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私が「鬱」になった話

昨日から、noteを開始しました。き~こです。
初っ端から、ネガティブな話になります。楽しかった思い出ではありませんが、そこから「自分を受け入れて生きる」というきっかけの話です。


当時の私の仕事、性格

私が、いわゆる「鬱」であると診断されたのは、約2年前の事。
当時は、高齢者施設の責任者を担っていた。
当時は、コロナ真っ只中。
仕事柄、職員の体調管理はより徹底され、お客様を守らないけない社会的な使命を一端に担っていた。
いわゆる「責任感」の塊のような人間だった。
後に、これが私を壊し始める事になる。

「鬱」の予兆

もちろん仕事はコロナ対策だけではない。営業、採用、当時は軒並み、コロナを危惧し入居に躊躇をされる方も多く、どこもかしこも、法人としての売上は低下していたと思われる。数字を求められるプレッシャーや、職員の離職なども重なり、休みもなく、気が付けば残業時間を100時間を超えてた。

限界のサイン

頭も回らず、気が付くと口数も減っていた、笑えない、食欲がない、意欲がない。涙が出てくる。
ある朝の事だった。「体が動かない。」もう起き上がるな!と言っているようだった。大事な会議があったので、なんとか体を奮い立たせ、出勤した。

あからさまにやる気のない居眠りをしている社員に、普段声を荒げる事のない温厚のはずの私が怒鳴りつけてしまったのだ。
周囲は茫然と私の方を見ている。この人おかしい、、。という様な目で。

それは自分自身が一番感じていた事だ。とてつもない罪悪感が襲った、、。
その日のうちに、上司に伝えた「もう、限界なんです、、。」

次の日、病院へ行き症状や状況を伝えた。診断書には「抑うつ状態」と記されていた。

2か月の休職を経て

以前の私は「逃げだ。」「甘えだ。」「皆がんばっている。」などの言葉を同じ境遇になった人にかけていたかもしれない。
でも、これは間違っていた。
当事者として理解した。大きな反省。
休職期間は、3日くらいはボーっと過ごしていた気がする。仕事をしていない事への不安や絶望を感じ始めたが、数年ぶりに実家帰ったり、筋トレをしたり、好きなように過ごしてみた。何だか、色々とどうでもよくなった気がしてきた。

1か月休み、当時の自分の振りかえりをした。
簡単にいうと「キャパオーバー。」無理しない。だが、それが難しいのだ。
2か月後、降格し部署異動を経て、復職を何とか果たした。
今後は今の気持ちや状況もかければと思っている。

まとめ

今、辛い人へ。「責任感」が強い方へ。
とりあえず、今すぐ休みましょう。
ストレスから離れましょう。
自分の代わりはいくらでもいる。私も何とかなりました。
理不尽な人間関係って大変ですよね。逃げましょう。

人生、100年時代。長い目で人生を見ていきたい。。

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