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駅伝日記#6:最後のレース

今回は、現役時代最後のレースのときのことを
お話できればと思います。

私の最後のレースは
高3の夏でした。

そのレースは
1年の前半シーズンを締めくくるもので
重要な大会というほどではなかったですが
1種目につき3人しか出場できないため
代表メンバーに選ばれる必要がありました。

当時の私は部で
下から数えた方が早いくらいの走力でしたので
選ばれるには実力不足だったのですが
監督の温情采配のおかげで
5000mの代表選手に選ばれました。

監督はもしかしたらこれが
私の最後のレースになるかもしれないという
想いがあったから
選んでくれたのかもしれません。

実際、本当にこれが最後のレースとなったので
監督には頭が上がらないです。

実力ではないにしても
選んでいただいかからには全力を尽くしたい。

そう思っていたのですが
レースの1ヶ月前に
脚の甲に強い痛みが生じました。

「疲労骨折の一歩手前だね」

いつもお世話になっている
接骨院の先生にそう診断されました。

「あぁ、またか」

いったいレース前に
怪我をするのは何度目だろう。

もう笑っちゃうくらい
いつもレース前に怪我してしまうんですよね。
片手では収まらないです。

通常、疲労骨折を起こすと
完治するまでに1ヶ月半ほど要するのですが
完全に折れてはいなかったので
1ヶ月あればなんとかなるかもしれないという
かすかな望みを託して治療に励みました。

監督にも
「試合に絶対出られるように
自分で練習を組み立てなさいと」
言っていただけたこともありがたかったです。

そうして、試合前日。

結局、脚の痛みは治まらず
当然、ほとんど走れてもいないです。

唯一、1週間前くらいに
ジョギングよりも
ちょっと速いペースで
4km走るのがやっとでした。

明日、走るのは5000mなのに。

夜、寝る前、私は
「もし明日、脚がぶっ壊れて
走れなくなってもいいから
どうか、、どうか明日のレースを
走りきらせてください」

と神様に祈るような気持ちになるくらい
追い込まれた状態でした。

むかえた試合当日。

結論から言うと
レースは無事、完走できました。

脚の痛みはあったのですが
レースが始まると
アドレナリンが分泌されまくったおかげで
ほとんど痛みは感じませんでした。

正直、ほっとしました。

レースの内容だけみれば
チームのエースに
周回遅れにされるくらいには遅かったので
何も知らない人からすると
なんであいつが走っているんだ
という感じだったと思います。

でも、そんな周りの視線は
どうでもいいくらい
とにかく走りきれたことに安堵しました。

ただ、走り終わってしばらくすると
アドレナリンの効果もなくなり
また痛みが出てきました。

というか走る前以上に激痛です。
(当たり前と言えば当たり前)

あまりの痛さに
歩くのもやっとって感じです。

「あぁ、もう終わった
また明日から走れない生活だ」

そう思いながら翌朝目覚めると
奇跡が起きてました。

脚がまったく痛くないんです。

普通に朝練で
8km走れてしまうくらいだったので

「え、、昨日あんだけ痛かったのになんで」

と、訳がわからなかったです。

ときどき監督が
「怪我してある程度痛みがなくなってきたら
あとは走りながら治せ」

と言っていたのですが、それが効いたのか…。

まぁ、そんな荒療治は
極力控えた方がいいと思いますが
ただあのときに限ればたまたま良い方向に
転がってくれたのかもしれないです。

こんな感じで
私の現役時代最後のレースは
不思議な体験とともに幕をとじました。

ここまで読んでいただき
ありがとうございます。

それでは、また。




読んでくださる方にくすっとなるお話やへぇ、そうなんだとなるような内容をお届けしたいなと思っています!