夏目漱石「行人」考察(14) 二郎は「信用できない語り手」か?
1、「行人」は長野二郎の連載手記
何度かふれているが、夏目漱石の大正元年(1912年)連載の小説「行人」は、登場人物である長野二郎が、語り手として話を進行させている。
しかしリアルタイムでの二郎の内心ではなく、事が終わってから一定以上の期間が経過した後(おそらく数年以上後)においての、二郎の回想である。
かつ、単なる内心での回想ではなく、二郎が第三者に対して、一連の出来事を公開した形式である。
これは他の夏目漱石作品である、「坊っちゃん」の坊っちゃんの語りや、「こころ」の「私」が語る文でも共通する。
事後の回想・第三者への公開だとわかる描写を以下に列挙する。
・ ――「奥さんは何故子供が出来ないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心易だてで云ったことが、甚だ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳にも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。
(「友達」六)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
ここで「その時は~赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。」― 換言すれば今は理由を知っている、もしくは現時点では理由を知りたくなるような事情が発生したということだ。
・自分が兄から別室に呼出されたのはそれが済んで少時してであった。その時兄は常に変わらない様子をして、(嫂に評させると常に変らない様子を装って、)「二郎一寸話がある。彼方の室に来て呉れ」と穏かに云った。
(「兄」四十二)
―「(嫂に評させると常に変らない様子を装って、)」つまり事後的に直に、この時の一郎の様子を密かに?二郎は確認していたと。
そして同じく「兄・四十二」の以下の描写
ここの描写は、同じく夏目漱石の「坊っちゃん」における、坊っちゃんが少年時代に清から貰った三円を「今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。」(「坊っちゃん」一)と語ることによって、この話は清が既に死去した後の回想であると示す描写を想起させる。
(※ この「取り返す事も償う事も出来ない」との表現についてはまたどこかで語ります。)
・ ―― 彼は聖者の如く只すやすやと眠っていた。この眠方が自分には今でも不審の一つになっている。
(「帰ってから」二)
大阪から東京へ帰る寝台列車内の描写。この「不審」が非常に引っかかるのだが、まだ私にはわからない。この時点で一郎が睡眠薬を常用していた? それとも狸寝入り? なんらかの症状で異常に眠りが深くなっていた? 直が勝手に睡眠薬をもった?
・自分は今でも雨に叩かれたようなお重の仏頂面を覚えている。お重は又石鹸を溶いた金盥の中に顔を突込んだとしか思われない自分の異な顔を、どうしても忘れ得ないそうである。
(「帰ってから」九)
この兄妹喧嘩を後で回想して、二郎とお重が会話していると。
また上記の兄妹喧嘩に続く「帰ってから・十」では、二郎がその場にはいなかったと思われる会話やお重の内心の描写がある。
・直とお重との会話(「あなたも早く佐野さんみた様な方の所へ入らっしゃいよ」等)
・それに対するお重の心理描写(最後に佐野さんの様な人の所へ嫁に行けと云われたのが尤も神経に障った。等)
・その直後のお重と長野父とのやり取り(父は面倒だと思ったのだろう。嫂には一言も聞糺さず(ききたださず)に、翌日お重を連れて三越へ出掛た。)
これらは二郎が後に当人らに聞いたと思われる。
ちなみに、父の内心は「思ったのだろう」と推測で語られているのに、父が直に対し「一言も聞きただしをしていない」ことは、断定しているのである。
これは直には事後に確認したが、父には聞いていない、聞くことができない、ということだろうか。
(あるいはもしかしたらこの描写は二郎の思い込み、さらには意図的な二郎のミスリードか?)
物語がかなり進行してから、ようやく長野母の名が「綱」と明かされる。ちなみに手持ちの文庫本で全465頁中、上記は247頁である。そして長野父の名は不明である。
ここでわざわざ「綱(母の名)」とかっこ書きされていることから、この「行人」は単なる二郎の内面描写ではなく、二郎がこの話を第三者に公開することを前提として書かれたもの、との設定で書かれたものだとわかる。
学者である一郎が講義中におかしな言動をしたと、学生→H→三沢の又聞きで、三沢から二郎に聞かされる話。
これは全465頁中の、ちょうど300頁目である。ようやく主人公らの姓がここで判明する。この「長野(自分の姓)」とのかっこ書きからも、「行人」が、二郎が第三者に公開する体で書かれたものとわかる。
(しかしHの話は信用できるのか?)
2、二郎はどこまで信用できる語り手なのか?
このように「行人」を長野二郎による公開手記であると考えると、「どこまで語り手を信用してよいか・信頼できない語り手はなにか隠していないか」との問題が浮かんでしまう。
しかも、「行人」の終盤はHからの手紙である。二郎を信頼できない語り手としてしまうと、Hも同様となり、二重に信頼できなくなる。
なので私としてはひとまず、Hの手紙にある一郎の
「いや本当にそうなのだ。疑られては困る。実際僕の云った事は云った事で、云わない事は云わない事なんだから」
(「塵労」五十一)
を文字通りに見て、
「虚偽は書かれていないが、書かれていない重要な事情は多々ある」
この前提でとりあえず解釈している。
何度も書いた、「芳江は直と一郎の子ではない」についても、その解釈から思いついたものである。
3、信用できない語り手ぶりが示されている
二郎の「信用できない語り手」具合が示された箇所を挙げる。
3(1)佐野の結婚願望について
序盤「友達」において、二郎は母親から、お貞の結婚相手の佐野が、「あまり乗気になって何だか剣呑だから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」(「友達」七)と言われて対面している。
また佐野の強い結婚願望について二郎は、「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」(同上)と、口先では不思議がったような発言をしている。
しかし、二郎は佐野が結婚を強く希望する理由について、実は確信していた、しかも悪意を込めてである。そのことが後に示されている。
二郎は口先では、「どうしてそんなに気に入ったものかな」と発言しておきながら、実はその動機を確信していた。
かつ、確信していることを途中まで示さなかったのである。
ただし二郎は「嘘」はついていない。
上記の発言のように、あたかも佐野の動機がわからないかのような「発言」は確かにした。しかし内心の地の文においては、例えば -自分は佐野の動機が全く想像できなかった- というような語りは、一度もしていないのである。
つまりここで、二郎という語り手は
・積極的な嘘はつかない
・しかし、知っていることや確信していることを、あたかも全く知らないかのような発言を他者に向けてはしていることがある
という存在だと示されているのだ。
3(2)お貞の心配について
お貞と佐野との結婚について、二郎は大阪滞在時に、「自分は病気で寝ているお貞さんにこの様子を見せて、ありがたいと思うか、余計な御世話だと思うか、本当のところを聞いて見たい気がした」(「兄」四)と考えるぐらいには、気にする様子を見せていた。だがそれ以外はお貞をからかうばかりで、特にお貞本人がどう思っているかについてはなにも描写しなかった。
しかしお貞は、佐野について実は心配していた。それを二郎も把握していた。
二郎とお重とのきょうだい喧嘩の場面。
ここでお重が、「お貞さんがあんなに心配している」と言い、かつ二郎もその発言に対し、なんら驚きも疑問も感じていない。そのことを前提として会話を続けている。
しかし私はここを読んだ時、え、そんな心配していたの?と驚いたのである。二郎の語りにはそんな描写は一切なかったからだ。
これも先にふれたのと、似たパターンだ。
確かに二郎は地の文において、~お貞さんは佐野の人格について特に心配はしていないようであったー などとは一言も述べていない。しかし「あんなに心配して」おり、かつそれを把握していたにもかかわらず、全くふれていないのである。
3(3)直と元々知り合いであったこと
「兄」において、二郎は一郎から、「直は御前に惚れてるんじゃないか」(十八)と疑われ、さらには和歌山で直と二人で出掛け、そして急遽、暴風雨の夜に二人で宿泊することになった。
しかし、そこまで兄夫妻・直と関わりながら、全くふれられなかった前提事実が、例によって後に急に出て来る。
「帰ってから」二十章における、二郎と母との会話
「行人」の主軸は、直・直と一郎夫妻と二郎との関係性である。
そうであるにもかかわらず、直との関係性において重要な前提となる、「固(もと)から知り合い」との事実が、後半になって初めて出て来るのである。手持ちの文庫本で全465頁中の271頁である。
この点も確かに、「直の嫁入り後に知り合った」とは一度も述べていないので、二郎は嘘はついていない。
このように、「行人」は、信頼できない語り手による物語であると、漱石は示しているのである。
もっとも最後の、「直と二郎が元々知り合いであること」については、早めに示したぞと、漱石から言われるかもしれない。
「兄」十四
・自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後の彼女に見出した事が時々あった。
「嫁入後の彼女に見出した」ほらここの一言で、嫁入り前からの知り合いだと、読者諸君に示してやってるじゃないか、と。
こう云った事を考えていたら、ふと「やはり芳江は二郎と直の子か?」と思うようになった。芳江は二郎に対しては、他の人につられて笑い出したり自分から直接話しかけたりしている。一郎を怖がっているにもかかわらずだ。終盤にかけて妙に二郎が心配症になっていくのは、いよいよそれがばれたのじゃないかと不安に、、、、
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