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セーレン

 通勤電車を降り、いつものように無意識にポケットに手を伸ばすとスマートフォンがないことに気づいた。背広の胸ポケット、鞄の隅っこ。どこを探しても見つからない。駅の窓口で紛失を届け出た。

 私はあまり落ち込まなかった。携帯電話を失くしたのは中学2年生の通学バスが最後だった。そのときは親切な人が届け出てくれたから、今回も見つかると思った。

 あるいは、やせ我慢だったのかもしれない。「そんな大事なもの入ってないし、出てこなくてもいいでしょ」。側面に小さな傷があること、最近トイレに落としたことを思い出して、失くしたときに自分を納得させる理由を探していた。

 不安な気持ちもあった。出てこなかったらどうしよう。スマホで保管していた新聞記事の写真データが惜しかった。バックアップをとっていない自分を責めた。職場までの肌寒い朝、私の背中は冷や汗でびっしょりだった。

 9時過ぎ、職場の電話が鳴った。「東京メトロ小竹向原駅です」。駅の職員に問われ、私はスマホの特徴を述べた。「赤色のiPhoneで、待ち受けは田園風景です」。拾得物のスマホと特徴が合致し、私は安堵した。

 思えばこのスマホは私が社会人として初めて自分のお金で買ったものだった。端末の名前も、一時期好きだった哲学者、キルケゴールのファーストネーム「セーレン」を充てていた。

 「落としてごめんね、いつもありがとう」。私は、2歳半のセーレンと今後も付き合っていく決意を新たにした。


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