源氏物語の話18 愛の駆け引きとしての出家

第二帖「帚木」⑥/もう性格以外どうでもいい/愛の駆け引きとしての出家/尼削ぎ/葵の上の兄としての中将/光源氏の狸寝入り/蜻蛉日記/藤原道綱母/女房じゃない女性の文学/藤原兼家/最初の妻、時姫/道綱の元服/これで最後かもしれない/愛されたいと望み続けること/受領の娘/出家未遂事件/若い二人の思い出/疲れ果てて泣き出す道綱/藤原道隆の来訪/あまがえる/きはめたる和歌の上手/息子のラブレター母親が書く/和歌を作れるということ

【以下文字起こし】


源氏物語解説の第18回です。帚木の解説としては六回目になります。


相も変わらず雨夜の品定の場面が続くのですが、今回紹介する場面を自分で読んでいて、とても面白い、というか、嬉しい発見があったので、それを頑張って伝えてシェアすることが、今日の目標です。早速本文を読んでいきましょう。


前回我々は延々左馬頭の話を聴いておりまして、何が話題になっていたかと言いますと、妻選び、特に、同居して生活を世話してもらうような、頼れる正妻選びについて話していました。加えて、その妻とか正妻とかってことに関して、研究者の中でも結構色んな説があるんですよ、って説明もしましたね。


あーだこーだ言っても結局、どういう女性を頼みにすればいいのか結論を出せなかった左馬頭は、もうこうなったら、贅沢言わない、性格以外全部どうでもいい、って、極論を述べ始めます。


身分の良し悪しも気にしないし、ましてルックスなんて論じるつもりもない。本当に残念な捻くれ者はごめんだけど、ただただ誠実で落ち着いた女性だったら、もうそれでいいんだと。そこだけ見て選んだ上で、もし他にも優れた資質や才能があったとしたら、それは幸運な儲け物だし、別に不足するところがあったとしても、無理な要求はしません、と、左馬頭は語る。


これねぇ、現代人の我々からすると、そらそーだろと言うか、一方的に色んな条件求める方がおかしいだろって感じなんですけど、当時の平安貴族からすると、身分とか家柄すらどうでもいいって思えるのは、結構すごいと言うか、ある種の境地に到達した感がありますね。


もうとにかく人間性さえ落ち着いてて安心できたらいいんだと。そりゃ確かに風流心みたいな教養も大事だけど、そんなもん、上辺だけなら後から身につくだろ、いけるいける! って、左馬頭は割り切って見せる。


そしてここから彼は、むしろ、変に芝居ががかった劇場型の女性こそ始末に悪いから、とにかく落ち着いた人がいいよね、という話を展開します。


男女関係の中で、相手に恨み言を言いたくなるときって当然あるわけなんですけど、そういう想いは日々の暮らしの中でさりげなく伝えてくれたらいいのに、溜め込んで、爆発させて、もうゾッとするような、え、そんな酷いこと俺に対して考えてたの、みたいな言葉とか、やたら哀れっぽい和歌とかを残して、形見になるような、自分を思い出させる品なんかをわざと置いといてね、その上で、深い山奥とか辺鄙な海辺とかに姿を隠してしまう女性がいるんだと。


そういうの、フィクションだったらいいですよ。左馬頭も、自分が子供の頃、女房たちがそういう物語を語ってくれるのを聴いて、感動してね、よくぞそこまで思い詰めたものだな、切ないなぁって、涙を流したことがあると言っています。


だけどそれ、大人になってから現実的に考えたら、わざとらしくて軽率で呆れるよね、と彼は語る。


たとえ当面、今現在辛いことがあったとしても、男の気持ちが自分から本当に離れてしまったわけじゃないってことは、見ててわかってるはずなのに、そこから目を逸らして逃げ隠れして、相手を困らせて、試し行動で自分への気持ちを確かめようとしているうちに、一生後悔するような結末を迎えてしまうというのは虚しいことです。


そうやって逃げ隠れしているときに、「よくぞそこまで決心しましたね」なんて言って、ほめそやしてくれる人がいたら、気持ちが一層盛り上がるもんだから、そのまま出家して尼になってしまうこともあると。


思い立ったすぐは、何だか心がスッキリして、もう俗世間なんてどうでもいいやって感じになれるかもしれないけど、知り合いが会いにきて、「まぁ、なんて悲しいことを」とか、言ったりしてね、あるいは、まだ心底憎しみ切れてはいない、好きだって気持ちが残っている夫が、出家の事実を聞きつけて涙を流してくれたりすることもあるだろうし、それを見た召使たちが、「旦那様泣いてましたよ」と、「あんなに情け深い、あなたのことを想ってくださる方がいらっしゃったのに、なんて勿体無いことを」なんてね、言ってくるかもしれない。


でも、今更遅いですよね。当時の女性は出家すると髪を切りました。別に男性のお坊さんのように全部剃ってしまうわけではなかったんですけど、尼そぎって言ってね、セミロングというか、肩くらいの長さでばっさり切ってしまう。現代人の感覚だと、それでもちょっと長めのヘアスタイルかなって感じですけど、当時の人はもともとの髪ががめちゃくちゃ長いですから、肩の高さで切り揃えるだけでも凄まじい喪失感があるわけですよ。


だから芝居が勝った振る舞いとして、その場の勢いで出家しちゃった女性は、後から悔やんで、自分の髪に触れてね、もう取り返しがつかないんだって、涙を流したりしたでしょう。そうやって後悔するのって煩悩だから、せっかく出家したのに心の雑念全然消えてないわけで、仏教的な観点から見ても、かえって良くないですよね。むしろ出家しちゃったせいで、死んだあと変な地獄に落とされるかもしれない。


あるいは、まだ二人の縁が切れていなくて、出家してしまう前に見つけ出して連れ戻せたとしても、そういう事件があったって過去は消えないし、その後の関係にも影を落とし続けるでしょう。


夫婦っていうのは、いいことも悪いこともあるけど、危機的な状況を含め、互いに我慢しながら寛大にやり過ごしていくからこそ、運命的な繋がりの深さを感じられるのであって、いっときの高ぶりで逃げ出して出家騒動なんて起こしてしまったら、もうそのあとは、お互いのことを信じられなくなってしまいます。


夫が多少、他の女性に心を移すことがあっても、それを恨んでムキになって喧嘩するっていうのは愚かなことです。これ、言ってるのは全部左馬頭ですよ。


そうやって他の相手に目移りしたとしても、男っていうのは初めて恋をしたときの気持ちはちゃんと覚えてて、この人のことも蔑ろにしたら悪いなって想いを抱くものだから、変ないざこざを起こして本当に縁が切れてしまうのは残念なことだよねと、彼は語る。


とにかく穏やかな方がいい。恨み言は何かしらあるだろうけど、それも露骨にぶつけるんじゃなくて、それとなく仄めかしてくれたら、かえってそういう女性への想いは増すものです。夫の浮気心っていうのは、妻のやり方次第でおさまるんだと、左馬頭は言う。


ただし、あんまり無闇に放っておくと、それはそれで不味くて、確かに男からは安心できる可愛い女だって思ってもらえるんだけど、裏を返すとそれは、女性自ら自分のことを軽く扱うように仕向けているようなものだとも、語られている。


ここまで聴いたところで、中将が話を受けます。彼、頷きながら何を言ったかといいますと、


世間一般とは違う魅力を持った、今現在まさに、心から愛おしいと思っている女性が、しかし信頼できない、生涯を任せ切れない疑わしさがある、というのが一番大変でしょう、というようなことを彼は言う。ここ、訳し方に諸説あって本当は難しいところなんですけど、今回は単に、今この瞬間恋心としては惹かれているけれど、人生レベルの長い目で見たとき現実味を帯びない、不安なところのある女性って困るよね、という意味で取っておきましょう。


あとでわかることなんですけど、この発言は中将の実体験に基づいたものなんですよ。そしてそれと同時に、うちの妹は安定感あるぞ、って、光源氏にアピールするニュアンスもある。


自分自身は夫として過ちがないように心がけ、妻の側の落ち度は多めに見て、その欠点を段々矯正していけば、どんな相手とも添い遂げていくことは理論上可能ですが、まぁ現実はそう甘くもないでしょう。


いずれにしても、夫婦関係を続ける以上、仲違いのタイミングは必ず訪れますが、寛大な心でじっと人望していく他、良い手立てもありますまい。


中将がこう語ったあと、本文では、「我が妹の姫君は、この定めにかなひ給へりと思へば、君のうちねぶりて、言葉まぜ給はぬを、さう〴〵しく心やましと思ふ」と書かれています。


中将の妹、葵上っていうのは、別に資質面で欠点のある女性ではないんですよね。いいところのお嬢様で教育も行き届いているから、いっときの感情で暴走するタイプじゃないし、夫を世話する能力もちゃんとある。ただ、性格的に近寄りがたい部分があって光源氏とそりが合わないってだけだから、安定感という面で言えば、これまで男たちが議論してきた理屈から見ても高く評価されていい妻です。


だから兄である中将は、どうだ光源氏、だんだんうちの妹のことがありがたく思えてきただろ? って感じで義理の弟を見るんですけど、なんと光源氏は居眠りしてるんですね。これは多分狸寝入りで、中将がコメントを求めてくるのがわかってたから、何にも言わなくて済むように寝たふりしてるわけです。中将はそれを見て、焦ったくがっかりする。このあたり、男同士としては親友なんだけど、同時に上手くいっていない夫婦とその兄貴でもあるという、二人の独特な距離感が感じられて、面白いところです。


ここまで話したところで余談に移りたいんですが、今回出てきた、愛の駆け引きとして出家を試みる女性っていうのは、どうやら元ネタとなった現実のエピソードがあると言われていて、それがどこに出てくるかっていうと、蜻蛉日記なんですよ。


蜻蛉日記というのは、藤原道綱母という女性が書き記した日記文学です。なんでそんなまどろっこしい呼び名やねんって、思うでしょ。藤原道綱母。これには理由が二つある。


まずそもそも、当時の女性というのは基本的に本名を公開することがなかったから、記録に残っていない。誰それの娘とか誰それの母っていう情報しか残らない。中宮定子とか中宮彰子みたいな名前わかってる女性は例外なんですよ。


そう言われると紫式部や清少納言はなんなんだって思うかもしれませんが、彼女たちは女房なんですよね。宮中で仕事してるから、個人名を呼ばなきゃ不便な機会がたくさんあって、でも本名使うわけにはいかないから、紫式部とか清少納言とかいう、現代人からすると変な感じの名前で認知されているわけです。


つまり何が言いたいかっていうと、この藤原道綱母って女性は、女房として働いたことがないんですよ。最初っから最後までずっと家にいて、妻としての自分、母としての自分だけで人生を終えている。


妻っていうのは、あれね、前回話した「一夫多妻制」と「一夫一妻多妾制」の議論を踏まえると、結構慎重に用いなきゃいけない言葉なんですけど、今回は蜻蛉日記主体の解説ではないから、細かい部分すっとばして、ふわっとした言葉遣いで説明しますね。


道綱母が誰の妻だったかと言いますと、彼女は藤原兼家の妻だった。これはビッグネームですよ。藤原道長の父であり、中宮定子や中宮彰子のおじいちゃんにあたる人物です。ただし、道長とか、中宮定子の父親である道隆とかを産んだのは、道綱母ではありません。そっちは時姫という女性が産んだ息子でして、彼女については、何回か前の源氏物語解説で話しましたね。


この時姫って女性が、おそらく兼家にとって最初の妻であり、同時に、最も重く扱われた妻なんですよ。道綱母は時姫よりも後にアプローチを受けて、しかも子沢山な時姫とは違って道綱一人しか子どもを産めなかったから、結婚生活全体を通じて終始、兼家からの愛に不安を抱えています。


おまけに兼家って結構浮気性というか、いろんな女性に手を出した人なので、ライバルが多くてヤキモキすることしきりだった。


学校の授業で習うときは、大体その、夫に対する不信感とか、他の女性への嫉妬とかを綴った日記なんだって紹介のされ方をされますね。あるいは、夫のことは諦めてひたすら息子へ執着した母親の記録だ、みたいに言われることもある。


これがね、めちゃくちゃつまらなそうで、私はすごく嫌いでした。子供の頃。蜻蛉日記がね。いや、こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど、単純に嫌だったんですよ、人の恨みつらみとか、ネガティブな感情を書き綴った日記なんて読みたくねーよって、思って。もちろん文学的に価値があることはわかっていますし、それを専門にして生涯かけてる研究者の方がいることも知ってるので、作品に対するリスペクトはあったんですけど、個人的な好き嫌いで言えば、ずっと苦手だった。


ところがですね、今回、出家する妻の話が蜻蛉日記由来らしいってことで、改めて読み返してみたら、めちゃくちゃ面白いんですよこれが。なぜかっていうとね、これまでずっと、雨夜の品定くだりを読んできたでしょ。男たちが好き勝手にわがまま言ってたじゃないですか。正妻にするならこういう女性がいいとか、こういう女性は危ないから深入りするなとか、夫に恨みがあるときはさりげなく言ってくれとか、ごちゃごちゃ抜かしてましたよね。


あれ読んだあと、逆に女性の側の日記読むと猛烈に面白い。かなり有能なんですよ、道綱母って。衣服の用意とか物凄く得意で、何度も頼まれてて、あー頼りになる妻ってこういうことかぁって思うし、同時に、男の側の厚かましさもわかるから、色々興味深い。あぁ、平安貴族の妻って、こういう仕事を押し付けられて、でもそこに誇らしさを感じたりしてるんだなぁとか、夫の振る舞いに対して、こういう気持ちだったんだなぁとか、喜怒哀楽が本当よくわかるんですよ。だから今、人生最高に蜻蛉日記が熱い。


これ凄まじい大発見なので、ぜひみんなに共有したいですね。多分世の中に、結構多いと思うんですよ。枕草子とか源氏物語に比べて、蜻蛉日記の魅力っていまいちピンとこないなぁっていうひと。もう大丈夫です。安心してください。源氏物語の雨夜の品定めを読んでから蜻蛉日記を読んだら、両方がめちゃくちゃ面白くなるから、それで解決です。


信じてください。本当に嘘じゃないので。ぜひ、なんらかの媒体で、蜻蛉日記を読んでみてほしい。あるいは、雨夜の品定めの解説が終わったら、一旦源氏物語の話を中断して蜻蛉日記の解説を収録しようと思うので、それ聴いてください。


詳しい話はそちらに譲るとして、ひとまず今回は、日記の中のどういう文脈に乗っかって、愛の駆け引きとしての出家事件が描かれるかってことだけ紹介して終わりましょう。


これはね、兼家が40代で、道綱母も30代半ばごろの話なんですけど、二人の息子である道綱が元服するんですよ。源氏物語読んでてもわかりますけど、元服って一大セレモニーじゃないですか。家族の中のビッグイベントなんですよね。で、このときは兼家も、道綱母のところで一緒に時を過ごすんですけど、彼女はそんな夫を見つめながら「こたみや限りならむ」と、思っていた。「これで最後かもしれない」という意味です。


というのも、最近ずっと、二人は疎遠だったんですよね。何十日も顔を合わせていなくて。一体何事だ? って思って、不安な日々を過ごしていたら、どうやら新しい女を捕まえてそこに入れ込んでいるらしい、ということが発覚する。


え!? って思うんですよ。読者もちょっとびっくりする。確かに兼家は浮気性で、若い頃はよその女に手を出して、時姫とか道綱母をヤキモキさせてたんですけど、今ってもう40過ぎてるじゃないですか。当時としては結構な年ですよ。そこでまた、若い色っぽい女に入れ込んでいるらしいって話が浮上するもんだから、まぁ彼女もショックだったでしょう。


実際はね、元服の後も、兼家は息子の面倒を見てくれていたし、仲直りしようという努力を見せるんですけど、道綱母の方は、それでも夫の言動の端々から不誠実さを読み取って、憎まれ口ばっかり叩くようになっていく。そうなると兼家だって気分悪いですから、一層疎遠になっていきますよね。道綱母の家の前を素通りすることも増えていって、彼女はどんどん精神的に追い込まれていきます。


ここで一つ、意外と見落とされがちな、だけどめちゃくちゃ興味深いことを指摘しておきたいんですけど、この道綱母って女性は、いつまでもずっと、夫に愛されたいと願ってるんですよね。これって、結構すごくないですか? 彼女30代半ばなんですよ。20歳ぐらいの頃に結婚したと言われているから、15年以上ずっと、もっと愛されたい、もっと愛されたいって、思い続けてるし、口にもそれを出している。


もちろん今だって、何十年も愛情を保ち続けている夫婦は存在すると思うんですけど、それを静かに胸の奥で保っているんじゃなくて、当たり前のように公言し続けられるっていうのは、結構特殊な愛の形だと思うんですよね。しかも彼女は、若い頃からずっと、兼家の浮気に苦しんでいて、憎んでは赦し、期待しては失望し、ってのを何回も何回も繰り返しながら歳を取ってるわけじゃないですか。もういい加減、うんざりして、気持ちを手放してしまってもいいはずだけど、彼女はそうじゃなくて、ずっとずっと、兼家からの愛を求め続けます。


さっき言ったように、『蜻蛉日記』という作品のことを、夫に見切りをつけて息子に執着する母親の日記だって紹介することがあるけれど、あれは嘘だね。彼女はいつまでも兼家の来訪を待っているし、たまに顔を合わせた夫が、自分の姿を見て失望してしまわないかどうか、絶えず気にしている。


もちろんそこには、愛が途絶えるってことに、実害が伴うからって面もあったでしょう。道綱母の家は受領階級の家柄でして、経済的な点で言えば、いうほど深刻に困ってはいなかったかもしれませんけれど。受領やってる親父だって、いつかは死にますからね。自身の先行きや、息子の前途を思えば、兼家に見放されるわけにはいかなかったであろうことも理解できる。


でも、実際に日記読んでみたらわかりますけど、明らかにそういう打算的な問題だけじゃないんですよ。一個人の感情としても、彼女はちゃんと愛されたがっているし、他の女に嫉妬している。


そしてだからこそ、思い余って、出家未遂事件を起こしてしまうんですね。ここからの顛末が面白いので、少し具体的に説明しましょう。


さっきも言ったように、新しい浮気先ができて疎遠になった兼家は、道綱母の家の前を素通りすることが多くなっていきます。でも、素通りするかどうかなんて、終わってみないとわからないじゃないですか。だから、兼家の乗った牛車が近づいてくるたびに、召使たちがソワソワ騒ぐんですよ。「来ました来ました、旦那様の車がこちらにいらっしゃいますよ」って。なんとなくイメージできましたか? 辛いですよねこれ。そうやって周囲が騒ぐたびに、道綱母は、今度こそ本当に私を尋ねてくれるかもしれないと思って胸ドキドキさせてるんですけど、実際は毎回素通りしていく。この繰り返しが彼女本当に辛くて、もうこんなとこで暮らしてるのが悪いんだと、家から離れて寺にでも篭れば楽になるだろうってことで、家出を決意します。


まず彼女は、思わせぶりな手紙とか和歌をしたためて、息子に託す。これをお父さんに渡しておいてくださいっていうんですね。この時点でもう、駆け引きでしょ。愛を試したがってるんですよね。


しかし兼家は冷静で、「あなたが私に文句を言うのはごもっともだけど、今の気候は山寺に籠るには暑すぎるから、やめといたら? 話し合うこともあるだろうから、今すぐそっちにいきますよ」とか書いた手紙を返してくる。それ見て彼女は一層気が急くんですね。くそー、本当に出ていってやるからなー、ということで、山の中にある寺へと向かう。


すると彼女ね、早速気が弱くなってくるんですよ。なぜかと言うと、同じお寺に、昔、兼家と二人で来たことがあるからです。その時は彼女が病気で、心配した兼家が、仕事を休んでずっとそばにいてくれた。そんなこと思い出しながら山登ってると、涙が流れてくるんですね。


お寺に着くと、留守番を頼んでいたはずの召使いが、必死に走ってやってきました。曰く、旦那様の使いの者が、奥様を引き止めるために家までやってきましたと。もうとっくに奥様は出発されましたと伝えたら、どういうつもりで山寺なんかにいくのか、兼家様は心配しておられたぞと言うものだから、私は奥様がこれまでどんな様子で苦しんでおられたか、そして、いかにして仏教の世界に救いを求めておられたか、ということを伝えてやりました! すると向こうは泣き出して、急いで旦那様へ報告しに帰ったのです! なんてことを言ってくるわけですよ。


これ聴いて道綱母は、やっべって、思うんですよね。この子考えなしに、大袈裟なこと言ってるんじゃないかと。多分兼家は、彼女が出家してしまうかもしれないってことを心配してるんですよね。でも別に、本人出家したくて来たわけじゃないんですよ。ただ、あの家で毎日暮らして、素通りしていく夫にヤキモキするのが嫌になったから、愛を試す意味も込めて家出したに過ぎない。だから二、三日したら下山するつもりだったのに、大丈夫かこれって、焦りを覚える。


そうこうしているうちに、兼家本人が迎えに来ます。ただ、彼はこのとき物忌期間中で、本来は外出禁止だし、お寺っていう聖域に近づくなんてもってのほかの状態だったんですよ。だから彼はお寺そのものには近づかず、ちょっと離れたところに牛車を停めて、迎えに来たよと連絡してきた。


ここで道綱母は、怒るんですよね。あなたなんて非常識なことするんですかと。物忌期間中に外出するなんて正気ですか。私はちょっと一晩お参りするつもりでやってきただけですから、さっさと帰ってください。みたいなことを、言ってしまう。


これは、よくなかったよね。本当は嬉しいくせにって、思いません? 物忌中にも関わらずすぐさま迎えにきてくれたことに満足して、一緒に下山すれば話早かったと思うんですけど、彼女はとっさに、夫のことを責めて、突っぱねちゃうんですね。まぁ、それだけ思い詰めていたってことでしょう。


そのあとも何度か、夫婦間でメッセージのやり取りをするんですけど、ここで面白いのは、伝達係を息子の道綱がやってることですね。さっき言ったように、兼家はお寺の建物に近づけないんですよ。だから、道綱母がいるところから100メートルくらい石段を下ったところで待っている。つまり道綱は、二人があーだこーだ押し問答してる間、何回も何回も100メートルの石段行ったり来たりしてるんですよ。真夏に。


ここ本当笑っちゃうんですけど、彼段々疲れ果てて、ボロボロになっていくんですよね。その様子を召使の女性たちも見てて、「あぁ、おかわいそうに」とか言ってるわけ。しまいに彼、父親から叱られちゃうんですよ。「だいたい、お前がしっかりお母さんのことを説得しないからこんなことになるんだぞ」とか言われてね、とうとうここで道綱は泣き崩れる。


だけど母親はもう、後に引けなくなってるから、「今更帰れません」って、断言しちゃうんですね。そこで兼家もうんざりして、「もう知らんぞ、わしは帰るからな」って言って、準備を始めてしまう。


息子の道綱も色々嫌になってるから、「私も父上の車に乗って帰ります。二度とここへは戻ってきませんからね」って、泣きながら出ていった。


これ困るよね。お母さんとしては、息子だけは自分を見捨てたりすまいって思ってたんだけど、そんなの親の身勝手というか、甘えだから、ムキになって黙ってる間に、みんないなくなってしまった。


でも結局、あとになって道綱だけ泣きながらお寺に戻ってくるんですよ。なぜかっていうと兼家に、「お前は私が呼ぶまで帰ってくるな」って、追い返されたからです。このあたりのバランス感覚が、兼家は本当に上手だと思いますね。ここで息子までいなくなってしまったら、彼女本当におしまいじゃないですか。関係修復のしようがないですよね。伊達に十五年夫婦やってないというか、痴話喧嘩に慣れてるなこの人って、感心させられます。


次の日、道綱母は兼家に手紙を出しました。内容は結構しおらしくて、昨日あなたが帰ってから、無事に夜道を戻れるよう仏様へ祈りました、とか、昔あなたと一緒にここへきたことを思い出して、とても懐かしい気持ちです、とか書いて送った。しかし、怒っていたのか単に忙しかったのか、兼家からの返事はありませんでした。


このあと、もともとの予定で帰ると決めていたタイミングが訪れるんですけど、そこで彼女はふと思うんですね。今頃都では、みんな私が出家して尼になったと噂しているかもしれない。だとしたら、今ここで山を降りるの気まずいな、と。


これもうダメだよね。この思考に取り憑かれてしまった人は、出ていくタイミングを永遠に見失うんですよ。結局彼女はこのあと何日間も、中途半端な状態で山寺暮らしを続けることになります。


そうこうしているうちに、いろんな人物が彼女を尋ねてきました。叔母さん、妹、そして、兼家からの使者がやってくることもありました。このシーン、なかなかピリついてて面白いので、詳しく紹介しましょう。


やたら騒がしい声が外から聞こえてきて、賑やかな感じがするから、道綱母は「あの人が迎えにきてくれたのかな?」って思って様子を伺うんですけど、兼家本人は不在なんですよ。で、代わりにやってきた使者たちが何するかっていうと、寺のお坊さんにお礼の品とかお金とかを渡しまくっていく。怖いでしょ、ここ。うちの奥方がどーもおせわになりましたーっつって、撤収準備してるわけです。


で、道綱母にも言うんですよね。私たちは兼家様の命令で来ましたと。兼家様は、「わしが行ったって無駄だろうから、君たちでご機嫌を取ってきなさい。それにしても、あの寺の坊主たちはよくもまぁ、あいつを受け入れてお経なんて教えてるもんだな。けしからん奴らだ」とおっしゃっていました。


こんな騒動をいつまでも続ける人が一体どこにいますか。世間の噂どおり本気で出家するのなら仕方ありませんが、兼家様に見放されて何のお言葉もいただけなくなったら、もう元の暮らしになんて戻れませんよ。兼家様はきっと、もう一度だけ直接会いにいらっしゃるでしょう。そのタイミングで下山しなければ、ひどい物笑となってしまいますよ。


こういうことを、兼家の代理としてやってきた女房が言いました。多分ね、ベテランの、冷静で落ち着いた女性が伝えてるんですよ。おまけに彼女は帰り際、道綱母の周りに仕えている人たちに向かって「あなたたち全員、兼家様からお叱りを受けることになりますからね。よくよく説得して、早く下山できるようにしなさい」って、怒鳴り散らしていきました。


こえーって、思いません? ここ本当、リアルな怖さがあって背筋寒くなるんですよね。おイタが過ぎるぞっていう、兼家の苛立ちが、ひしひしと伝わってくる。あえて女性を使者に立てて、女同士で現実的なことをピシャリと突きつけるのとか、上手いけど残酷だなぁって、思いますね。


でも、この夫あってこの妻ありと言うか、もはやここまでくると尊敬するんですけど、道綱母はやっぱり下山しないんですね。一応、自分の父親にだけはどうするべきかお伺いを立てるんですけど、彼も呑気なもので、「まぁ別にいいんじゃない、たまにはひっそり寺に籠るのも」とか返事してくるんですよ。何だこの親子って、笑っちゃうんですけど、とにかくこの出家未遂事件はもうしばらく継続する。


このあと彼女は、いろんな人から見舞いの手紙をもらいます。そしてまた、いろんな人が心配して直接会いにくる。ここで興味深いのは、藤原道隆が彼女を尋ねたことですね。


わかりますか、道隆。中宮定子の父親にあたる人物で、兼家と時姫の間に生まれた長男です。道綱にとっては母親違いの兄ですね。彼がわざわざ山奥の寺まで会いにきて、今までご無沙汰しておりました、とか言って真面目に挨拶してるんですよ。


そして道綱母も、昔、あなたがまだ幼い頃にお会いしたのを憶えていますか? なんて尋ねながら、思い出話に涙を流していく。なんかここ、イメージからちょっとずれててびっくりするんですよね。だって彼って、道綱母からしたら、自分のライバルに当たる他の女の息子じゃないですか。憎んでんじゃない? 嫌いだったんじゃない? って思うんですけど、案外冷静に、しみじみ語り合ってるんですよね。この辺りも、すごくリアルだなぁ、って、感じましたね。


そうやっていろんな人と語り合った末、とうとう下山の日が訪れます。再び兼家が迎えにくるんですよ。


彼はズカズカと寺の中へ押し入ってきて、母親の目の前で、息子の道綱に問いました。「どうかね道綱、こんな生活を続けていることをどう思うんだ」と。


そしたら道綱は、「とても辛いですけど、どうしようもないんです」と答える。


それに対して兼家は、何度も何度も「かわいそうに」って繰り返した後、道綱に帰り支度を命じました。すると道綱は猛スピードで動き回って、母親が持ってきていた荷物を全部車に詰め込んでしまいました。


その様子を、兼家はニコニコ笑いながら見ている。そして彼は妻に向かって、「部屋を片付けてしまったからには、下山しなければならないな。仏様に別れの挨拶を申し上げなさい。それが作法ですよ」とかなんとか、冗談混じりに宣告しました。


これでもう、ゲームセットです。道綱母は展開が早すぎて呆然としてるんですけど、そんなのお構いなしに撤収準備は完了し、全員で下山する運びとなりました。帰り道、兼家は笑いながら何度も冗談を飛ばしたと書いてあります。


こうして結局、道綱母は尼になることなく、出家未遂の段階で元の暮らしへ戻っていきました。この事件の後、兼家は彼女のことを「あまがえる」というあだ名で呼ぶようになったそうです。これ、意味わかりますか? 尼さんになろうとして結局帰ってきたから「あまがえる」です。なかなか皮肉が効いていますね。


この事件はおそらく、当時の貴族社会全体が共有したスキャンダルだった。だから紫式部はそれをネタにして雨夜の品定めを書けたし、源氏物語を読んだ読者の人たちも、ああ道綱母の事件のことねって、読みながらクスリと笑ったことでしょう。


紫式部の書き振りは、道綱母に対して結構批判的なようにも思われますが、皆さんは、彼女の行動をどう思いますか?


息子が大事な時期なのに他の女捕まえて疎遠になっていく夫に対してね、結構体張って不満をぶつけたわけですけれど、ようやった! そうやって困らせてやったらいいんだ! って、思いますか?


私は今回、改めて蜻蛉日記を読んでいて、ちょっと奇妙な感感覚を抱いたんですよね。


それは、この人、もしかして、結構幸せな人だったんじゃないか? ってことです。


確かに彼女は、夫と自分の関係に十年以上苦しみ続けています。けれど兼家は、彼女のことを一定のレベルでは尊重し続けていて、喧嘩はするんだけど、喧嘩しっぱなしには絶対しないんですよね。程よく疎遠になった頃合いで、仲直りの手紙を必ず送っている。


もちろん、今回の出家未遂事件を見たらわかるように、最終的な生殺与奪を兼家の側が握っているという、パワーバランスの非対称性は否定できません。しかし彼女は、そんななかでも精一杯、あの手この手で夫と渡り合ってる感じがするんですよね。


特に大きかった、蜻蛉日記を読む上で必ず意識しなければならないのは、彼女が当代随一の女流歌人だったということです。彼女って、勅撰和歌集に30首以上歌を取られているんですよ。これは凄まじいことです。当然、百人一首にも名を連ねている。


『大鏡』っていう歴史物語には、彼女のことを「きはめたる和歌の上手」と褒め称える記述が残っています。だから、今回はほとんど省略しましたが、『蜻蛉日記』を読むと、彼女と兼家の歌のやり取りが山ほど出てくる。平安時代の男女って、こんなにもたくさん歌のやり取りをするのかと感動するほどです。あんまり多いから、これってもともとは日記じゃなくて、和歌集にするつもりで書いたんじゃないかって学説も存在します。


歌の上手さを証明するエピソードもあって、周囲に代作を頼まれたり、屏風絵に添える歌を依頼されたりもしています。あと、これ衝撃的だったんですけど、年頃になった道綱が若い女性と恋愛してるとき、息子の代わりに彼女が和歌詠んでるんですよね。めちゃくちゃ面白くないですか、息子のラブレターお母さんが代わりに書いてるんですよ。何だそれって感じですけど、その方がマシだって思われるくらい、彼女は歌の達人だったんですね。


で、なぜこれが大事なのかというと、彼女腹立ったら、腹立ったって気持ちを和歌に込めてぶつけてるんですよ。そしてしばしば、それを直接兼家へ送りつけている。寂しかったら寂しいって和歌を詠み、悲しかったら悲しいって和歌を詠んでいる。それに対して兼家は、ごめんねって返事することもあるし、まぁまぁって宥めることもあるし、そっちがいつまでも機嫌悪いからこっちも気分悪いんだよって、反論することもある。感情の発露と、夫婦間のコミュニケーションが成立してるわけです。


『蜻蛉日記』を読んでいると、和歌を作れるということ、感情を言葉に表し、他者へ届けられるということが、いかに恵まれたことだったか思い知らされます。彼女は言葉を持っていた。けれど彼女は卓越した、例外的な存在だったから、当時、多くの女性たちは、彼女と同様の怒りや悲しみを、どうすることもできないまま一人で抱え続けたことでしょう。


そういうことを考えながら雨夜の品定めを読むと、また色々深みが増してくるんですよね。ぜひ皆さんも、一度『蜻蛉日記』を読んでみてください。あれはね、一部のエピソードだけ取り出して読むと、誤解してしまう作品だと思います。一言一言だけ読むと、死にたいとか出家したいとか書いてて、かなり大袈裟な感じなんですけど、最初っから順番に、夫婦のコミュニケーションの歴史を辿っていくと、そう単純な話でもないなってことが、段々わかってきます。もちろん私は、『蜻蛉日記』の専門家ではないので、全然見当違いなことを言っているかもしれないですけどね。


ではでは、お疲れ様でした。また次回。

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