見出し画像

ミニマリズムという【手段】を通して、自分を《許したかった》のかも。

ふと、思いました。

ミニマリズムを通して、自分の人生における
【必要最低限】
を把握するのは、とても気持ちが良いです。

でも、

「必要最低限って、その都度変わるよね?」

この問いに対して、以前の私は、
「そりゃそうだ。都度アプデする為にも、基準作りやトレーニングとして、ミニマリズムで自分を棚卸しするのは有効じゃない?」
と、思っていました。

ところが最近、
『備えてもキリが無いし、その都度、必要になった時に再選択すれば良くない?』
と、モヤモヤしていたのです。

そのモヤモヤを見つめ直した結果、

「ミニマリズムを通して自分の人生における必要最低限を把握したかったんじゃなくて、自分軸を取り戻したかったんだ。自分で決められる自分に、なりたかったんだ。」

という気持ちに気付きました。

そしたら、
「なぁんだ。じゃあ私の場合、必ずしも物質的にミニマルでなくても良いじゃん。」
と、思ったのです。

そして、その先に、
こんなことも思いました。

『“自分軸を取り戻したい/自分で決められる自分になりたい”という欲求って・・・まるで、“それが欠けているから欲しい”みたいなニュアンスだけど、実際は元々あった───つまり、私ってハナから《自己中》だったんだろうな』

実際、子供の頃は、

・集団行動に馴染めず大人しい→なぜ「普通」が分からないんだと言われる経験
・母親が何故怒っているのか分からない
・マイペースに遊んでいると、友人から怒られた

こんな経験がありました。

それで、
・自分の意思決定
・自分のマイペースさ

これらを『ダメなこと』『出すとロクでもない』『信用ならない』と判断し、

罪悪感でセルフ監視してたんだと思います。

でも、無くなったワケではないので(笑)

人間関係とか、
ライフプランの中で、
出てきてしまう。

それを隠そうとして、

・極端に消極的に振舞ったり
・流行や空気に合わせようとしたり
・親切な人になろうとしたり

幸い人間関係でトラブルを起こす事は少なく、
どちらかというと、
「気が弱い」とか、
「優しい」とか、
「何考えてるか分からない」とか(笑)、
言われる方なので、

自己中といっても、
家庭環境の都合などから起因して、
不必要なほどに極端に抑圧していただけで、

「それは自己中ってゆーより、抑圧してる方がおかしいよ」

って程度の後天的なものなのか、

本当に変わってる?先天的なものなのか・・・・・

そこは正直、分かりません。

ただ、

『自分で意思決定することを、回避していて、それを捨てたかった。』

そういう意味では、同じかなと。


私の人生においては、かなり大切な気付きであり、今後の人生でも癒やしていく課題かなと思うので、

気付きへの導入として、
ミニマリズムに出会えた・やりたいという衝動と情熱で行動できた

────そのことは、私の人生の宝です。

あまり焦らずに、
自己中な自分を許していこうと思います。

(※自己中の“形”が、「そもそも拘りや主張が強くないタイプ」とかだった場合は、私自身が自分を責めなくなるだけで、一見何も変わらないかもですね 笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?