ガウディ展をみて
久しぶりの投稿です。
先日ガウディ展を見てきました。
平日だったのに今までみた展覧会の中で一番混んでたかもしれない笑
そんなことはさておいて人混みの中見てきた展示についてここに思ったことを呟いておこうかなと思います。
まず、前提として私は建築を学ぶ学生であったため、ガウディが何者か、どんなものを設計していたかある程度のことは知っていたつもりです。
それでもなおこの展覧会を見ることで感じた感動は今まで書籍などで見てきた以上のものでした。
ガウディの熱量
ガウディがものを作り出すときにいかに熱量を持って取り組んでいたかとてもよく感じられました。
自分の普段のものづくりに対する態度がちっぽけなものに感じるくらいでした。
ガウディは何事もとことん追求しているように感じました。逆さ吊りの模型など試行錯誤しながらものを作り出していました。
ねじれた柱の変遷などをみるとどれほど一つのことに執着して考え続けていたかがわかりました。
そんなガウディがとてもかっこよく思え、そうありたいと思いました。
時代と文化
サグラダファミリアはまだ建設が続いています。これほど時代が流れ、文化も変化している中で、継続しているものがあることはとても珍しいと思います。
建築というものの力強さを感じました。どれだけの人がこの建築に関わってきたのでしょうか。そしてこの先も残り続ける。そんなところにロマンも感じたりします。
建築的にみると、現代建築とは明らかに形態の作り方は違うと思います。
装飾(彫刻)が多い。これは時代と共に変化してきた部分だと思うが、現代になるにつれて装飾は忌み嫌われ、少なくなる傾向にあるように思います。
建築論的な変遷はいろいろとあるでしょうが、最近思うのは、建築がとてつもなく資本主義というものと共に発展してきたことです。
装飾というものは経済的にはあまりメリットのないようなものでしょう。いかに機能中心的な建物にするかが突き詰められ、現代の建築へと変化してきたように思います。
ただそれはそれで貧しいものでもあると感じます。ガウディが手がけた建築は彫刻が施され、とても豊かに感じました。
そして、それはその当時を伝える一種の記憶のようなものになるようにも思いました。
建築はその時代を切り取る記憶の器となるのではないか。
ガウディ展を見てそんなことを思いました。