夏目漱石「行人」考察(24)一郎はお貞と無理心中した?

1、私の推論

何度も引用するが、夏目漱石「行人」の語り手・二郎は、物語の前半でこう述懐している。

自分はこの時の自分の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯うという程でもないが、多少彼を焦らす気味でいたのは慥かであると自白せざるを得ない。尤も自分が何故それ程兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。恐らく嫂の態度が知らぬ間に自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返す事も償う事も出来ないこの態度を深く懺悔したいと思う。

(「兄」四十二)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

しかし、この「取り返す事も償う事も出来ない」とは、一体なにが生じたのかは、「行人」中になにもふれられていない。
またこの前後の場面のみでは、二郎が「深く懺悔」しなければならない責任のあるような、「取り返す事も償う事も出来ないこの態度」があったとも思われない。

私はこれについて、以下のように推論をする。

・(お兼を岡田と結婚させられた)二郎の復讐心による、直との仲良し具合を見せつけられて、精神を病まされた長野一郎が、
・自身の両親(長野父・長野母(お綱))の命を奪い、
・さらに、大阪に嫁いだお貞と、無理心中をし、この世を去った

思い付きではあるが、以下、論拠を述べます。

2、物語の前提


何度も確認するが、「行人」の語り手である二郎は、物語進行のリアルタイムではなく、物語記載の出来事が生じてから、しばらく経過した後に、この「行人」を述懐していることが示されている。

また、二郎は第三者が読むことを前提として、この「行人」を述懐していることも示されている。


2(1)直とお重とは、振り返って語り合っている


この記事でも引用したが、物語中の出来事において、二郎は直と、お重とは、物語進行からみた後日のどこかで、振り返って語りあっている。それが示されている。

直については上記、「取り返す事も償う事も出来ない~」の直前

自分が兄から別室に呼出されたのはそれが済んで少時してであった。その時兄は常に変わらない様子をして、(嫂に評させると常に変らない様子を装って、)「二郎一寸話がある。彼方の室に来て呉れ」と穏かに云った。

(「兄」四十二)

お重について、兄妹での喧嘩を

自分は今でも雨に叩かれたようなお重の仏頂面を覚えている。お重は又石鹸を溶いた金盥の中に顔を突込んだとしか思われない自分の異な顔を、どうしても忘れ得ないそうである。

(「帰ってから」九)

さらに直・お重の両者について、二郎がそこに同席していたとは思われないのに、具体的な描写やお重の心理描写がされている箇所がある。

彼女はただ嫂の傍にいるのが厭らしく見えた。いくら父母のいる家であっても、いくら思い通りの子供らしさを精一杯に振り舞わす事ができても、この冷かな嫂からふんという顔つきで眺められるのが何より辛かったらしい
 こういう気分に神経を焦つかせている時、彼女はふと女の雑誌か何かを借りるために嫂の室へ這入った。そうしてそこで嫂がお貞さんのために縫っていた嫁入仕度の着物を見た。
「お重さんこれお貞さんのよ。好いでしょう。あなたも早く佐野さんみたような方の所へいらっしゃいよ」と嫂は縫っていた着物を裏表引繰返して見せた。その態度がお重には見せびらかしの面当のように聞えた。早く嫁に行く先をきめて、こんなものでも縫う覚悟でもしろという謎にも取れた。いつまで小姑の地位を利用して人を苛虐めるんだという諷刺とも解釈された。最後に佐野さんのような人の所へ嫁に行けと云われたのがもっとも神経に障った
 彼女は泣きながら父の室に訴えに行った。父は面倒だと思ったのだろう、嫂には一言も聞糺さずに、翌日お重を連れて三越へ出かけた。

(「帰ってから」十)

この場面、「嫂の室」における直とお重との会話や、お重が「父の室に訴えに行った」こと、長野父が直には一言も聞糺さ(聞きたださ)なかったことを、二郎がすべて臨席して見ていたとは少し考えにくい。
しかも、お重の心理描写については随分と細かく書いてある。

これは、お重や直に後日、この時の出来事について二郎が、振り返って会話をしたことが、示されている。
(もしかしたらお重だけか?)

2(2)振り返りがない人達 = 一郎と、長野両親


上記のように、直やお重とは、物語中の出来事について、振り返った会話をした描写がある。

しかし、以下の人物達とは、家族であるにもかかわらず、そのような描写はない。

・長野一郎
・長野父
・長野母(お綱)

特に、長野父については上で引用した「帰ってから・十」におけるお重が「父の室に訴えに行った」描写において、当人への振り返りをしていないことが、示されているのである。

「父は面倒だと思ったのだ ろ う。嫂には一言も聞糺さずに、」

この周辺の箇所において、お重と直の言動についても、お重の心理についても、具体的かつ詳細に描写されている。
しかし同じ場面における父の心理についてのみは、あくまでも「だろう」、つまり「推測」として、描写されているのである。

しかもそのすぐ次の文、父が直に「一言も聞きただしていない」ことは、二郎は明確に言い切っている。そうであるにもかかわらず、父の心理だけは推測なのである。

これは、あえて作者・漱石が、具体的な記載と、推察の記載とを、対比して示したものと思う。

このように、直やお重とは振り返りがあるのに、同じ家族である一郎や長野両親とは、「行人」全体において、振り返りが全く、一度もない。

それは何故か。
答え

・一郎も長野両親も、もうこの世にいない

だから、振り返りが、不可能なのだ。
「坊っちゃん」において坊っちゃんが清から借りたお金について、「この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。」と語ったように。


3、お貞とも振り返りは不可能


お貞の挙式前夜、一郎と謎の会話をした描写がある。

「お貞さんはどこにいるんです」と母に聞いた。すると兄が「ああ忘れた。行く前にちょっとお貞さんに話があるんだった」と云った。
 みんな変な顔をしたうちに、嫂の唇には著るしい冷笑の影が閃めいた。兄は誰にも取合う気色もなく、「ちょっと失敬」と岡田に挨拶して、二階へ上がった。その足音が消えると間もなく、お貞さんは自分達のいる室の敷居際ぎわまで来て、岡田に叮嚀な挨拶をした。
 彼女は「さあどうぞ」と会釈する岡田に、「今ちょっと御書斎まで参らなければなりませんから、いずれのちほど」と答えて立ち上がった。彼女の上気したようにほっと赤くなった顔を見た一座のものは、気の毒なためか何だか、強いて引きとめようともしなかった。
 兄の二階へ上がる足音はそれほど強くはなかったが、いつでも上履を引掛けているため、ぴしゃぴしゃする響が、下からよく聞こえた。お貞さんのは素足の上に、女のつつましやかな気性をあらわすせいか、まるで聴き取れなかった。戸を開けて戸を閉じる音さえ、自分の耳には全く這入らなかった。
 彼ら二人はそこで約三十分ばかり何か話していた。その間嫂は平生の冷淡さに引き換えて、尋常のものより機嫌よく話したり笑ったりした。けれどもその裏に不機嫌を蔵そうとする不自然の努力が強く潜在している事が自分によく解った。岡田は平気でいた。
 自分は彼女が兄と会見を終って、自分達の室の横を通る時、その足音を聞きつけて、用あり気に不意と廊下へ出た。ばったり出逢った彼女の顔は依然として恥ずかしそうに赤く染っていた。彼女は眼を俯せて、自分の傍を擦すり抜けた。その時自分は彼女の瞼に涙の宿った痕迹をたしかに認めたような気がした。けれども書斎に入った彼女が兄と差向いでどんな談話をしたか、それはいまだに知る事を得ない。自分だけではない、その委細を知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまいと思う

(「兄」三十四)

ここで、一郎とお貞との間になにがあったのか・どんな会話をしたのかは全く不明であり、「行人」中になにも書かれていない。私が読んだ限りではヒントすらない。

しかし、二郎のこの述懐は、よく読めば不自然だ。

・「その委細を知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまいと思う。」


3(1)何故、「天下に一人もあるまい」と言えるのか?


この一郎とお貞との会話内容について、仮に一郎やお貞が、しばらくは秘密にしていたとしても、今後なにかの拍子に、誰かに語ることや、手紙等で伝えることはあり得るはずではないか。
(なんとなく秘密にしたそうな雰囲気はあるが、一郎は長野家全員と岡田もいる前で、お貞と部屋で二人になっている。絶対にどうしても秘密にしなければならない内容ではないと思われる。)

また、仮に一郎が、不仲な直や二郎に対しては秘密にしても、Hあたりに話すことはあり得るでないか。そしてHに話せば、三沢や、二郎の勤務先のB先生に伝わることも十分あり得る。

また、お貞でも岡田夫妻なり佐野なりに、話すことはあり得るではないか。もしかしたら佐野がこの会話の存在を岡田あたりから聞き、内容を問いただすこともあり得るでないか。
あるいは、貞からすれば完全に目上の立場である長野母や長野父から聞かれれば、答えざるを得ないのではないか。
さらにはお貞と仲が良かったような描写がされているお重に、お貞が手紙で伝えることや、もし再会すれば話すこともあり得るはずではないか。
(結婚後もお重とお貞とが連絡し合っていることは示されている。

聞いて見ると、結婚後のお貞さんについて、彼女は自分より遥はるかに豊富な知識をもっていた。

(「帰ってから」三十七)

なのに、何故二郎が、「知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまい」と推察できるのか。

3(2)一郎もお貞も、もうこの世にいない


二郎がおかしな事を言っているのでなければ、「知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまい」と言い得る理由は、以下の事情が存する場合となる。

・長野一郎も、お貞も、二人とも、もうこの世にいない。
だからこれ以上、二人が誰かに話しをしたり手紙を書くなどして「知っているもの」が二人以外に増えることが、もう生じ得ない。

・二郎なり誰かなりが、周囲の人間たちに、この時の一郎とお貞との会話内容を聞いていないか、確認をした。しかし少なくとも二郎の把握した範囲においては、誰も知らなかった。
そのため、「おそらく天下に一人もあるまい」との推測になっている。

4 各描写が成立する事実経過


もう一度、ここで触れた描写を並べると

・「取り返す事も償う事もできない」事態が生じた

・直について一か所、お重については数か所、物語上の出来事について、後日に二郎と振り返った会話をした描写が、存在する

・しかし、一郎や長野両親については、そのような振り返りの描写は、一度もない。長野父について、二郎の推測での描写しかない

・一郎とお貞との謎の会話の内容について、二郎が「知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまい」としている

これらがすべて、成立し得る展開としては、

・精神を病んだ長野一郎が、
・長野両親の命を奪い(だからもう長野両親とは振り返りができない)、
・さらに大阪に出向き、お貞と無理心中もしくは心中し、
・そのため警察の取り調べが家族や関係者にされ、一郎とお貞との秘密の会話内容についても聞き取り調査がされたが、調査された範囲では誰も、その内容を知らなかった。だから「二人以外に知っているものはおそらく天下に一人もあるまい」と


これしか、ないのでは。

だから二郎は、「今になって、取り返す事も償う事も出来ないこの態度を深く懺悔したいと思う。」と書いた。
そう書かざるを、得なかった。

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