宛先は君に 2021年7月26日

2021年7月26日

 まるで全てから解き放たれる、そんな幸運に僕は巡り合うことが出来たのだ。君も笑ってしまうだろ。ついこないだまでの僕は、壊滅的に打ちひしがれ、何にも手が付かないほどだったのにね。
 夏がやって来て町に休暇を過ごしにやって来る人も増えてきた。散歩がてらに午前中、ぶらぶら通りを歩いていると、スマホを手にして、あちこち見渡している女性を見つけた。大きなキャリーバッグを引いてることからも、彼女が旅行客であることは明らかだった。彼女は僕を見つけるなり、サングラスを載せたキャップの鍔を少し上げて、キャリーバッグを舗装のされていない、通りをガタガタと音を立てながらやって来た。僕の目の前で止まり、そしてスマホの画面を見せて、道を尋ねた。
「この場所に行きたいんですけど、ちょっと道に迷っちゃって」
 僕は画面を覗き、その地図に表示された場所を見た。それは佐和子さんの家の近くを指していた。
「ここなら分かりますよ。僕が住んでいる場所の近くですし」と僕は答えた。
「ほんと?」と彼女は目を輝かせて言った。「私、二か月くらい滞在する予定で、ここの家を借りたの。友達も知人も誰もいないから、ちょっと心配だったけど、年も近そうな人がいて安心した。私、梅崎愛。よろしくね」と彼女は矢継ぎ早にそう言った。
 ああ、僕はどうやって彼女を形容しよう。実際、愛さんと僕は三歳の歳の差で、彼女の方が年上だ。年を重ねていくと、思うんだが年齢とかはもうひとまとめにされるような感覚になるんだ。だから、三歳差なんてあってないようなものだよ。中学生や高校生とは違うからね。愛さんは、脚本家で、エッセイなんかも定期的に雑誌に掲載しているらしい。そのペンネームを教えてもらって、調べて読んでみたが、これはとても良いものだった。読者ってものをしっかりと意識していて、これは本当に文章の上手さと、その視点の置き方に抜群に秀でるものがないと書けないものだ。贔屓目に見てるわけではない。いや、贔屓目に見ているのかもしれないな。実際、彼女に会ってみれば分かるんだけど、彼女が対象を見つめる時の瞳を見れば、それが本物であることが分かる。あの瞳が全てを物語っているんだよ。彼女が本当にその素晴らしい本性を持ち合わせていることがまざまざと感じられるんだ。見た目について形容しようにも、僕はそれを拒みたい。何でかって言うと、僕の中では持論があって、ファッションを好むのはそういった理由なんだけど、身体っていうのは、自分の意思を反映させることは難しいものだから。先天的なものであって、身に付けた本性を表現することが出来ないからね。しかし、ファッションはそれを無限の可能性でもって表現する。思想がそのものとして、拡張されるのが僕はたまらなくワクワクするんだ。愛さんはsacaiの白いシャツに、パンツは黒のスラックスだった。足元はジョーダン4の青のスニーカーで、手元や首、耳を飾るジュスティーヌクランケのジュエリーは視線を奪い、そしてその目に美とは何かを思考させる力があったんだ。
 美しさを纏うには、美とは如何なるところから現れるのかを知らなければならない。そして、その感性とは当然ながら持って生まれてきたものではなく、身に付けていかなくてはいけないものだ。誰だって、詩人が喩える月の美しさを最初から知っているなんてことは出来ないんだよ。優れた芸術家とは、美と人間の本性を完璧に繋ぎ合わせる、連結管のような役割を見せ、それを行うには批評家の目となって、美の対象を捉えなくてはいけない。美はいつだってこの世界に溢れているんだ。それに気づかない人もいるのが残念だけど。
 とにかく、愛さんは僕を夢中にさせてしまったんだ。旅をしてきた疲れをしっかりと癒してもらうためにも、別れを告げて、夢うつつの中、すぐにりかにそれを見破られるような状態で帰宅した。彼女はニヤニヤと僕を見て、外で起こった一部始終を語らせた。僕は鮮明に光景を浮かび上がらせながら、絵を描くようにそれを物語った。本当に物語のようだ。前にサリンジャーが言っていたのを思い出す。愛情を互いに湧き起こすような二人を出会わせるのを書くことは難しいと。ああ、確かにそうだ。なぜなら、それは偶然起こるものだからだ。そしてその偶然を僕らは必然だったのではないかと錯覚してしまうから。それが積もりに積もった人類の恥の歴史は、読者の想像力に大いに作用してしまうのだから。実際は偶然なんだ。しかし、引き寄せられたように物語は語らなくてはいけないんだ。僕らは意味なんて何もないとは言えやしないのだからね。それを言えるのはまだ初々しい理性を持つ者だけだから。

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