可視化された世界平和。
新聞のコラム欄を読むことは、小学生に上がって間もない頃からの習慣で、一つの楽しみでもあった。テレビのラテ欄、Jリーグの順位評価、こぼちゃん。最後に編集手帳。(我が家は専らの読売新聞信者である)
特に表紙下にある小さな枠の中に収められている編集手帳には、フィクションにはないリアルがある。物語が一つのテーマに沿って一見違った内容が散りばめられているのだが、それぞれの織りなす過去背景を統括し、最終的には筆主の思いと、世界の展望が重なるという寸法だ。
エピソードは、時に先人の言葉や、季節の折り目、過去取材で訪れた海外での出来事などから始まる。景色を鮮明に映し出す、小さな枠は、想像力を置いてけぼりにしない構成が組まれ、きちんと脳内投影される。
時には、歴史を歴史で終わらせない覚悟と、時代のつながりを分断しない、筆主の想いを載せている。
子供ながらに感じていた。こんな風に歴史を繋ぎながら、人々に、時事問題を提起できる人間になりたいと。
人権問題、戦争、貧困、犯罪。幼い私に、何ができるだろうか。大きくなったら、この大きな問題に立ち向かえるだけの人間になれているのだろうか。
不安と希望をこの小さな枠の中から、ずっと育ててきた。
人の悪意というものを、私は当時、恐れていた。特に朝のニュースは、映像という凶器を振り回しているように見えた。
私は、ありのままの情報を可視化されることに、怯えていた。そんな弱い人間は、地球という、多くの危機が存在する中で、生き残ることができるのだろうか。一生という、長い時間を、過ごしていけるのだろうか。
大人になった今、私の目の前には、毛量がすこぶる多い、哺乳類がいる。
下の歯が酷く発達しているようだ。顎を左右に振りながら草を食べている。
ここの空は青くて、草は生い茂っていて、どこまでも広い。
私は今、この瞬間、心が満たされていくことに気づく。そして、やけに心が騒がしい。生きていくのに、壮大な目標は、いらないのかもしれない。
この得体のしれない大きくて、まるくて、綿毛のような生き物に、私は心底興味を抱いている。悪意は感じられない。可視化される平和な世界が、実はとても近くにあったのだ。
幼い頃の私に、伝えたい。
アルパカは世界を救うかもしれない、と。