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カンガルー日和 - 短編集カンガルー日和を読んで(1)


本シリーズの目的

本シリーズでは、村上春樹氏の1986年に発売した短編小説集である「カンガルー日和」を読み、各短編の要約と感想を述べていく。(もっとも、多くの作品は10ページ程度であるため、要約するまでもないかもしれない)
第1回は、この書籍の題名でもあり、最初の作品である「カンガルー日和」について扱う。


要約

まず、この小説は、とある月曜日の朝に、主人公とその彼女がカンガルーの赤ちゃんを見るために動物園に来た話である。主人公らは新聞でカンガルーの赤ちゃんが生まれたことを知った。しかし、それからカンガルーを見にいくのに適した日(カンガルー日和)が来るまでに天候や用事等様々な要因が重なり、実際に彼らにカンガルー日和がやってきたのは1ヶ月後であった。
生後1ヶ月ということもあり、目的のカンガルーは赤ちゃんというよりは小型のカンガルーにまで成長していた。そんなカンガルーを見た主人公とその彼女の会話や、カンガルー達の行動が綴られている。


感想

私がこの小説を読んで印象的に感じたのは大きく以下の2点である。

  1. 主人公とその彼女のカンガルーを見にいくことに対する心持ちの違い
    (ここでは、男女間での思考の性差というよりは、個々の人間の性格の違いのように感じた)

  2. カンガルーの行動の躍動感を鮮明に描く、文章の鮮やかさ

主人公とその彼女のカンガルーを見にいくことに対する心持ちの違い

作中に登場する主人公と彼女は対照的な性格であると感じた。まずカンガルーを見に行くまでの時間では、彼女はカンガルーが生後1ヶ月も経ってしまったことを気にかけ、カンガルーの赤ちゃんが死んでしまっているのではないかと心配し、このチャンスを逃したらもう自分は一生カンガルーの赤ちゃんを拝むことができないと飛躍的な解釈をし、悲観的になっている。一方で主人公は、彼女がそこまでカンガルーの赤ちゃんに執着することを理解しきれずにいる一方で、動物図鑑でカンガルーについて調べるなど、カンガルーを見に行くことに対して計画的に準備を進めている。
このように、「カンガルーを見に行く」という目的に対して、どうしてもカンガルーの赤ちゃんが見たい一方、見れるかどうかを心配しているだけの彼女とそこまでカンガルーに対する興味はなさそうなものの、せっかく見にいくのであればと念入りに下準備をする彼氏という、対照的な性格の恋人が描かれていることが印象的であった。お互いの性格が対照的であるからこそ恋人としてうまくいくのだろうか…

カンガルーの行動の躍動感を鮮明に描く、文章の鮮やかさ

私にとって、村上春樹氏の作品の醍醐味だと感じているのが文章の鮮やかさである。この作品では動物園が舞台となっているが、その動物園の景色や動物達の生き生きとした姿が文章を通して豊かに描かれている。この作品においても、赤ちゃんカンガルーの子供らしさを親カンガルーの周りを走り回るなど無邪気な描写を通して表現しているのが印象的だった。
また、この作品においては、カンガルーの表情を人間に比喩して表現しているのが印象的であった。炎天下の中、平気な顔で赤ちゃんを抱える親カンガルーを「青山通りのスーパー・マーケットで昼下がりの買い物を済ませ、コーヒー・ショップでちょっと一服している人間」に例えており、親カンガルーのスマートでクールな表情を容易に想像することができた。カンガルーという動物を都会の女性に比喩する著者の文学的センスには脱帽せざるを得ない。

最後に、この作品を通して自分も動物園に行った気分になれた。猛暑日が続くこの時期には文学を通して動物園に行くのも悪くないかもしれない。

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