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映画「エンドロールのつづき」~素朴だけど逞しい「art de la lumière」賛歌

art de la lumière すなわち 光の芸術
映画に魅せられたインドの片田舎の少年サマイの物語。
最初から最後まで、映画愛、先人へのリスペクトに溢れています。
以下、多少のネタバレありです。

エンドロールのつづき ポスター

サマイの父親は、インドのカーストの最上級、バラモンに属している誇りを大事にしており、落ちぶれて駅の傍らでチャイ店を営む境遇にありながら、映画など低劣だと断じている。サマイは列車の乗客相手にチャイ売りをして父を手伝いながら、鉄道で隣町の学校に通っている9歳の少年。
インドの女神だったかを扱っているからと、父が特別に見せてくれた映画にすっかりハマったサマイは
「光をつかまえたい、映画を作りたい」 
その一心で、驚きの探求力を見せる。
色付きガラス瓶を太陽にかざして光を研究したり、マッチ箱の絵柄を並べて物語を作ったり、映写技師と友達になり映写室に入り浸ったり、捨てられた不用品を駆使して手製の映写機を作ったり、はてはフィルムのリールを倉庫から盗み出し、仲間総出で効果音を作り出して映画鑑賞会を催したり…
と、その行動力の素朴ながら逞しいこと!
※ちなみにフィルムを盗んだ罪はしっかり露見し、ちゃんとサマイが少年院で償います。
そんなサマイに、父は、母は、教師はどんな言葉をかけるのか…。

インド版「ニュー・シネマ・パラダイス」とも形容されている映画ですが、
私の印象としては、「スタンド・バイ・ミー」と足して二で割って、インドの香辛料で煮込んだような作品。印・仏合作映画だけに、フランスのお洒落エッセンスが加わっている感じもしますし、「ニュー・シネマ…」とは趣がだいぶ異なります。
それもその筈、これはパン・ナリン監督の自伝的作品で、多くのエピソードが実話に基づいているのです。あえて、公用語であるヒンディー語ではなくグジャラート州のローカル言語を用い、同州出身のキャストを多く起用したことも、監督のこだわりの一つだそうです。
また、見終えてみて、原題の「Last Film Show」、邦題の「エンドロールのつづき」、どちらも本作の肝を表現した、良いタイトルだと思いました。

追記
写真家の森山大道氏が「写真は光と時間の化石である」と言われましたが、その伝でいくと映画は「光と時間をときに閉じ込め、ときに解き放つ」ものなのかもしれないと私は思います。
どこかおとぎ話的で「光と時間を閉じ込め」ていた「ニュー・シネマ…」に対して「エンドロール…」は「光と時間を解き放つ」作品のように感じるのです。

鑑賞後、特に印象に残るのは、
まず、3,000人の中から選ばれたというサマイ役のバヴィン・ラバリの野性的な魅力。「ジャクソン5」時代のマイケルを思わせます。実際に物語の舞台となった州の子どもで、本作の撮影まで映画館で映画を観たことがなかったとか。
終盤、映画のデジタル化で映写室の風景が変わり、廃棄物としてトラックで運び出される映写機やフィルムの行方を追うシークエンス、「発て、そして学べ」の教えを実践するラスト。それまでと異なり、場を俯瞰するような、すっと引いた演技も見事でした。

そして、母親役、リチャー・ミーナーの慎み深く愛情豊かな母親像。劇中、何度も登場する料理シーンが、実に手際よくて美味しそうで、素晴らしい。あのお弁当には、映写技師のファザルならずとも夢中になりそうです。
また、息子が何かやっていることを察する場面、夫から息子をかばう場面、ダイナミックな仕草で娘を背負い息子の旅立ちを見送る場面など、母親ならではの情が随所に滲んでいて素敵でした。

ネットで様々なレビューを読んでみると、意外と今作には賛否両論あるようですが私にとっては、とてもいい映画でした。


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