源氏物語の話13 既存の物語を超えて

第二帖「帚木」/現実の歴史の延長線上/「語り手」の問題/最強無敵のプレイボーイ交野の少将/兵衛府、衛門府、近衛府/貴公子といえば近衛の中将/伊勢物語初段「初冠」/春日野の若紫の摺衣しのぶの乱れかぎり知られず/陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに/既存の物語を超えて

【以下文字起こし】

さて、伊勢物語の解説を何度か挟みまして、今回からは再び、源氏物語の解説に戻ろうと思います。

忘れてしまった人も多いかと思うのでおさらいしておきますが、源氏物語っていうのは、主人公である光源氏が登場するまで、結構時間がかかるんですね。桐壺の更衣という女性と帝の恋から物語は始まって、よくよく読み進めていくと、この二人の間に生まれた息子こそが光源氏だったのだとわかる。彼は両親から引き継いだ政治的な文脈と、人相見に予言された不思議な運命を背負って、帝最愛の息子でありながら臣籍降下することになります。

やがて成人した光源氏は、国政のトップである左大臣家に婿として迎えられ、葵上という姫君を正妻とします。成人とか結婚とか言っていますが、これは光源氏12歳、葵上16歳くらいのときのことです。まだ幼い頃の話なんですね。で、葵上は左大臣家っていう良いところのお嬢さんだから、多分もともとは帝とか皇太子の妻になる存在として育てられていた。そんな彼女が突然、元皇族とはいえ臣籍降下しちゃってる光源氏と一緒になってしまった。しかも相手は自分より4歳くらい幼い。やだなって、思うんですね、葵上は。そして光源氏の方も彼女のことを、「いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、こころにもつかずおぼえ給」た、と言います。滅茶苦茶ちゃんと、大事に育てられた姫君だってことはわかるんだけど、自分には合わないな、と思っていたらしい。

じゃあ彼は誰のことが好きだったのかというと、藤壺、という女性のことを心底慕っていた。彼女は昔帝だった人の娘で、今は光源氏の父、桐壺帝の妻、女御となっています。彼女は死んだ桐壺の更衣、光源氏のお母さんですね、にとてもよく似た容貌だったらしく、更衣に先立たれて傷心だった帝の心を癒し、深い寵愛を受けました。

そんな彼女に対して光源氏は、「いとよう似たまへりと、内侍のすけのきこえけるを、わかき御ここちに、いとあはれ、と思ひきこえたまひて、つねにまゐらまほしく、なづさひ見たてまつらばや、と、おぼえたまふ」ような幼少期を過ごしていた。

彼自身は、生まれてすぐ死んじゃった母親の顔なんて憶えてないんだけど、周りの女房とかが「本当にそっくりですよー」って言うもんだから、子供心に「そうなんだー」って思って、もっとお近づきになりたいな、ずっとそばにいたいなって思っていたというわけです。

しかし、成人して結婚しちゃうと、もう光源氏は藤壺の女御に会えないんですね。本来、帝の妻っていうのは帝以外の男性が気安く近づける存在ではないわけですよ。それは光源氏でも例外ではなくて、彼はソリの合わない正妻を得ると同時に、未だ恋慕尽きない最愛の女性から引き離されたことになる。

そうして二重の欲求不満を抱えた光源氏が、どういう青年期を過ごしていくの? っていうのが、今回からの話です。源氏物語第二巻にあたる、「帚木」の内容に入っていきます。字が難しいですね。お掃除で使う箒を漢字で書けますか? あの字から竹冠をとって、二文字目に木曜日の木をつけたら「帚木」になります。

では、本文を引用してみましょう。
光る源氏、なのみことごとしう、いひ 消たれ たまふ とが おほかなる に、いとど、かかるすきごとどもを末の世にもききつたへて、かろびたる名をや流さむと、しのびたまひけるかくろへごとをさへ、かたりつたへけむ人のものいひさがなさよ。

これ何言ってるかっていいますと、光源氏っていう主人公についてね、名前だけはご立派だけど、それを台無しにするような失敗エピソードが多いと言われています、と始まる。そして、軽率だって噂されたらまずいから光源氏が秘密にしていた内緒事、これは恋愛絡みの事件だったわけなんですけど、これについてまで聞き伝えた人がいるらしくって、それはちょっと、性格の悪いお喋りだよねと書いてある。

ここ、いきなりめちゃくちゃ複雑なんですよね。光源氏についての評判や噂と、それを語っている人への批判とが絡み合ってて、誰がどの立場や時間軸にいるのかがややこしい。難しいけど大事なところなので、ちょっとだけ説明しておきましょうか。

大前提として、源氏物語って作品は、実話という体で語られたお話なんですよ。桐壺の冒頭が、いづれの御時にか、ってはじまりましたよね。具体的には明言しないけど、過去実在したとある帝の時代のことですよーって語り出しだった。しかも、途中で亭子院とか、紀貫之の名前が出てきました。亭子院っていうのは、菅原道真を重用した宇多上皇のことを指します。そして紀貫之は、道真没後に完成する古今和歌集の選者として知られていますね。そういう歴史上の人々の延長線上に光源氏たちも生きていたんですよ、っていうのが、源氏物語のスタンスなんです。

で、なんで過去の人である光源氏のことを物語として描けるかっていうと、彼のことをよく知っている人が詳しく語ってくれたからだ、って話になる。それは多分、彼に仕えていた女房とかなんでしょうね。そういう存在が、失敗とか秘密のエピソードまで含めて光源氏のことを語り伝えていて、それを書き記すことで源氏物語は成立していると。これはフィクションじゃなくて、人から聞いた事実譚ですよってことです。あくまでそういう体で、紫式部は書いたわけですね。

だから、光源氏にとって都合の悪いことまで語り伝えた人に対する批判めいた表現が、本文中に出てきたりもする。これね、「語り手」っていう、文学作品を鑑賞する上で非常に重要な問題なので、本当はもっともっと複雑だし色々諸説あるんですけど、この話をしようと思ったら研究論文を何本も引用してこなきゃいけなくて到底音声だけでは説明できないし、私自身それをわかりやすく論じ切る自信もないので、今回はあえて深入りせずに通り過ぎますね。

では、続きを引用してみましょう。

さるは、いといたく世をはばかり、まめだちにたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、かたのの少将には笑はれたまひけむかし。

さっき、光源氏について、色恋沙汰の事件についてまで語ってる人がいるって書かれてましたよね。それを踏まえた上で、光源氏って実は、ひどく世間を気にしていて、まじめに振る舞っていたので、艶っぽい、色気のある面白エピソードは特に無かったと書いてある。そしてそんな光源氏のことを、交野の少将は笑っただろうという。

この交野の少将っていうのは、平安時代に流行ってた物語に登場する架空の主人公です。交差点の交に野原の野で交野。少将っていうのは、平安時代の貴族の官職の一つで、少ないに将軍の将と書きます。

交野の少将のお話は、枕草子にも名前が出てきたりしているんですが、残念ながら散逸しており、現存していません。ただ、他の作品に引用されている記述をつなぎ合わせてみると、次のような内容を読み取ることができます。

高貴な家柄に生まれた交野の少将は、京中の女性からもてはやされる存在だった。彼は恋文にも繊細な心遣いを忘れず、彼の手紙を受け取ればどんな女性も魅惑され恋のとりこになってしまった。多くの恋人の中には人妻もまじり、帝の妃とすら関係を持つことになった。

と、こんな感じですね。最強無敵のプレイボーイなんですよ、交野の少将って。「みやこのうちに、女といふ限りは、交野の少将めで惑わぬはなし」って言われてますからね。それに比べたら、光源氏ってやつは世間体を気にしてまじめに振る舞うような男だから、そんなに面白い話も出てこないですよって書いてある。これは三つの点で興味深い記述です。

一つは、交野の少将もまた、光源氏と同じように、実在する人物として語られていることが面白い。

そしてもう一つは、交野の少将を引き合いに出すことで、あんまり刺激的な話は語れませんよって謙遜しようとする姿勢が読み取れる。ああいう面白さは期待しないでくださいねっていう、紫式部の声が聞こえてくるようです。

しかし一方で、自分が描こうとしているのは、交野の少将を超えるような、リアルなヒューマンドラマなんだっていう、作者の自負みたいなものも、ここからは感じられますね。だって実際問題として、平安貴族の恋愛なんて、世間体のしがらみまみれじゃないですか。そこを無視して、とにかくめちゃくちゃモテました、と語っても現実味がない。

そう考えると、光源氏ってすごく繊細微妙な描かれ方をしてるんですよね。見た目や才覚には恵まれてるんだけど、生まれは複雑だし、結婚生活うまく行ってないし、光る源氏なんて呼ばれてご立派な感じだけど、よくない噂とか評判を語る人もいて、でも実際はすごく世間を憚っている。この一筋縄ではいかない人物造形が、源氏物語のリアリティであり、魅力なんですよね。

では、続きを読んでみましょう。

まだ中将などにものしたまひし時は、うちにのみさぶらひようしたまひて、おほいどのにはたえだえまかでたまふ、しのぶのみだれやとうたがひきこゆることもありしかど、さしもあだめきめなれたるうちつけのすきずきしさなどは、このましからぬ御本性にて、まれには、あながちにひきたがへ、心づくしなることを、御心におぼしとづむるくせなむあやにくにて、さるまじき御ふるまひもうちまじりける。

さっきは交野の少将を紹介しましたが、今度は中将という言葉が出てきましたね。ここで軽く、平安時代の武官について話しておきましょう。

平安京の治安を維持する武力担当の仕事っていうのが当時あったわけなんですけど、これは兵衛府、衛門府、近衛府っていう三つの分担に分かれていました。共通している「府」は鎌倉幕府の「府」です。これは役所って意味の字ですね。

兵衛府は、兵隊の兵に、人工衛星の衛の字を書きますが、衛には「守る」って意味があります。「防衛する」って二字熟語は今でも使いますね。次に衛門府。これは防衛の衛に朱雀門とか南大門とかの門を書きます。

この兵衛府とか衛門府の人たちが内裏の門を守ったり周辺警備していたのに対して、近いに衛と書く近衛府は、内裏の中、帝の生活空間をすぐ側で警護することが仕事でした。そう言われると、めちゃくちゃ重要で、高い戦闘能力が求められるように感じるかもしれませんが、実態はむしろ逆でした。

なんだかんだ言って、平安時代って平和なんですよね。内裏の中まで攻め込んでくる外敵とかいないんです。だから頑張って守る必要とかあんまりなくて、近衛府には大将、中将、少将っていう偉いポストがあったんですけど、これらは帝の側で上流貴族と社交を楽しむことが仕事みたいな役職になっていきました。

恋愛ばっかりしていた交野の少将だって少将ですし、伊勢物語の主人公として描かれた在原業平も、近衛の少将や中将を務めています。ラブストーリーの貴公子といえば近衛府なんですよ。

特に中将は、生まれのいいお坊ちゃん貴族が若い頃につくポストの定番みたいになっていった。左大臣家の嫡男にして右大臣家の婿である光源氏の義理のお兄さんいたじゃないですか。彼は中将です。そして、彼より少なくとも四歳以上若いはずの光源氏も、この時点ですでに中将になっている。

ちなみに、帚木の話が始まった時点で光源氏が何歳だったかってことは、本文中に明記されていません。ただ、一般的には10代後半、十七歳十八歳くらいだっただろうと読まれていますね。この年齢で中将に就任するのは、現実の貴族社会の常識からするとかなり若い。そこにまぁ、光源氏という青年のアンバランスさというか、危うさを読み取ることもできそうです。

では、本文に戻りましょう。

当時近衛の中将だった光源氏は、ずっと宮中にばっかりいて、左大臣家の屋敷にはほとんど出向かなかったと書いてある。これは、桐壺の巻のラストから変わっていませんね。彼は妻である葵上とは馴染めなくて、もっぱら内裏の中に暮らし、恋慕っている藤壺の女御との接点を探す日々だった。

そんな彼に対して、「しのぶのみだれや」と疑う人もいたって書かれているところが面白い。これ、そのまま読むと意味不明なんですけど、実は伊勢物語の引用なんですよ。

伊勢物語は、以前藤原高子とか恬子内親王に関するお話だけを紹介しましたけど、他にも有名なエピソードがいくつかあって、今回引かれているのは、一番最初、伊勢物語第一段の内容です。

むかし、男、初冠して、奈良の京、春日の里に、しるよしして、狩にいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、かいま見てけり。思ほえず、古里に、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。

昔、元服したばかりの男がいましたと。元服っていうのは男性の成人式のことで、何歳で元服するかは結構個人差があったんだけれど、基本的には10代半ばで行います。

で、彼は貴族だから奈良の春日ってところに土地を持っていた。今でも、東大寺の近くに春日大社ってありますから、あのあたりのことなんでしょうね。

男はその春日の里に狩をしにいった。するとそこには、とても美しい姉妹が住んでいた。なんで美しいってわかるかというと、偶然生垣の隙間から覗き見をしてしまったからなんですね。これを垣間見、といいます。平安時代の女性は基本的に人前へ姿を出しませんから、垣間見ることでしか姿を確かめようがありません。

この姉妹との出会いは、男にとって思いがけないものでした。奈良っていったら、旧都ですからね。かつてに都に過ぎない場所に、まさかこんな素敵な女性たちがいるなんてってことで、すっかり夢中になるわけです。では、続き読んでみましょう。

男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、信夫摺の狩衣をなむ、着たりける。

春日野の若紫の摺衣しのぶの乱れかぎり知られず

となむ、おいづきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ、

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに

といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやき雅をなむ、しける。

姉妹への恋のアプローチとして、男は歌を贈ることにする。そのとき彼は、自分が着ていた服の裾を切って、そこに歌を書き付けました。彼の衣は信夫摺っていう模様の布でできていたので、そこにひっかけて、「春日野の若紫の摺衣しのぶの乱れかぎり知られず」という歌を詠んだ。

春日野の若々しい紫草のようなあなたがたの姿を見て、この信夫摺の衣の模様みたいに、私の心は限りなく乱れてしまっています。というような感じですかね。

若紫というのは、一説によれば、当時染料に使われていたムラサキソウっていう植物のことを指します。滅茶苦茶小さい白い花を咲かせるんですけど、この和歌を読む限りでは、魅力的な女性と重ね合わせられるような、可憐な植物としても認識されていたみたいですね。

あと、信夫摺っていうのが具体的にどういうものなのかについてははっきりし難いというか、結構難しい部分があるんですけど、この和歌の中では、恋に乱れる心のような、乱れた模様の衣だとされています。

で、面白いのは、こういう男のラブレター作戦を、伊勢物語の地の文が「おいづきて言いやりける」って表現してるところですね。大人ぶった、背伸びした振る舞いだっていうんですよ。元服したばっかりの、若い男がね。おしゃれだと思って、咄嗟に衣を千切ってやったんだと。

本文では、彼のこの振る舞いには典拠があると書かれていて、それが、百人一首でも有名な次の和歌です。

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに

陸奥の名産とされる信夫もぢ摺のように、私の心は乱れてしまいました。あなたでなければ、誰のためにこうも心揺らされるでしょうか。って感じの歌でして、ここで出てくるしのぶもぢ摺っていうのと、さっきでてきた信夫摺が果たして同じものを指すのかってことについては色々考えなきゃいけないんですけど、それはひとまず置いておきましょう。とにもかくにも、こういう歌が先にあって、それをお手本に熱く恋を仕掛けようとした、若い風流な男がいたんですよってエピソードでした。

これを、源氏物語は引用してるわけです。「しのぶのみだれ」ってフレーズを盛り込むことでね。光源氏って元服と同時に葵上と結婚したけど、全然彼女の家に寄り付かないいじゃんと。それってもしかして、伊勢物語の若い男みたいに、ちょっと垣間見ただけの女と、どこかで恋を燃やしてるからじゃないの?って、疑う人もいたというんですね。

ただし、ここは結構慎重に読むべきところで、本文中だと「しのぶのみだれやとうたがひきこゆることもありしかど」って書かれているから、疑うって動作には尊敬語が使われていません。つまり、身分の高い葵上とか左大臣とかが疑っていたわけではない。女房とか、下々のものたちの勝手な噂として疑われていたに過ぎないって話なんでしょうね。

そして本文は、「さしもあだめきめなれたるうちつけのすきずきしさなどは、このましからぬ御本性にて」と続きます。色々噂はあるようだけど、実際のところ光源氏っていう男は、世間にありふれてる軽率で浮気な色恋沙汰っていうのは好まない性分だったんだと書いてある。

これがね、実は結構挑戦的な書き振りでして、軽率で浮気な色恋沙汰を描いた代表選手みたいな作品が伊勢物語なんですよ。いや、まぁ、軽率とか浮気とか、現代語を当てはめてしまうと微妙にニュアンスが違うから語弊があるんですけど。伊勢物語ってオムニバスラブストーリーだから、主人公の男が、いろんなところでいろんな女性と恋愛してるんですね。しかも、エピソード同士にあんまり結びつきがないから、前の相手のことなんてまるでなかったかのように次の恋が描かれている。

そういうラブストーリーと私の物語は別物ですよってことを、紫式部はこっそり宣言します。光源氏には親から引き継いだ文脈があるし、平安貴族社会に生きる者としての社会性もある。色んなことを意識して憚りながら生きてるし、本質的には恋愛面でも軽率な人じゃない。ただ、そうはいっても人間だから、心のコントロールが効かないことがゼロではなくて、そういう折には、けしからん振る舞いをやらかしちゃうこともあるよね、そこが彼の悪い癖なんだよね、と書いてある。

この、矛盾も含めた生身の人間と、連続性を保った一つの社会を描こうとしているところが、源氏物語の魅力であり、紫式部の凄さですね。交野の少将とか伊勢物語とか、既存の物語をこえたヒューマンドラマを描こうとする作者の気概が、箒木の冒頭からは窺われます。

この次に、有名な「雨夜の品定め」というシーンが描かれるのですが、そこを語りだすと長くなり過ぎてしまうので、今回はここまでにしておきましょう。

ではでは、お疲れ様でした。また次回。


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