漱石「こころ」考察13 Kは他殺?



夏目漱石の有名作品「こころ」。大正三年(1914年)連載。

多くの人が知っているとおり、この作品の主要登場人物・Kはある夜、下宿で自殺してしまう。

しかしこれまで書いたように、私はこの自殺についてはこう思っている。

確かに自殺しようとしたのはKだが、まだ息はあったところを、先生がとどめをさして殺した

そう考える理由はいくつかある。前の記事で書いたのが

① 先生が「私」に語った「やったんです。やった後で驚いたんです」との言葉

② 「先生の遺書」ではKの自殺の原因は「小さなナイフで頸動脈を切っ」たと記されている = 漱石作品においてしばしば「人間のつまらぬ小手先のごまかし」のことを「小刀細工」と表している。わざわざそれを連想させるように「小さな」ナイフと表記している。

さらに今回検討したいのが以下の二つ

③ 先生がKの自殺を「一息に死んでしまった」とまるで見ていたかのように断定している

④ Kの自殺を聞かされた奥さん(静の母)が「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と、含みのある発言をしている

これらについて語りたい。
(その予定でしたがとりあえず本記事では③のみです)

なお大前提として、Kの死亡状況等は先生が「私」に宛てた遺書に記載されたものである。いわば先生が作文し放題の書面ではあるのだが、あくまで書かれている事を一応は信用した上で、不自然と思われる点を見ていきたい。


1、「一息に死んでしまった」と断定


1(1)確認しない先生


「先生の遺書」において先生が記した、下宿でKの死体を目撃した場面を、確認する。

私が進もうか止そうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然とします。いつも東枕で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床を敷いたのも、何かの因縁かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室との仕切の襖が、この間の晩と同じくらい開いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱を突いて起き上がりながら、屹っとKの室を覗きました。洋燈が暗く点っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団は跳返されたように裾の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突ッ伏しているのです。
 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体は些っとも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈の光で見廻してみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立ちに立ち竦みました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしましたそうして私はがたがた顫え出したのです。
 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛になっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何にも書いてありませんでした。

(「下 先生と遺書」四十八)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

おい、まずKが息してるか確認してすぐ医者呼べよ

そう感じなかっただろうか。

ここで先生は、「暗い洋燈(ランプ)」で「一目見」ただけなのに、その時点でKが既に死亡していると、何故か完全に確信しているように見える。

気を失っているだけかもとか、まだ助かる可能性はあるか等を、全く考えていない。慌てて駆け寄って背中叩くとか、脈や呼吸を確認しようする行動も、全くしていない。
それこそ酒で泥酔してただけかもしれないのに。

それにKは「突っ伏している」のだから、近づいて顔を確認して声を掛けるのが通常ではなかろうか。
しかしこの時点では先生は、近づこうともせず、Kの顔すら見ようとしていないのだ。この時点では
それらの行動を取らなかった理由も、記していない。

先生は、単に「突っ伏して声掛けに反応がない」だけで、顔も見ず近寄ろうとすらしないうちから、Kは既に死亡していると、なぜか完全に確信している。
しかも先生は自分から「暗いランプの光で」、「一目見るや否や」と、死亡を確信していることの不自然さが、よく読めば際立つような描写を、わざわざ残している。


1(2)死因はなんだと思っていた?


先の引用に続く遺体発見状況を引用する。

 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛になっていました。私は夢中で封を切りました。
(略)
 ー 最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
 私は顫える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆なの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖に迸っている血潮を始めて見たのです。

(「下 先生と遺書」四十八)

Kの遺書を読み終え、しまい直した後で、血潮を「始めて見た」と。

つまりそれまでは血潮に気付いていなかった、と。

では何故、Kが既に死亡していると先生は確信していたのか?
死因は一体なんだと思っていたというのだ?

突っ伏しているのだから首吊りとは思わないだろう。
他にも毒を飲むとか切腹とかリストカット等があるのだろうが、大量出血の痕跡すら、当初はまだ見てはいなかったと。

それなのに死んでいる事だけは完全に確信できたと?

順番が逆であればまだわかる。
たとえば室内に凄まじい大量出血の跡があったと。さらにそれがもう乾いた感じで長時間経過していることが推察されたと。
それを見た後であれば、ああ刃物で自殺を図りもう死亡してしまったと思うのは、まだわかる(ただこの状況ですらも、顔も見ないで死亡を完全に確信しているのは不自然であろう)。

しかし、先生は、顔すら見ようとせずに薄暗い中で一目見ただけで何故か死亡を完全に確信しており、そこからしばらく経過して、はじめて血潮を発見している。

やはり最初の、死亡についての完全な確信が、おかしくなるのだ。

そして、ここでも先生はわざわざこう書いてくれている。

「振り返って、襖に迸っている血潮を始めて見た」

「始めて」血を見たと、ここでもその不自然さがよく読めばわかるように、先生はわざわざ記しているのだ。


1(3)Kの頭を抱える


さらに先生は不自然な行動を重ねる

 ー そうして振り返って、襖に迸っている血潮を始めて見たのです。

  四十九

「私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかったのです。しかし俯伏しになっている彼の顔を、こうして下から覗き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄っとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今触った冷たい耳と、平生に変らない五分刈の濃い髪の毛を少時眺めていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。

(「下 先生と遺書」四十八・四十九)

・「死顔」が「一目見たかった
この描写により、先生がそれまでKの顔を見ておらず見ようともしていなかったことや、それなのに死亡を確信していたことが、重ねて示されているとも読める。

そもそも「死顔が一目見たかった」というのも、急にホラー映画になったような心理描写ではないだろうか。やはりここも不自然だ。

そして「触った冷たい」とある。
この「」はなんだろう。

ここも「今」とわざわざ書くことにより、それまではKの顔にも身体にもふれていなかった事と、それなのに最初から死亡を確信していたことの不自然さを、示していると読める。

これがたとえば、 ーKが反応なく突っ伏していたのを見て駆け寄って身体にふれたらもう冷たかったー、というのであれば、死んだと思うのもわかる。
だがここでは逆だ。少し前に死亡を確信してその後に「今触った冷たい耳」と、初めてKの身体にふれ、それがもう冷たかったことが記されている。


そしてもう一つここで注意したいのは、「先生の遺書」に書かれたこの「私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました」との記載が先生のフィクションではないのであれば、一つ確定した事実が残る。

先生は誰も見てないところでKの頭部にしっかりさわっている


1(4)血まみれなはずでは?


先生の遺書において、Kの自殺方法はこう記されている。

 それから後の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人だけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした手続の済むまで、誰もKの部屋へは入れませんでした
 Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息に死んでしまったのです。外に創らしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗い灯で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋から一度に迸ったものと知れました。私は日中の光で明らかにその迹を再び眺めました。そうして人間の血の勢いというものの劇しいのに驚きました。
 奥さんと私はできるだけの手際と工夫を用いて、Kの室を掃除しました彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団に吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末はまだ楽でした。二人は彼の死骸を私の室に入れて、不断の通り寝ている体に横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。

(「下 先生と遺書」五十)

ちなみに遺体発見が「四十八」で、上記の「小さなナイフで頸動脈を切って」と明かされるのが「五十」である。

Kは腹や手首を切ったのではなく、頸動脈を切ったと。それで亡くなったと。

だったらKの頭や耳は血まみれで、それを持ち上げてさわった先生にも、たっぷりと血がついてるはずだ

この推論が合ってるのか不安になり、「あれ頸動脈って首筋だよな?」と確認してしまった。「首の左右を通る太い血管」で合っていた。

先生は遺書において、Kの出血ぶりを繰り返し強調してくれている。
襖に迸っている血潮」、「人間の血の勢いというものの劇しいのに驚きました」、「彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団に吸収されてしまったので」と。

しかし「血の勢いの激しさ」と記しながら、Kの頭・顔・耳・髪の、どこにも血まみれになっていたとする描写がない。皆無である。

さらに、そのKの「頭を抱えるように両手で少し持ち上げ」、冷たい耳を「今触った」としている先生には、当然手や腕、袖口にKの血がたっぷりとついたはずである。

ところが、Kの頭部・身体にも、先生の手や腕・衣服にも、血が付いた旨の描写は、一切ない。

現(令和6年)石川県知事の馳浩はレスラー時代、流血するとよいプロレスを表現できてた。90年9月広島でのグレートムタ戦や黒くなったばかりの蝶野正洋戦など。
流血戦で馳の黄色いパンツに、血の赤茶色がこびりついた様子がちょうどよいグロテスク具合を表現していたと記憶している。

ましてやKは死亡するほどの大量出血をしているのだ。しかも頸動脈から。それなのに頭部や耳に血がついていないとか、頭を両手で抱えて耳をさわった先生にも血が付着しないとか、あり得るだろうか。あり得ないと思う。

それどころか先生はこう書いている。

私は上から今触った冷たい耳と、平生に変らない五分刈の濃い髪の毛を少時眺めていました。

(「下 先生と遺書」四十九)

Kの髪が平生に変わらないわけないだろう。血まみれのはずだ。

先生は、嘘をついている。

(しかし、こうやって見てると先生は勿論、その後の「後始末」を二人でした奥さんもいよいよ怪しく見えてきてしまった。
この考察続けます。)


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