漱石「こころ」考察15 Kは他殺? 空白の時間

夏目漱石の有名作品「こころ」、大正三年(1914年)連載

授業で「こころ」を読まされ、私を含めたかつての高校生たちに衝撃を与えた「K」の自殺。

私はこれについて、「確かに自殺を図ったのはKだが、まだ死に切れていなかったところを、先生がとどめをさして、殺した」と考えて、勝手な考察記事を何個か書いている。


今回書きたいと思っているのは、以下の2点

・先生は「私」への遺書において書いた内容を、そのまま警察に供述したのか。多分していない

・前半の先生の「やったんです」と、房州旅行中のKの「ちょうどいい、やってくれ」とがつながっていること

(このつもりだったが、最初の点のみでとりあえず区切ります。)



また今後の予定の備忘録として記すが、私は「先生も、乃木希典も、もっと重い罪があったのに、それを隠して他の事柄が自殺の原因であるかのように、遺書でカモフラージュしている」と思っている。これについて近いうちに論じたい

さらに「先生が(物理的に)Kを殺した」との事実があれば、「こころ」を語る上でしばしば謎にされる「先生が自殺する理由」としても十分であろう。

そして「こころ」の上・中で、すべてを知った後の回想として話を書いている「私」が、先生が自殺したにもかかわらず異様なまでに先生を称賛している。これは、先生の自殺が単なる罪悪感ではなく、命をかけて罪を償ったものであると理解し、そこに敬意を払っているからではないか

もう一つ、ついでにKの遺書の「もっと早く死ぬべきだのにー」等は、汚い字で書かれているはずなのだ(Kは字がヘタ)。その意味も考えたい。


1、先生の供述調書


Kの自殺の後、先生は奥さん(「未亡人」)に言われて医者や警察に行っている。

この時、先生は「私」に送付した遺書に記したように、警察に対して
・「動かないKを発見してから、数時間は放置してました」
・「その間、医者も誰も呼びませんでした。ただし私はKの頭を抱えるように両手で持ちました」
と供述したのだろうか? 多分していない。
いや間違いなくしていない。

「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙を開けました。その時Kの洋燈に油が尽きたと見えて、室の中はほとんど真暗でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、四畳の中を覗き込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。
 それから後の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人だけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした手続の済むまで、誰もKの部屋へは入れませんでした。

(「下 先生と遺書」五十)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

1(1)空白の時間

先生がKを発見してから放置している時間は、数時間か。

 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体は些っとも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈の光で見廻してみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。
(略)
 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛になっていました。私は夢中で封を切りました。
(略)
 私は顫る手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆の眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖に迸っている血潮を始めて見たのです。
  四十九
「私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目ひとめ見たかったのです。しかし俯伏しになっている彼の顔を、こうして下から覗き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄っとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今触った冷たい耳と、平生に変らない五分刈の濃い髪の毛を少時眺めていました
(略)
 私は何の分別もなくまた私の室に帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻り始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです檻の中へ入れられた熊のような態度で。
 私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私を遮ります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私を抑えつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
 私はその間に自分の室の洋燈を点つけました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど埒の明かない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明に間もなかった事だけは明らかです。ぐるぐる廻りながら、その夜明を待ち焦がれた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
 我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。下女はその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室まで来てくれと頼みました。

(「下 先生と遺書」四十八・四十九)


他の記事でしつこく書いたが、先生は一目見ただけでKが既に死亡していると完全に確信しているように見える。突っ伏しているKを見て慌てて駆け寄るとか意識を確認するとか大声で呼び掛ける等の行動は、一切なにもしていない。

もちろん医者を呼ぶこともしていない。

医者も誰も呼ばずに、先生はKの遺書を確認し、Kの頭を持ち上げ、上から五分刈りを眺め、自分の部屋に戻ってぐるぐるぐるぐる、回っていた。

そして、何故か先生は「夜明け」を待っていた。
そして、何故かわざわざ「六時前」と時間を確認して、ようやく下女を起こしに行ったと。

これ警察にそのまま供述したら、逮捕されないだろうか。
助かる可能性があったところを、わざと確実に死ぬまで放置しただろうと。
もう確実に死んだであろう時間を見計らって、人を起こしにいっただろうと。

少なくとも保護責任者遺棄致死罪の嫌疑は認められる。


Kの死に関して「警察」は一度記されるのみで、先生や奥さんが警察とどのような話をしたのかについては、一切記されていない。ただ深い追求や取り調べを受けた様子はなさそうだ。

先生はおそらく警察にはこう供述したのだろう。
「六時前頃、目が覚めてふと隣の部屋をみたらKが、、、、返事もなくて、、、急いで下女を呼びに、、、」

1(2)もみ消し


改めて「こころ」を見直すと、私は忘れていたが「犯罪もみ消し」のエピソードが出ていたのである。

 私は東京へ来て高等学校へはいりました。その時の高等学校の生徒は今よりもよほど殺伐で粗野でした。私の知ったものに、夜中職人と喧嘩をして、相手の頭へ下駄で傷を負わせたのがありました。それが酒を飲んだ揚句の事なので、夢中に擲り合いをしている間に、学校の制帽をとうとう向うのものに取られてしまったのです。ところがその帽子の裏には当人の名前がちゃんと、菱形の白いきれの上に書いてあったのです。それで事が面倒になって、その男はもう少しで警察から学校へ照会されるところでした。しかし友達が色々と骨を折って、ついに表沙汰にせずに済むようにしてやりました

(「下 先生と遺書」四)

このエピソードは私も忘れていたし、今まで見た「こころ」の評論でこれを取り上げているものも、私は見た事はない。

だがこのエピソードを先生が遺書に記載したという事実に、物語上なにか意味があるとすれば、私のように解釈するしかない。

先生も犯罪のもみ消しをした。


1(3)檻の中へ入れられた


Kの頭を抱えて冷たい耳をさわった以降の先生の行動を、再度引用。

 私は何の分別もなくまた私の室に帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻り始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。檻の中へ入れられた熊のような態度で。

(「下 先生と遺書」四十九)

檻の中へ入れられた」ー これも先生の犯罪・収監を示唆していないだろうか。

ちなみに「檻」のたとえも、これより前に一度出ている。
Kがこの物語に登場した「下 十九」

 Kの養子先もかなりな財産家でした。Kはそこから学資を貰って東京へ出て来たのです。出て来たのは私といっしょでなかったけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下宿に入りました。その時分は一つ室によく二人も三人も机を並べて寝起したものです。Kと私も二人で同じ間にいました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合いながら、外を睨めるようなものでしたろう。二人は東京と東京の人を畏れました。それでいて六畳の間の中では、天下を睥睨するような事をいっていたのです。

(「下 先生と遺書」十九)

ここでは、Kと先生の二人が檻の中で「山で生け捕られた動物」であったと。

これがKの死去の場面では、檻にいるのは先生一人で、しかも「」になっている。

この変化もまた、「熊」がKを襲撃したのだと、示唆しているのではないだろうか。


先生、罪悪ですよ。

(この考察続けます。)


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