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捨てることにイライラしたら、自分を労おう。

ミニマリズムについて、自分と内向的に向き合うと、“本当に手放したいのはメンタルじゃないか”なんて事がよくあります。

それは、それとして。

やっぱり私は、個人的に、
物が少なくて身軽な暮らしが落ち着きます。

今日、洗面所の整理をしていて、
改めて実感しました。

それと同時に、我に返りました。

ここ最近、
『捨てたい気持ち』+『イライラ』
という状態があって、
でも、マメに捨て活をしてきた我が家には、捨てるものがあまり無いのです(笑)


「満足度が高い状態なのに、何故こんなにも違和感を感じているんだろう・・・」


そんな疑問が、ずっと頭にありました。

そして今日、洗面所の整理をしていた時、
こんな感情になったのです。

『楽しい(^^)』

不要な物が無くなり、
キレイになっていく洗面所。

とても心地が良かったです。

この時に、気付きました。

私は、ミニマリズムに必死になっていたのです。

ミニマリズムで、自分の価値を“生み出そう”としていました。(つまり、無価値感の裏返しです)

それで、自分の所有物に、
目くじらを立てて、
ケチをつけていたのです。

でも、
『捨ててやる!』
と、所有物を見返しても、厳選されたアイテム達は、
『ああ、好きなものばっかり残ってる。全部使ってるし、リニューアルならともかく、要らないから捨てる物なんてもう無いや。』
そう思わせてくれるだけでした。

つまり、

『捨ててやる!』
を、翻訳し直すと、

『不安だ!助けて!』
だったのです。

カリカリして、物にイライラ、
そんなつもりは無かったけど、
物目線から見たら、私は目を△にして、
『捨てるものはねぇが〜?』
と部屋をウロつく、
鬼のように見えたかもしれません(笑)

イライラは本音では無く、
その下の不安から派生したもので、
不安の正体は、
『価値ある行為(存在)をしなければ』
という強迫観念です。

でも、元々は、

価値があるからミニマリズムをしていたというより、

確かに、ミニマリズムに価値を見出していたかもしれないけど、それは強迫観念ではなくて、

楽しくて、心地よかったから。

実践してみたら、落ち着いたから。

自分に合っていたから。

だからこそ、価値を感じていたワケで、
それは苦しくなかったのです。

───さて、ここまで気付いたところで、

私は今までだったら、やらなかったことをしました。

不安で、無価値感に苛まれている自分を、
心の中で労ったのです。

受け入れて、認めました。

そして、その辛さに理解を示してみました。

『ずっと無価値感を感じて、不安なあまり、大好きな事までイライラしながらやってたなんて、それは辛かったね。大変だったでしょう。頑張ったね。』

こんな風に、思ってみました。

それで具体的に何かが変わったわけでは無いのですが、私の心はフワッと軽くなったというか・・・重荷が取れたような───そんな、安心感に包まれました。

ミニマリズムを実践していると、
メンタルが辛くなることがあるかもしれません。

そんな時、もしも自分が、
何かいっぱいいっぱいになっているような、

身体の重さや、息苦しさを感じていたら、

もしかしたら、
心のSOSなのかもしれません。

貴方は既にとても頑張ってきたんですね。
貴方は無条件に素晴らしいです。

自分にとって、心地よくて、安心する言葉って、人それぞれだと思うんです。

ご自身の肌に合う言葉、
あるいはボディーランゲージなどで、
自分を労ってみたら、

フラットな、心地よい地点に戻って来れるかもしれません。

この情報がお役に立ちましたら、幸いです。

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