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中学校教師 #26 体育祭でいかに生徒を育てるか


4月から中学校で勤務しています。
いずれは小学校に戻ることを考え、この経験を記録に残そうと思います。
異動の経緯や考えは下記参照

体育祭が無事に終了しました。
文化祭と同じく、生徒が一生懸命がんばる姿を見ることができ、良い思い出になったと思います。
しかし、文化祭と同じような大変さもありました。

行事を通して生徒の力はどのように伸びたのか、担任としての関わり方はどうだったのか、振り返ってみます。

小学校の運動会と比べて考える


①基本、体育担当が指導をする

 小学校は担任が体育の担当をしていることが多いため、指導も担任。時には、ブロック学年でダンスの練習をすることもあるため、2学年に1人、専門的に進める教員がいれば大丈夫という感覚でした。
 しかし、中学校では教科担任制のため、体育担当が指導を続け、担任が体育祭の練習を見る場面は少なかったです。
 文化祭では、朝や帰りに教室で合唱をするため、生徒のがんばる姿を見る機会がそれなりにあったのですが、体育祭では少ないように感じました。

 日々の語りの中で、練習に力を注いで努力を積み重ねる大切さを伝えてきました。しかし、生徒の姿を見て直接指導することはなかったため、このメッセージがどのように伝わっていたのか、いまいちわからない状態でした。また、前日練習では力を抜いて練習している…という情報も入り、少し落胆。
 中学校ではリーダーを育て、リーダーを中心に集団を育てる場面が多くあります。今回のリーダーは積極的に働いていましたが、私がリーダーを支えたり、さらに力を発揮できるような支援ができていたかと問われるとまだ十分でない部分があったと感じています。

教師は、リーダーが生き生きと活動できるような語りができるようにする


②やはり、子どもが主体となって練習することが理想

 体育祭が近づき、全体練習も始まりました。小学校では、朝の時間や昼休みに練習することが多かったのですが、中学校では放課後や6時間目という練習時間の設定でした。また、全体練習では生徒が練習の内容を説明したり、進行をすることが多かったです。リーダーを担当する生徒ですが、教師のように指示を出したり、動かしたりすることができるわけではなく、全体の練習が滞る場面も多かったように感じます。
 正直、練習の密度として物足りないこともあり、「もっとこのように声を掛ければ…」と感じていましたが、そこは我慢。生徒の経験を次の成功につなげるように支援をすることが重要であると感じました。
 もちろん、これは事前に何もしないということではなく、リーダーとなる生徒への事前指導も大切ですし、見通しを持って練習できるように各学級で話をしておくことも大切だと考えています。

「自分たちが主役の体育祭である!」と生徒が自覚して練習できるように日々の語りを大切にする


高まった力① 本気を出す

 校長がこだわっていた言葉…「本気」
 やるからには本気。本番で本気の力を出し切ることができるように、練習からも本気を出すようにと伝えてきました。
 運動能力差が見える体育祭という行事だからこそ、能力差・技能差に終始することがないように、「本気」を出し切ることの大切さを語ってきました。

 迎えた当日、大繩は敗退。しかし、それまでの最高記録を更新し、充実感。リレーは大繩のリベンジの如く勝利!ただ、結果以上に全員が力いっぱい走り抜けたことに感動。
 なんだ、できるじゃないか。
 いつもこんな感じで本気を出してくれればうれしいな。応援したい子たちだな。と感じました。

 体育祭や文化祭は多くの人に活躍を見ていただく機会となります。
 見てもらうことに抵抗感を感じる生徒もいるかと思いますが、これは貴重な機会です。いつも以上に力を発揮することができれば、それは行事の本番でしか感じることができない経験になると思います。
 このように、本気を出した、出し切ったという経験が次の努力に必ずつながると思っています。 


高まった力② 「そろえる」を考える

 体育的行事は、時に画一的指導のオンパレードという状態になりかねません。服装をそろえ参加、列をそろえて整列、動きや言葉もそろえるように何度も何度も練習を重ねます。だからこそ、特別支援を要する子どもを中心に苦痛を感じる子が多くいることも分かっています。

 そんな中で、「そろえる」ことの価値はどこにあるのかを考えました。

 そろえるという形だけのものを追い求めるのが正解というわけではなく、そろえる「経験」をすることが重要であると思います。
 そろえることって簡単なことではない。だからこそ、心をそろえて動く気持ちで行動することが大切で、そろった瞬間に立ち会うことができた感動も大きなものになることでしょう。

 また、学び方が多様になっていること、多様性が認められるようになってきているからこそ、学校において「そろえる」ことを指導することに改めて価値を見いだす必要があると思います。


これからの学校行事はどうあるべきか

 生徒の成長が見られ、生徒自身も高まった力を感じることができた行事。しかし、同時に教師の負担感も大きいものでした。コロナが5類になり、行事がコロナ前のものに戻ってきたようなニュースも多く聞かれます。

 これからの学校行事はどうあるべきなのでしょうか?

①持続可能な行事

 その年だけ特別に盛り上がる行事ではいけません。特別なことをやりすぎると、次の年に「前の年は~~があって」というバイアスが働く可能性があります。本当に必要なことを見極めることが重要です。それは、子どもにとって必要なことだけを行事に残したいです。
 また、担当教師についても同様です。「○○先生がいたからできた…」ではいけません。どんな先生が担当になっても同じように進めることができるように子どもへの指導、係の担当の引継ぎをする必要があります。
 これは、行事の担当・主任が学校全体に呼び掛けて広めたい考えです。

②保護者との連携

 体育祭ではPTA種目があり、みんなでじゃんけん列車をしました。生徒側は生徒会役員、専門委員長、保護者側はPTA役員について、たすきをつけてもらい、これらの人たちが列にいるとボーナスポイントが入るという特別ルールを取り入れたじゃんけん列車でした。大変盛り上がり、保護者も生徒も笑顔が多かったです。また、借り物競争ならぬ借り人競争では、生徒が観覧席に入りながら人探しをする場面があり、照れながらも運動場に向かう保護者の姿が見られました。
 競技性、演技性が際立つ種目が多い中、和やかな雰囲気を出すことができる保護者参加型種目があると、みんなで運動を楽しむという側面が見られて良いなと思います。
 地区によっては、地区の運動会の中に中学校の体育祭の要素を入れているところもあるようです。(田舎で人口が少ない地域ならではでしょうか)
 渡辺道治先生のBBQ型学級経営の考え方を参考にすると、運動会でも保護者が参加する部分があっても良いのではないかと思います。もちろん、競技時間が長くなることや、リハーサルができないことを考えると、安易な導入は難しいですが、「だれのため、なんのため」の体育祭かという部分がきちんと共有できていれば大丈夫なのではないかとも思います。

 また、本校の体育祭は前日準備がとても大変でした。下校直前まで体育祭の最終練習をしていたため、生徒ともに準備をする時間は実質45分程度。テントは中途半端、椅子や長机は出しただけで並べることはできない。運動場のラインも全然準備できていない状況でした。
 案の定、外が暗くなっても作業は続きました。
 可能であれば、メール等で保護者にアナウンスして、テント設営や用具運搬等を協力していただけないのかと思いました。(もちろん、片付けを手伝ってくださる保護者の方は大勢いました。ありがとうございました。)
 きちんとお願いすればPTA役員かどうかを問わず、協力してくださる保護者の方はいるはずです。なんでも教員が担うのではなく、協力していただけうように情報発信をしたり、連絡をしたりすることができれば良いなと感じました。




文化祭・体育祭の打ち上げを兼ねた職員全員での食事会。
お酒も入り、盛り上がっている中、Canvaについて教えてほしいと若手教員から質問を受けました。
Canvaのこと、Teamsのこと、単元構想や指導の工夫について話をしました。

相手の願いは何か、その願いを叶えるような選択肢や視野の広さを提供できるかを考えていました。

普段はこのような話をする時間すらないほど忙しいです。
だからこそ、いろいろな話をする中でこの若手教員がなんだか嬉しそうな表情で、「なるほど、~をやってみようと思います。」と言ってくれたことが嬉しかったです。
自分が持っている情報や良さを押し付けるのではなく、周囲の先生方のリクエストに応じて提供できるような存在でいられたらと思いました。

そしてそれは、自分が担任として、教科担当として実践しているからこそ説得力があるのだとも思えます。
改めてこのような状況に感謝です。
最前線で戦う大変さを、充実さに変えながら残りの半年もがんばっていきたいです。


【「えがお」を大切に  焦らず、誠実に、前向きに】


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