振り返る20代(前編:コロナ騒ぎが起きるまで)
私は30歳、大卒で働くごく普通のサラリーマン。
新卒当初、周りと違ったことは正社員であるか派遣社員であるかだ。
そう、私の新卒時代は派遣社員。当然手取りは正社員に比べて少ない。
ではなぜ派遣社員になったのか、それはもうそこしか就職の道がなかったからだ。面接に行った会社は30社近かったと思う。しかし毎々くの不採用。同級生や研究室の教授に急かされながらも、4年生の3月でようやく取れた内定だった。
早くに内定が決まった同期はといえば、卒業旅行を楽しんだり遊びを楽しんでいる様子だった。対する私は、内定が決まったら早速卒論の仕上げや入社の準備に追われる始末。結局ゆっくりできたのは3月最後の5日ほど。本当は彼らがとても羨ましかった。しかし、彼らは彼らで頑張ってきたことは素直に認めるべきだとも思った。そして遅かれ早かれ、誰しもこれからまた頑張らねばならない時がくるだろう。だったらオレは今が頑張る時なのかもしれない。
そこで私は目標を立てた。「技術者として、27歳までには地元に戻って正社員になる。」どうせ今は遊べる時間もお金もないのなら、今は貯金と投資に時間とお金をかければいい。遊ぶなら30からでも遅くはない。そう自分に言い聞かせる日々だった。それからは自己啓発の本を読んだり、その本の筆者が行うセミナーにも足を運んだ。公務員試験の勉強、そして受験してはあっけなく落とされたり。とにかく大学卒業から20代前半は毎日が我武者羅だった。
お察しだとは思うが、派遣社員とは過酷な職業だ。その最たるものが、派遣先の都合で盥(たらい)回しにされること。私の場合、就職したら途端に千葉から兵庫。さらにそこから1年ちょっとで愛知へ。とにかく双六(すごろく)のコマみたいに転々と動かされるのだ。ただでさえ少ない給料、引っ越しの費用は会社から一定額は支給されるものの、とても賄いきれない。まぁ、費用の面は派遣会社にもよるかもしれないが・・・。正直経済的にも時間的にも余裕は無い。
しかし、人とは不思議なもので、必死でいるうちは節約でも勉強でも必要なことをこなしていける生き物のようだ。
それに私は「新卒から4年は働こう」と決めていた。皆様は7・5・3現象をご存じだろうか。
中卒での就職は7割が
高卒での就職は5割が
大卒での就職は3割が3年以内に離職してしまうと言われている。
その法則に入った状態では、転職するにしても不利であることは目に見えていた。だから私は少なくとも4年目を満了するまでは派遣元を辞めるつもりはなかった。
そんな私に転機が訪れたのは4年目のころ。愛知の某自動車企業で派遣としての任期を終えたのちに、次は同県内のS社に移った。
ありがたいことに、そのS社では働きぶりを評価していただけたようで、「あと1年勤めあげてくれたら、この会社の正社員になってほしい。」
と言ってもらえたのだ。仕事も軌道に乗ったと見えて、それからは毎日がときめきにあふれた。社会人になってからここまで楽しかった日々は無かった。仕事にも誇りを持てるようになった。
しかし、天はそう簡単に許してはくれない。ここで思わぬ試練を受けることとなったのだ。
それこそ、新型コロナウイルスだ。
これによって自動車業界も全体的に打撃を食らったことはまだ記憶に新しいと思う。S社もまた自動車部品の製造会社だった。そして人員削減を迫られることとなった。そう、派遣社員である私は正社員以上にお金がかかるお荷物だ。当然のように真っ先に解雇の対象になった。手のひらを返したかのように・・・。
そして新たな派遣先も見つからず、とうとう派遣元からも出ていかざるを得ない羽目になり、ついには仕事を失った。
26歳のときだった・・・。
後半に続きます。
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