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夏目漱石「行人」考察(49)「娘さん」は夫を好きだった


1、「精神病の娘さん」に関する推察


夏目漱石「行人」、三沢の話に出てくる「精神病の娘さん」。

前にも書いたが私の何重にもこねくり回した勝手な推察では、この「娘さん」は以下の背景を持つ人物である。

・養子に出された
・養親から「資産と社会的地位」目当てで前夫と結婚させられた

(私の勝手な推察で、長野一郎の実父は現在の長野父とは別人となのだが)
・「娘さん」は長野一郎と実父が同じか(娘さんの母は綱ではない)、もしくは一郎と親族
・実父も精神を病んでおり、それが「娘さん」にも、一郎にも受け継がれている


2、「娘さん」が養子と二郎は知っている


2(1)二郎は知っている


「行人」の語り手:長野二郎は、三沢が体験した娘さんの「三回忌」について、おかしな記述をしている。

彼は一般の例に従って、法要の済んだ後、寺の近くにある或料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当る人や、母に当る女が、彼に対して談をするうちに妙に引っ掛って来た。

(「帰ってから」三十一)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

「彼女の父母」と書けばいいところを、娘さんともその両親ともなんの関わり合いもない二郎がなぜか「父に当る人」・「母に当る女が」などとまるで揶揄するような表現を用いている。

三沢はともかく二郎にこの両親を揶揄する動機はない。
それなのにこのような表現を用いている理由、それは

・この父母が実親ではなく養親だから

それ以外には思いつかない。

問題は、なぜ全く面識のない二郎が養子関係について知っているのかである。


2(2)一郎の事件により二郎は知った


私の勝手な推察では、長野一郎は自身の実父が別にあること、及びその実父が精神病であることを知った。それによりますます一郎も精神を病み、長野両親の命を奪い、その後大阪のお貞と無理心中をした。ということになっている。「償う事も取り返す事も出来ない」との二郎の言はこの悲惨な結果をさす。

もしそのような事件が起きれば、当然二郎を含めた親族や関係者には詳細な聞き取りや取り調べがされ、新聞でもあれこれ報道されるはずだ。漱石の他作品「こころ」では単なる一学生に過ぎないKの自殺で新聞記者から動機を聞かれ報道もされたと描写がある。

その過程で二郎は、父親違いの兄・長野一郎の詳しい素性を始めて知った。
そして「築地」に一郎実父かその家族がいると知り、三沢の話にあった「精神病の娘さん」が、一郎の母親違いの妹だと知ったのだ(二郎やお重とは血のつながりはない)。

我ながら勝手な推察を何重にも重ねた話ではある。しかしこう考えれば「行人」における多数の不可解な記述の説明が一応つけられるのである。上の「娘さんの母に当る女が」などの。

この推察に立ってみると、以下のような「精神病の娘さん」の話から一郎の精神状態につなげた記述も「信頼できない語り手」二郎の暗示ではないかと思えてくる。

 自分の想像は、この時その美しい眼の女よりも、却て自分の忘れようとしていた兄の上に逆戻りをした。そうしてその女の精神に祟った恐ろしい狂いが耳に響けば響く程、兄の頭が気に掛って来た。
(略)
そう思っている兄の方が、傍から見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自分の方から恐ろしい言葉を家中に響かせて狂い廻らないとも限らない。

(「帰ってから」三十一)


3、謎のポエム


3(1)誤読を誘っている?


この「娘さん」三回忌の話で、二郎に謎のポエムがある。

「僕がその娘さんに――その娘さんの大きな潤った眼が、僕の胸を絶えず往来するようになったのは、既に精神病に罹ってからの事だもの。僕に早く帰って来て呉れと頼み始めてからだもの」
 彼はこう云って、依然としてその女の美しい大きな眸を眼の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒しても、愚劣な親達の手から、若しくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己の懐で暖めて見せるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺りに現れた
(略)
 自分は三沢の顔などを見ている暇を有たなかった

(「帰ってから」三十一)

前にもどこかで書いたが、私はこの「もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒しても愚劣な親達の手からー」というのは、三沢の口から出た言葉か、もしくは三沢の発言を二郎がまとめたものと思っていた。
しかしよく見たら、「同時に彼の固く結んだ口」の辺りに現れた、のである。三沢が口にしたのではなく、固く結んだ、つまり閉じたままの三沢の口を見て二郎が想像で勝手にポエムを書いているのだ。

誤読したのが私一人であれば私がアホなだけだが、小谷野敦氏も同じ誤読をしていた。

 後のほうでも、娘さんの法事に行った三沢は、その親たちの愚劣と元の夫の軽薄を罵って、「もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒しても、愚劣な親達の手から、若しくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己の懐で暖めて見せるという強い決心」を披露する
 にもかかわらず、三沢はあっさり結婚してしまい、果ては二郎にも結婚相手を斡旋しようと言い出す。

(小谷野敦「夏目漱石を江戸から読む」156頁・中公新書)

しかし三沢は「決心を披露」していない。口は固く結んでいたのであり二郎が勝手に決心を見出したのである。

「行人」より前の作品である「三四郎」の末尾を思い出した。

三四郎は何とも答へなかつた。たゞ口の内で迷羊(ストレイシープ)、迷羊と繰り返した。

(夏目漱石「三四郎」十三)


3(2)ポエムを自分で否定?


このように、普通に見たら三沢がその旨を口にしたと読めてしまうようなポエムを、二郎は勝手に創造している。
しかも引用したように、その場面は次の言葉で締めくくられているのである。

自分は三沢の顔などを見ている暇を有たなかった

(「帰ってから」三十一)

三沢の口を見て「もしその女が今でも生きていたならー」と勝手にポエムを創作していた二郎が、直後に「三沢の顔を見ている暇はなかった」と叙述しているのである。

意味不明だ。自分で自分が今詠んだポエムを否定しているのか。


3(3)娘さんの意志、二郎の意図


ここでひとまず意味を離れてポエムの内容自体を見てみよう。下記の疑問を思わなかっただろうか。

娘さんの意志は?

娘さんは「三沢に夫から奪ってもらって永久に懐で暖めてほしい」と思っていたのだろうか。
無論三沢は、別の可能性を意識した上で「早く帰って来て頂戴ね」は娘さんの本心だと思い込みたいとしている。なのでまだ三沢がその想像もしくは妄想を前提として「永久に暖めたい」と語ったのであれば理解はできる。

しかし「永久に暖めたい」云々を書いているのは二郎である。

第一、そもそも「娘さん」は一体どのような理由で前夫の家を離れたのかは不明である。作中には「ある纏綿した事情」・「御嫁入り先も不縁」としか書かれていない。娘さんは夫を好きであったのに夫や夫側親族が気に入らなくて追い出した可能性もある。

さらに二郎は、三沢の「娘さん」話に不愉快を感じていた。

「あいつ等はいくら親だって親類だって、只静かなお祭りでも為ている気になって、平気でいやがる。本当に涙を落したのは他人の己だけだ」
 自分は三沢のこういう憤慨を聞いて、少し滑稽を感じたが、表ではただ「成程」と肯がった

(「帰ってから」三十一)

 三沢は厭きずに何時までも例の精神病の娘さんの話をした。自分はこの異様なおのろけを聞くたびに、屹度兄と嫂の事を連想して自から不快になった。それで、時々又かという様子を色にも言葉にも表わした。三沢も負けてはいなかった。
「君も君のおのろけを云えば、それで差引損得なしじゃないか」などと自分を冷かした。自分はもう些とで彼と往来で喧嘩をする所であった。

(「帰ってから」三十三)


3(4)すべてわかった上での三沢への皮肉


もう一度確認するが、「行人」は、物語記載の出来事がすべて終わってからしばらく経過した以降に、二郎が第三者向けに記した回想である。


そして前にもふれたが、娘さんの両親(私の推測では養親)は、娘が精神を病んだ原因は前夫にではなく、三沢にあると確信している。

長野一郎が事件を起こし、全てが終わり、二郎が「取り返す事も償う事も出来ない」と語っている時点を想定する。
二郎は警察の調査や新聞報道で、一郎と娘さんが母親違いのきょうだいであることや養子に出されたこと、娘さんの結婚生活について、詳しく知ったのだ。

だから二郎は娘の母を「母に当る 」とわざわざ記している。

「娘さん」は、養親から金目当てに嫁がされたとはいえ、夫の事が好きだったのだ。
そして、元々精神を病みやすい血統にはあったが、とどめを刺されたのは三沢宅に滞在して以降だったのだ。芸者の「あの女」が三沢によって胃にとどめを刺されたのと同様に。

二郎はその背景をすべて把握した上で、三沢に対する最大限の皮肉を込めてこう書いたのだ、彼の口元には「夫からその女を奪って永久に暖めてみせるという決心が見えた」と。
自身の創作した皮肉なので、「三沢の口の辺りに現れた」と書いた直後に「三沢の顔などを見ている暇を有たなかった」と、正確に三沢の表情を読み取ったものではない旨を、あえて記しているのだ。非常にわかりにくく。

実際にはその女は三沢に奪われたいとも、三沢に暖めてほしいとも全く少しも思っていなかった、と知りながら。

いや、それを知ったからこそ。



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