さを増していきました。さらに海外渡航とは航空券や保険代、ビザ申請費用、家賃、生活費など初期費用が高く、約100万円の奨学金を大学からもらえる予定だったのが月単位で支払われるため2か月分の奨学金しかもらえず、私の家庭はあまり裕福でない家庭なので大ダメージを追ってしまいました。旅行は国内を2回だけ、開始2週間で学校は閉鎖、あとは家で隔離生活を送っていたので、何も得られなかった1か月でした。渡航日はワクワクとたくさんの期待を抱え渡航しましたが、私にはただ大金(奨学金を差し引いても約50万円)だけを失った絶望の1か月でした。その渡航費用は1年生の頃からバイトで苦労してコツコツと貯めた大金でした。なぜ自分だけがこのような辛い思いをしなければいけないのか、こんなに辛い思いをするならいっそのこと死んで楽になりたい。そう思うようになるまで鬱の症状は続きました。

絶望から希望へ

そんな人生のどん底から自分を這い上がらせてくれるものに出会うことに。ただ何気なく何かないかと本屋を歩いていたところ、世界遺産の文字がパッと目に入った。何気なく開いたそのページには見たこともない美しい光景が広がっていて一瞬で目を奪われた。世界にはこんなに美しくて壮大な自然や、中世から残る綺麗な街並みがあるのかと感動した。まだ生きていても良いことがたくさんあるんだと感じた。世界遺産検定なるものがあることを大学の広告か何かで見たことがあり、これだ!と思い参考書と過去問題集をその場で購入し、挑戦することに決めた。

完全オンライン授業で特にやることのなかった2020年、没頭するものが出来て必死に覚えた。内容は世界史の延長線上にあるようなもので高校時代世界史選択だった自分には割と入りやすかったが、学校では習ったこともない歴史、まだ見ぬ歴史を知ることが出来てとてもワクワクしてのめりこんだ。

世界史なんて高校生以来で久しぶりだったけど勉強を始めてわずか半年で2級をとることが出来た。合格点は6割だったが、100点満点中94点で合格することができ、嬉しかった。オランダに留学していたらこんな所にも行けたんだろうなと想像し、自分なりの留学生活を想像して楽しんでいました。

大学卒業から現在

4年生になって自分の進路をどうしようかという時に、COOP留学という学んだ後にインターンシップで働ける留学方法があるというのを知りました。正直コロナがなければ、帰国後にRA(Resident Assistant)という日本に来ている留学生と一緒の国際寮に住み、日本での海外留学生をサポートしながら生活するという大学のプログラムに申し込んで英語力もさらに伸ばし、日本で就職するつもりでしたが、社会人になってからでは留学も海外旅行もめったに出来ないというのを知り、どうせなら海外で働きたいという思いが強くなっていきました。

そこで日本では特有の新卒カードを捨てるかどうかという壁にぶち当たるわけですが、あまり深く考えずに卒業後にCOOP留学をするという決断をしました。
COOP留学というものはカナダのバンクーバーかトロントがメインで、座学でバンクーバーに1年、インターンシップ期間でトロントに1年留学をすることに決めました。

おわりに

最後まで見てくれてありがとうございます。英語と出会うことで学生時代は思いもしなかった海外就職を果たすことができました。海外では今までの職歴、経歴が重視されるなか、希望の職種ではないものの、海外で英語を使って働いて稼ぐという経験ができて、かけがえのない人生経験になったと思います。未だに何が正解なのか、自分は一体将来何がしたいのか毎日奮闘中ですが、このCOOP留学で自分自身の成長につながるよう、手に職をつけてCOOP留学を終えられたらと思います。
応援どうぞよろしくお願いします!





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