ミシマフクロウ

20代は時間を無駄にするまいと、とにかく我武者羅に仕事に勉強に走ってきました。そして3…

ミシマフクロウ

20代は時間を無駄にするまいと、とにかく我武者羅に仕事に勉強に走ってきました。そして30になった今。20代を振り返るとともにこれからをどう生きていくか。それを考えるにあたっては、感じたことのアウトプットをやってみようというおもいから始めました。 周一以上の更新を目指します。

最近の記事

はじめての熱海 ~ご当地グルメとストリップ~

先月(9月)頭、静岡の旅行に出かけてきた。 同月1日に蕨ミニ劇場に行ったばかりで、一週間ぶりのストリップだった。交通費や宿泊費もあったが、お盆の期間に遊べなかったこともあり、相応のお金は確保できていた。 高崎線から電車一本でお昼ごろに熱海に到着。 もちろん遠出した以上はストリップだけが目的ではない。 まずはご当地飯、そして温泉だ。 手始めにまずは行き当たりのお店で腹ごしらえ。 定番の海鮮丼はどこで食べても決してハズレは無いが、観光地で最初の景気づけにはうってつけだ! そし

    • 未来の日本を守る責任が私たちにはある 〜公明党から日本を守るために知ってほしいこと〜

      私は公明党を信じていた。少なくとも信じたいという気持ちがあった。 なぜなら、社会人になってから最初に入った会社が、創価学会の信者によって築かれたからだ。 決して悪い会社なんかではない。 むしろ研修制度も充実していて、結果を出した人には相応の評価だってくれる。 福利厚生だって折り紙付きと言ってもいい。 平成の終り頃だったが、社員旅行で大きなホテルにも宿泊できた。 昭和時代のようで楽しかった。 パイプを持っている企業だって、自動車会社としては名の知れたT社、D社など、日本を代表

      • 這い上がろうとすると自己満足で終わってしまう。

        このアイキャッチ画像の本は、20代の頃に常に卓上に置いていた本である。 私の過去の記事を読んでいただくとお分かりいただけると思うが、私はコロナ禍を経て派遣社員から正社員となった。 派遣社員時代はとにかく自己実現のために必死であった。 そして正社員になった今だが、30代になって改めて読み返してみると、 大切なことだが忘れかけていた言葉が真っ先に飛び込んできた。 というもの。 ここで少しだけ仕事にまつわるエピソードにお付き合いいただきたい。 私は製造業で働いてる。主な仕事は製

        • けなげ組「タイヤ」~私の落書き~

          晴れの日も雨の日も、凍てつくような寒い日だって天気には関係なくわが身をこれでもかと回転させながら乗用車を走らせてご主人様の足代わりになる。急ブレーキの時なんか体を張って止めるんだよ。 今の時代は夏用、冬用とできてるから半年ほどは休ませてもらえるから少しは楽になったかな。重機君なんてまだいいよ、体が大きい分回転は少ないしスピードも出さないし。 あ・・・でも電車の車輪君なんて金属と金属だもんね・・・。

        はじめての熱海 ~ご当地グルメとストリップ~

          カフェ巡り~Bedford Cafe~(2024/10/05)

          今回はカフェ巡りについて綴ってみます。 紹介しますのは「Bedford Cafe」 群馬県伊勢崎市に店舗を構えます。 このお店はパンケーキに力を入れているようですが、 今回紹介したい魅力のお品はカレーライス! いただいたのはチーズキーマカレーです。 カレーにしては斬新な見た目ですが、これがまぁおいしいこと。 一見するとオムライスみたいじゃないですか? 出された時は卵の白身だけのオムライスかと思いました(笑)。 この写真から分るでしょうか、実はこれ全部チーズなんです。こ

          カフェ巡り~Bedford Cafe~(2024/10/05)

          メディアのバックに中国が潜む

          世の中が大きく変わろうとしている昨今、日本は今まで抱えてきた問題がいよいよ明るみに出てきたように思える。 外人に売られてしまう対馬や北海道、これらは今に始まったことではない。 しかし、この現状を多くのメディアは報じようともせずに今に至る。 おそらく国家が隠したい大方の闇はインターネットなくしては覗けないであろう。その点ではTwitterやyou tubeは一役買っている。 私もこのnoteを通してTwitterではつぶやききれない事柄を綴っているが、 ストリップや旅行などの

          メディアのバックに中国が潜む

          復活したミニ劇場

          今月一日(2024/09/01)、私は早速復活したストリップ劇場に出向いた。 おそらくこの記事を読まれている皆様であれば、8月にストリップ劇場の灯がまた一つ落とされたことは説明するまでもないと思う。 8月はその劇場の閉館に立ち会いたかったがために、ほかの劇場には足を運べていなかったが、栗橋の最期を見届けたことでリスタートという思い切りが付いたところでもあった。 関東圏内でも北の方に住む私の行きつけの劇場は、渋谷や上野だ。 電車の乗り換えゼロでアクセスの便利が非常にいい。距離

          復活したミニ劇場

          受験は団体戦

          「受験は団体戦」 大学受験を控えた高校時代、よく言われた言葉だ。 正直、「そんなのは噓だ、個人の戦いでしかない。」 そう思っていた。 しかし、20代後半の失業中に当時のエージェントさんにこんなことを言われた。 「入社試験は自分だけの物では無いんだ。ある年に、うちから5人の求職者が集団面接の形でK社を受験した。しかし一人の遅刻で、その人のみならず全員が不合格になった。つまりあなた方は我々の看板を背負っているんだ。そのことを忘れないでほしい。」 この時、高校時代に言われた「受験

          良かれと思う相手の気持ちは仇(あだ)となる?

          昨年(2023年)11月、母と買い物に出かけたときの話。 色々買うということで、私にも手伝ってもらいたかったようなので成り行きで一緒に行ったが、いつにも増して忙しそうに店内を走り回るように動くので、もうついていくのが大変だ。こっちは買い物カゴを腕にぶら下げているのだから。 最後に揚げ物のコーナーでとりあえずとメンチカツを手に取った母だったが、レジに並んだら途端に 「メンチカツじゃなくてアジフライにする?」 なんて言い出すから驚きだ。 「はぁ?」 一瞬耳を疑った。さらにはアジ

          良かれと思う相手の気持ちは仇(あだ)となる?

          日々のお仕事、ご安全に。

          「信頼」とは何か。 それは人それぞれの答えがあると思うが、製造業に勤務する身としては「安全」こそその答えの一つではないかと私は考える。 派遣社員時代とある自動車企業で働いていたが、安全には神経質な会社だった。 自動車という、人の命を乗せて走る製品。 その反面、扱いを一歩誤れば凶器にすらなりかねないものを扱うのだから最もだ。 では時代を遡り、東京タワーの建設の話をしてみたい。 作業効率化のために命綱なしは当たり前。 さらには地上から100m以上離れた上空で800℃まで加熱さ

          日々のお仕事、ご安全に。

          ライブシアター栗橋の思い出 1-4

          8月20日(火)、その翌朝未明、ライブシアター栗橋は46年の歴史に幕を下ろした。 思うことは色々あるが、さすがにこのページでは書ききれそうにない。 ほんとうならば、踊り子一人ひとりについても書きたいところではあるが、やむなく割愛させてもらいたく思う。 閉館の日の朝、喫茶店で朝食を済ませ09:00頃に劇場に着いた。 さすが最後の日とあって、第二駐車場もすでに半分弱が埋まっていた。 開場から1時間以上も前だったが、前日の順番取りで座れる保障こそあったものの、それくらいでないと駐

          ライブシアター栗橋の思い出 1-4

          ライブシアター栗橋の思い出 1-3

          ライブシアター栗橋、いよいよ閉館の前日。荒天の中やっとの思いで劇場にたどり着いた私は、最前列の席への切符を獲得した! その日、私は仕事が定時になると小学生のように素早く帰り支度を済ませ、劇場へと車を走らせた。 天気は散々だった。冠水しかけた道路に鳴りやまない雷。 おそらく線状降水帯の真下だったのだろう。だが幸いにも劇場付近まで来ると、雨は弱まっていた。 かつ屋さんで予約の弁当を受け取り、支払いを済ませると再び急いだ。 第一駐車場には留められないことは察しがついていたので、第

          ライブシアター栗橋の思い出 1-3

          ライブシアター栗橋の思い出 1-2

          ライブシアター栗橋の閉館発表から2箇月弱が経つ頃だった。 気が付けば閉館の発表から慌てて足を運ぶようになって、来館数は9回目を数えていた。 劇場では「さよなら公演 第二弾」が行なわれていた。その日は執念を費やして、前日から場所取りに並んだ。おかげで最前列に座ることだ出来た。 そして今回、香盤のトリを飾るのは桃瀬れなさんだった。 桃瀬さんといえば、かつては株式会社TMA製作の「ひぐらしがなく頃に」という、"アニメをもとにしたビデオ"に出演されていた。 映像ごしだったとはいえ、

          ライブシアター栗橋の思い出 1-2

          ライブシアター栗橋の思い出 1-1

          去る6月11日 ライブシアター栗橋の閉館が発表された。 私自身がストリップに目覚めたのは昨年(2023年)9月のこと。 蕨ミニ劇場の復活プロジェクトの話を知ったのは、ストリップの観賞自体はまだ2回目か3回目の頃だったと記憶しているが、そのプロジェクトについてネットで改めて調べてみると、もうストリップは日本では存続自体が危ぶまれている現状を知った。 正直、自分が生きているうちにストリップが日本から潰えてしまうことは覚悟はしていた。しかし、スト客になってから1年足らずでまたひと

          ライブシアター栗橋の思い出 1-1

          振り返る20代(後編:コロナ騒ぎから今に至るまで)

          ~前編のおさらい~ 私は大学卒業から派遣の技術者として20代前半を生きた。その派遣元が内定獲得を果たした唯一の企業だったからだ。手取りは少なかったが、「今は頑張ろう。その代わり30代からは思いっきり遊ぶぞ!」そう思いながらモチベーションを保っていた。 そして20代も半ばに差し掛かったころ、正社員への切符を掴みかけたがコロナ騒ぎによる影響で白紙に。さらには仕事も失った。 職を失った私は地元に帰ることとなった。実家暮らしでないと経済的に苦しかったのもあるが、「ゆくゆくは地元に戻

          振り返る20代(後編:コロナ騒ぎから今に至るまで)

          振り返る20代(前編:コロナ騒ぎが起きるまで)

          私は30歳、大卒で働くごく普通のサラリーマン。 新卒当初、周りと違ったことは正社員であるか派遣社員であるかだ。 そう、私の新卒時代は派遣社員。当然手取りは正社員に比べて少ない。 ではなぜ派遣社員になったのか、それはもうそこしか就職の道がなかったからだ。面接に行った会社は30社近かったと思う。しかし毎々くの不採用。同級生や研究室の教授に急かされながらも、4年生の3月でようやく取れた内定だった。 早くに内定が決まった同期はといえば、卒業旅行を楽しんだり遊びを楽しんでいる様子だ

          振り返る20代(前編:コロナ騒ぎが起きるまで)