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夏目漱石「行人」考察(46)娘さんは「こころ」のK


夏目漱石「行人」について、前回「精神病の娘さん」のことを、三沢は結婚以前(五六年前)から好きだったと推察した。

引き続き「娘さん」について考察していきたい。

1、「母に当る女」


前回「娘さん」の時系列を指摘した。
そこも含め何度か指摘しているが「娘さん」もしくはその実家について謎がある

① なぜ夫の家を出た後、実家に帰ることが出来ず、三沢家に滞在したのか
② しかも一時的であればまだしも、三沢家滞在が最長で3年にも及ぶ可能性があり、結局実家に戻らないまま入院→死去となっている。なぜずっと実家に帰らなかったのか

三沢の言からは「亦複雑な事情」としか語られない。

1(1)娘さんも養子

これを考える上で、材料になりそうな箇所を引用する。

 彼は一般の例に従って、法要の済んだ後、寺の近くにある或料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当る人や、母に当る女が、彼に対して談をするうちに妙に引っ掛って来た。

(「帰ってから」三十一)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

三回忌の様子である。三沢の言を二郎がまとめたものと思われる。

ここで「娘さん」の両親を、「父に当る人」、さらには「母に当る女」と書いているのはどういうわけか。普通に「彼女の父や母がー」でいいところを、何故このように書いているのか。
しかも書いているのは二郎である。三沢本人は不快感を込めて話しているが、二郎はむしろそれに「滑稽」を感じている。三沢に成り代わって見知らぬ赤の他人の父母をあえて当てこすりのような呼称をする理由はない。

特に母親については「母に当る 女」と、父と比してわざわざ「」であることを強調しているのである。まるで直が「(わたし)女だから」とあえて口にしている時のようだ。

このような表現をする理由として思いつくのは「実の親ではない」である。


書き手は二郎だが、この書きようだと両親ともか、少なくとも母親は実母ではなく、かつそれを二郎が何故か知っているような感じである。

1(2)養子だと成立し得る二つの点


仮に養子だとすれば、帰宅できない理由の説明がつくのである。「娘さん」と元々なんらかの軋轢が存した、精神を病んでしまったような養子と同居できない、養親が目当てにしていた夫の「資産や社会的地位」がふいになってしまったので関係悪化、等で。
それで三沢家に長期滞在したと。

またもう1点、今まで気付いていなかったがもし実の親であれば、次の言動は穏やか過ぎる。これにも説明がつく。

 彼は一般の例に従って、法要の済んだ後、寺の近くにある或料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当る人や、母に当る女が、彼に対して談をするうちに妙に引っ掛って来た。何の悪意もない彼には、最初一向その当こすりが通じなかったが、段々時間の進むに従って、彼らの本旨が漸く分って来た。
「馬鹿にも程があるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、とこうなるんだね。そうして離別になった先の亭主は、まるで責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」

(「帰ってから」三十一)

この両親の認識では「娘を精神病に追い込み挙句に死去にまで至ることになったのは、三沢の責任だ」のはずである。そうであれば、三回忌どころか娘が亡くなった時点もしくは原因が三沢だと気付いた時点で、我が子の命を奪ったに等しい三沢を激しく責め立て、怒り、責任を問うのが通常であろう。

しかし、そのような責め立ては一切なかったようである。死去から2年も経過した「三回忌」の食事の場における伝わりにくい「当てこすり」程度の言動しか両親はしていないのだ。

これも「娘さん」が養子であればまあ説明はつく。


1(3)「あの女」は「下女が実の親より威張っている」


娘さんと「好く似ている」とされる大阪の芸者:「あの女」。
この「あの女」についてちょっと意味ありげな描写がある。

「親子の情合からいうと、娘があんな大病に罹ったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍に付いていて遣りたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利かしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていても余り好い心持じゃない」
「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやる程の時間もなし、時間があっても入費がないんだから」

(「友達」二十四)

芸者である「あの女」に対し、芸者屋に古くからいる下女は権力を持っているが、実の母親は遠慮がちに見舞いにくるという話である。

私はこの描写の物語に占める意味がわからなかった。
しかしこれが「あの女」だけではなく、好く似ているという「娘さん」にも該当すると考えれば、意味が見つかりそうだ。

「娘さん」も生家は貧しく、なんらかの事情で養子に出された。
養親からは冷たく扱われいたが、生活を頼っているため逆らうこともできず、「金と社会的地位」目当てに結婚させられた。実親も異論を挟めなかった。- これを「あの女」で示しているのでは。


2「娘さん」はKだ


私は前に、「行人」の「精神病の娘さん」と「こころ」のKとが同じ宗旨(浄土真宗)であることを指摘し、冗談で「親族か」と書いた。

「こころ」のKも「寺」の二男に生まれ、医者の家に養子に出された人間である。Kは養親を騙して密かに医学部ではない学部に通いつつ学費を出させていた。やがてそれをKが自から養親に明かしたところ、養家からも生家からも縁を切られた。困窮し続けたKをしばらく後に「先生」が下宿に誘い、そしてその結果、あの悲劇にー という流れである。

「娘さん」と、異常なまでに似通っていないだろうか。むろんKが生家・養家から縁を切られたのは自業自得だが。
(あるいはK自身が両家と縁を切りたかったのか)

「娘さん」とKとの共通項は以下のとおり。

・① 養子に出される
(「娘さん」については私の推測。金のために結婚させられたのを養子と同視すれば共通か)

・② 親の意向に沿えない結果となった

・③ ②の結果、親と不仲に

・④ 精神を病む(Kの神経疲労を見て「先生」は同じ下宿に住まわせた)

・⑤ 家族ではない人間たちと同居

・⑥ ⑤の結果、命を失う

・⑦ 家族ではないが同居した者が、本人の親と険悪
(三沢に対する娘さん両親。先生はKの実親にも養親にも(被害妄想的に?)立腹している)

・⑧ (家は)浄土真宗

・⑨ 本名不明

・⑩ たった一人
三沢が娘さんについて「こうして活きていてもたった一人で淋しくって堪らないから、どうぞ助けて下さいと袖に縋られるように感じた」

先生がKについて「私は仕舞にKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました」

・⑪ 死後に顔に触られている可能性
H→一郎によれば三沢が娘さんの「冷たい額へ接吻

先生「私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました

「こころ」で、Kは遺書にお嬢さんについて全くふれなかった。

「行人」で、娘さん両親が精神を病んだ原因は三沢だと認識しているのは、三沢についてふれた「娘さんの遺書」が存在したのだろうか。

(娘さんの考察続けます。)




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