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宴の誘い

 昨日、私の発案で職場の同僚と宴席を設けた。一昨日、大きな仕事がひと段落した。支援を買って出てくれていた同僚数名に対する感謝の意も込めて、親睦を深めたいと思った。

 「明日の退勤後、よかったら飲みに行きませんか」。彼らに聞いて回る私の声は小さかった。というのも、そのとき、職場には私が飲み会に誘うつもりのない同僚Aが居合わせていたからだ。ここで、Aを誘わなかった理由を整理して考えてみたい。

 まず、宴会当日、彼女は休暇をとっていた。Aの自宅から職場までは2時間弱かかる。飲み会は職場近辺で考えていた。私の年上であるAを休日にわざわざ呼びつけるのは気が引けた。

 2つ目の理由は、コロナだ。いま、新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、あまり大所帯での宴会は歓迎されない。保守的な私の職場では4人が参加人数の目安だが、Aも入れると5人になってしまう。万一、参加者の誰かが感染したとき、職場から責任を問われないよう、職場の指針にはできるだけ従いたかった。

 そして3つ目が、Aが宴会の趣旨から外れていたことだ。今回の宴会の主な目的は、仕事を手伝ってくれた同僚とテーブルを囲むことであった。Aとは普段から職場でよく話すものの、今回の仕事には関わっていない。だからと言って、Aを誘わないと決めていたわけではないが、強く誘う動機もなかった。

 以上、3つの理由から、私はAに声をかけなかった。一見、これらは理由として筋が通っていると思う。それでも、Aに勘付かれないよう、こそこそと宴会の調整をすることには、やはり後ろめたさを感じた。
 
 私自身、宴会絡みで嫌な思いをしたことがある。就職してすぐのころ、私の隣の席に座る先輩が自分の気の合う人を集め、宴会の調整をしていた。彼は、会に呼ばれない私が隣にいながら、隠す様子もなく、予約するお店の話をしていた。宴会に呼ばれなかったことが残念だったし、宴会の話を隣で黙って聞いているのは辛かった。彼とは、決して仲が悪いわけではなかったので、自分が何か悪いことをしたか、不安になった。
 
 宴会は本来楽しいものだ。幹事、参加者、そして呼ばれない人。彼らのうち一人にでも否定的な感情が生まれるのは避けたい。私が知る限り、Aは、今回の宴会の存在を知らない。ただ、もし知っているとすれば、私が以前経験したような嫌な感情を味わったかもしれない。ではどうすればよかったか。今回の私の行動を振り返り、より良い行動の余地があったか検討してみたい。
 
 大前提として、望ましいのは、その場にいる人全員を誘うことだ。今回、私は、休暇中のAをわざわざ宴会のために職場近辺まで呼びつけることに抵抗を感じた。しかし、宴会参加の是非を検討する際に、会場までの所要時間が参加という意思決定の妨げになるかどうかは、Aにしかわからない。遠いから来るのが大変だろう、というのは私がAの思考回路を勝手にイメージしたものであって、Aが自分で自分の行動を決める権利を尊重していないことになる。ここから、私がAを誘わなかった1つ目の理由は、単なる言い訳であって、理由になっていないことがわかる。Aが参加する見込みが小さいとしても、誘いの提案をするべきであった。
 
 一方、コロナ対策のために大人数で宴会をしない、というルールを守ることは正しいと思われる。ここに議論の余地はないだろう。
 
 3つめの理由「Aが宴会の趣旨から外れていたから」はどうか。これは難しい。まず、会の趣旨とその参加者を決める権利は発案者の私にあると思う。その一方で、私は、私の仕事に関与した人だけを誘って飲む、と決めていたわけでもない。宴会の趣旨、目的がそこまで強くないのであれば、Aを誘ってもよかったようにも思える。

 以上、3つの理由を吟味したが、自信をもって正しいと言えるのは、2つ目の理由であるコロナ対策のみのようだ。結果的にAを誘わなかったことは正しかったようだが、それでは、Aの不快感を拭うことはできない。ではほかにどんな行動があり得ただろう。

 誘うことができないならば、せめて、その理由をAに説明するべきであったか。説明すれば、私も隠れて調整する必要はなかったし、Aの不快感はある程度は払拭されるだろう。ただ、宴会に誘わない人に対し、誘わない理由を説明することは、人間同士のコミュニケーションとして不自然に感じる。私がAだったとして、「明日宴会するんですけど、〇〇なのでお誘いできません。すみません。また次回行きましょう」なんて言われても反応に困る。となると、やはり黙っているしかないのか。

 宴会に誰を誘うか。これは永遠のテーマだ。誘われなかった人は、良い気はしない。それを避けるために、宴会を隠れて調整することは、ある程度避けられないように思える。
 
 

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