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ペルージュの光と雨【コドモハカセと記者の旅:リヨン2日目】

▼登場人物
コドモ:4歳長女と1歳次女。
ハカセ:建築史家。合理主義者。
私:記者。転職するか迷っている。

▼これまで
家族4人でフランス旅行をした記憶。子連れの労苦ばかりがよみがえる旅を、もう一度振り返って、出直す。アヴィニョンを拠点に南仏を巡り、雨にけぶるリヨンへ。幻想的な雰囲気を醸すフルヴィエールの丘を経て、ペルージュという小さな村へ向かう。

▼前回の記事



<12>

自宅の寝室に「百年の家(the House)」(作/J・パトリック・ルイス、絵/ロベルト・インノチェンティ、訳/長田弘、講談社)という翻訳絵本がある。

1656年と刻まれたプレートを掲げたこの家は、窓という「目」を得て人の話し声も聞こえるようになったが、やがて廃屋になる。20世紀に子どもたちに発見され、再び時が動き出す。

長い建物の歴史の中で、繰り返される短い生と死。まだ若いとはいえ、儚い生を精一杯生き始めた長女にとっても不思議に響くようで、ときどき思い出したように「読んで」とせがまれる。
 


ペルージュは、そんな「百年の家」そのもののような村だった。
 
リヨンのローヌ川沿いのバス停から、路線バスに揺られて約1時間。停留所で降りると、坂道を延々と登って、本当にこんなところに集落があるのかと思えた瞬間、ようやく山の上に城壁のような壁が見えてくる。

中世に織物や葡萄酒づくりで栄えたこの村は、18世紀になると住民が利便性の高いふもとの地区に移住してしまい、20世紀初めにはたった8人まで減った。その後、村の保存委員会ができて人も戻り、山上の小さな観光名所になった。
 
リヨンの街並みをくすんで見せていた雨粒は、ペルージュではむしろ効果的に、色とりどりの敷石や、家々に絡みつくように生えた緑を深く輝かせていた。


 
小さな門を通って城壁の中に入ると、楕円形の村のどこを歩いても、大きな菩提樹が一本立つ中央広場にすぐにたどり着く。

素朴な十字架を掲げた古びた教会。戦争で亡くなった村民を追悼しているのか、慰霊碑のような塔。菩提樹の広場に面したレストランは、増改築を繰り返した証なのか、年号を記したプレートが外壁のあちこちに貼られ、色違いの部材がモザイクのように掛け合わされていた。

むせ返るような歴史の香りに包まれて、歴史学者のハカセは幸せそうだった。珍しく、私にも記念に何か買ったらなどと言い出す。せっかくなので古民家然とした雑貨屋に入ると、暖炉のように温かな照明と、柔らかみのある女性の店主が迎えてくれた。ほうと息を吐く。
 
食器や置物などのインテリアのほか、デザイナーでもある店主のジュエリーも売られていた。長女と「どれがいいと思う?」と話しながら、箱に並べられたいくつかの指輪の中から、それほど主張が強くも弱くもなく、深海のような群青色の石をはめた指輪を選んだ。

19ユーロほどの贅沢。この村に、ほんの一瞬交差した私達家族の記念。今も時々、中指につけて、綺麗とほめてもらえることがある。

深海のような色


 相変わらず雨が降っていた。小さな村は、特段の見どころがあるわけではない。これといった遺跡も、博物館もない。けれど癒しがある。

 なぜか、長女の写真をたくさん撮った。黄色い花柄のレインコートをはためかせながら、雨に濡れてピカピカした石畳の上を闊歩する長女は、童話の中の小さな英雄のように映えたから。

夜の小鳥たちがうつくしい声でささやいている。
 
おっそろしく古い家は、いまどこにある?
 
じぶんの新しい住所が、わたしはわからない。
過ぎたるは及ばざるだ。このうえないものは、どこへ消えたのか。
けれども、つねに、わたしは、わが身に感じている。
なくなったものの本当の護り手は、日の光と、そして雨だ、と。

「百年の家(the House)」

<13>に続きます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

なぜこの旅行記を書いているか、興味を持ってくださった方は、こちらもお読みいただければ幸いです。



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