源氏物語の話14 雨夜の品定め

第二帖「帚木」②/五月雨と物忌/宮腹の中将/義兄であり親友でありライバル/男同士の女性談義/かたかどもなき人はあらんや/上流中流下流/吉村研一「源氏物語において『ほほゑむ』の果たした役割 『ゑむ』と『ほほゑむ』の違い」/ほほゑむ人としての光源氏

【以下文字起こし】

源氏物語解説の第14回です。箒木の帖の解説としては二回目になります。

今回から、有名な「雨夜の品定め」のシーンについて話すんですが、これがねー、思った以上に面白くて、考えることが色々あったので、一回では終わりそうにありません。何回かに分割して、ゆっくり扱おうと思います。

本文どう始まるかっていいますと、

なが雨はれまなき頃、うちの御物忌さしつゞきて、いとゞながゐ侍ひ給ふを、おほいとのにはおぼつかなくうらめしくおぼしたれど、よろづの御よそひ、なにくれとめづらしきさまに、調じ出で給ひつゝ、御むすこの君たち、たゞこの御とのゐ所の宮仕へを勤め給ふ

なが雨っていうのは五月雨のことですね。さみだれって「五月の雨」と書きますが、これは旧暦の五月ですから、今で言うところの梅雨シーズンなんですよね。雨季に振り続ける雨のことを指します。

そういう季節に、宮中では物忌が何日も続いたと書いてある。物忌というのは当時の文化としてはかなり重要なもので、いつか詳しく話す日が来ると思うので今回はさらっと説明しますが、陰陽道的判断に由来する謹慎のことを物忌といいます。

理由もさまざまで程度の大小もあるから説明しづらいんですけど、とにかく今日は縁起が悪いから出歩かないほうがいい、人と会わないほうがいいってタイミングが平安人の生活にはあって、行動を制限されるんですよね。物語なんか読んでると、嘘というか、自分の都合のいいように物忌期間中のフリをしてるだけなんじゃないの? ってこともしばしばあって、当時の人たちがどういう感覚でこの文化と共にあったのか非常に興味深いんですが、あまりにも奥が深すぎるので今回はこのくらいにしておきましょう。

要は本文で何を言ってるかっていいますと、雨が降り続いてるし、物忌だしで、光源氏がずっと宮中に閉じこもって出てこないって話なんですよ。すると誰が困るかっていうと、左大臣家が困る。娘婿が全然家に寄り付いてくれない。彼が12歳の頃に葵上と結婚して、今はもう10代後半なんだけど、いまだに左大臣家と馴染まない。

恨めしい話ですよね。滅茶苦茶大事に面倒見てるんですよ、光源氏のこと。なのに光源氏は恩知らずなやつでね、待てど暮らせど、たまにしか左大臣家へ寄り付かなくて、それでも健気に、一家をあげて世話し続けるんです。

今回だって、物忌中の光源氏のために、いい感じの衣服を準備してやったと書いてあります。あと、左大臣には息子が何人かいるんですけど、彼らは光源氏と共にあって、宮中でその世話というか、おもてなしをしていたようです。

ただ、左大臣の息子の中に一人だけ、光源氏と比較的対等な関係というか、親友みたいなポジションの男がいまして、それが「宮ばらの中将」と呼ばれる人なんですよね。宮腹っていうのは、内親王のお腹から生まれた息子だってことです。「内親王」が何かっていうのは、伊勢物語の解説でも話しましたね。左大臣は、桐壺帝の妹を妻にしていまして、彼女が産んだ息子がこの宮ばらの中将。そして同じ人の娘が、光源氏の妻である葵上です。

ここからさき、宮ばらの中将に関する説明が結構たくさん書かれているんですが、本文の引用は省略させてください。現代語で大まかに説明します。

彼は生まれが滅茶苦茶高貴だから、他の息子たちとは違って、光源氏にも親しげに振る舞えるんですね。一緒に遊んだり、男友達としてふざけあって戯れたりできる。

彼は左大臣家の嫡男であると同時に、右大臣家の娘婿になってたんだけど、そっちのことは鬱陶しがっていて、「すきがましきあだ人なり」と表現されている。「すきがましい」も「あだ」も、どちらも浮気者っぽいニュアンスがありますね。家柄のいい妻がいるのに腰の落ち着かないところは、光源氏からしても親しみやすかったようです。

彼が時たま左大臣家を訪れた時も、中将は自分の部屋で彼のことをもてなしたし、夜も昼も、ししょっちゅう一緒にいました。光源氏って才気あふれる神童だったから、学問とか音楽とか凄まじかったんですけど、中将もそれに負けず劣らぬ男だったと書いてありますね。

だから本当、血筋的にも、能力的にも、年齢的にも、光源氏と肩を並べられるのって彼くらいしかいなくて、ライバル的な側面も備えた親友として、二人仲良くやってるわけですよ。

そんな中将が、とある、静かに雨降る夜に、光源氏と二人でのんびり読書をしていました。場所は宮中の桐壺です。光源氏のお母さんが暮らしていた場所で、彼女の死後は息子である光源氏が引き継いでいます。

最初は大人しく二人で本を読んでいたんでしょうけど、途中から中将が、光源氏宛に届いた手紙類を見せてくれないかとせがみ出します。「近き御厨子なる色々の紙なる文どもをひきいでて、中将わりなくゆかしがれば」と書いてありますね。厨子っていうのは、収納機能と室内装飾を兼ねた背の低い戸棚みたいな調度品です。その中に、色のついた紙に書かれた手紙が収めてあったと。色がついてるってことは、事務的な手紙ではない、おそらく光源氏宛の恋文であろうということで、中将はそれを読みたがるわけです。

これに対して光源氏は、「さりぬべき少しはみせむ、かたはなるべきもこそ」と返す。「もこそ」って表現は、高校古文だと覚えておきたい表現ですね。「~すると困る」と訳します。差し支えのない範囲でちょっとだけ見せましょう。体裁の悪いものまで見られてしまうと困るから、って感じの返答になるかな。

けれど中将からすると、それじゃあ面白くない。男同士の恋バナしようぜって言ってるんですよ彼は。修学旅行の夜みたいなことしようぜって言ってるわけだから、光源氏ならではの、外に漏らせないようなスペシャルな手紙が見たいんだよって食い下がる。並一通りの恋愛なら中将だって経験してるし、型通りの恋文も見慣れている。そうじゃなくて、光源氏だからこそ受け取るような、本気の恨みや待ち遠しさが込められた恋文を見たいんだ、と中将は訴えるわけです。

結局光源氏は、厨子の中にしまってあった恋文をある程度好きに読ませたみたいですね。それは男同士の付き合いって面もあっただろうし、中将への信頼もあったかもしれませんが、何より、光源氏ってこのあたり抜かりのない人だから、本当の本当に大事な手紙は、こんな手近な棚の中になんか置いておかないんですね。だから、もったいぶって全部は見せられないって言いましたけど、本当は、ここに置いてある時点で、誰かに見られても深刻な問題には至らない文ばかりだったわけです。

それでもまあ、中将は喜んで読みましたね。読みながら、当て推量に差出人の名前を予想したりする。それは当たってたり外れたりしていたと書いてあるんだけど、光源氏は言葉少なにはぐらかして、ほどほどのところで手紙を没取しました。そして今度は、自分がオフェンスに回る。

「君の方にこそ、たくさん手紙が集まっているんじゃないのかと。私もそれを少し見たいなー、その上でなら、この部屋の厨子も喜んで開くんだけどなー」と、要は、こっちのことばっかり詮索しないでお前の方も手紙見せろよって迫る。

すると中将は困るから、「いやいや、お見せするほどのものなんてないですよ」って返しながら、矛先を逸らすために別の話題を展開していくことになる。何言い出すかっていいますと、

「をんなの、これはしもと難つくまじきは、かたくもあるかな、と、やうやうなむ見たまへしる」

っていう風に中将は語り出しました。非の打ちどころもない人だって断言できるような女性は、この世に存在しませんね。それが最近段々わかってきました。っていうんですよ。別に女性に限らず人間全般完璧超人なんていないので、何を当たり前のこと言ってんねんって話なんですけど、まぁそういうことを、わかった風な顔して喋りたい年頃なんでしょうね。

平安時代の恋愛ってセンスとか教養とか風流心の殴り合いみたいな側面あるんですけど、それみんな上っ面だけのハリボテだよねってことを中将は言う。そのくせ、自分がちょっと得意なことばかりめいめいに自慢して、他の人を見下すような「かたはらいたき」ことが多いと。

「かたはらいたし」っていうのは古語の単語帳だと意味がたくさんあって嫌われがちなワードですけど、よく言われる覚え方は、「かたわら」つまり傍にいるのが痛い、心理的に辛い、という理解ですね。

他者の行為に対して使えば、もうこんなの見てらんないよとか、聞いていられないよとか、みっともないなぁとか、腹立たしいなぁ、いたたまれないなぁ、とかいう訳になる。逆に、自分の行為に対してかたはらいたしを使うと、今の自分の近くで見てる人たちは、どんなネガティブな気持ちを抱いているだろうか、それを思うと気恥ずかしく、決まりが悪い、という意味になる。

あと、見てられない聞いてられないから転じて、気の毒で心苦しい、ってニュアンスでとることもありますね。例えば、桐壺の更衣が死んだ後の帝と、彼に対して当てつけみたいなことをする弘徽殿の女御に対して、周囲の人はかたはらいたしと思っていたようです。

兎にも角にも、ここで中将が言ってるのは、浅はかで見てられない女ばっかりだってことなんですね。このあたり、読んでて気分の悪い人も多いと思うんですけど、これ書いてるのは女性で女房の紫式部ですからね。それを念頭に置いて読むと、冷静に、興味深さを抱きながら読むことができるかな。

中将は続けてこんなことを言います。

親に絶えず付き添われて、大事に大事にされて、箱入り娘やってられるうちは、男の方としても、ちょっと噂を耳に挟むだけで、心動かされることがある。どういうことかっていうと、若いうちって見た目もいいし、差し迫った悩みもないから、おおらかでいられて、なにより暇なので、なんか一つくらい、取り柄と言えるような才芸を立派に磨き上げることもあるだろうって思うわけですね。

だから噂として、ダメな部分を隠して、いけそうなところだけさらに誇張して、良いように伝えられると、「そんなにりっぱなわけないだろ」って、理性的には推測できるんだけど、確証もなく否定して貶すこともできない。でも結局、評判を信じて付き合ってみると、いつもがっかりさせられるな、と。そういうことを、かなり感情込めて中将は語りました。

面白いのが、このときの中将の様子に、光源氏がちょっと圧倒されてるところですね。多分、よっぽど実感こもってたんでしょうね。なんか、こいつの恋愛経験すげーなってなって、光源氏の側はちょっと気後れする。

ただ彼も、自分の人生経験として、中将の言ってることがわかる部分もあるから、続きを促すために「かたかどもなき人はあらむや」と尋ねました。「かたかど」っていうのは、数少ないとりえ、くらいの意味ですかね。それすらない女性っているのかな、というようなことを問うている。

それに対して中将がどう答えるかっていうと、そんな人のところに誰が近づくでしょうか、っていう風に返している。つまり、中将の経験の範疇にそういう例はないってことですね。褒めるところが全くない残念な女性と、逆に素晴らしいなって心底思えるような優れた女性とは、どっちも同じくらい数が少ない、というようなことも彼は言っていて、だからまぁ、そのどちらにも自分はお目にかかったことがないと言いたいのでしょう。

で、高い身分の家に生まれた姫君っていうのは、たくさんの人に大切に世話されるから、例えば和歌が下手なら上手な女房が代作するだろうし、字が下手なら誰かが代筆してくれたりするので、欠点が覆い隠されてしまって、表面上、ものすごく素敵な人みたいに見えるんだけど、中流階級の娘だとこうはいかないよね、という風に話題が移っていく。

中流階級の場合、家で雇える女房の数や質も限界があるから、娘の全てをフォローすることはできなくて、その人本人の趣がよく見える。だから中流階級って数がたくさんあるわけだけど、それぞれの家、それぞれの娘でかなりはっきり差が出ますよと。これまたわかった風なことを中将が言う。

最後に、「下のきざみといふきはになれば、ことに耳たたずかし」とあって、上流、中流についで、下流の階級ってのもあるけど、これについては特別注意を向けてないからなんとも言えないね、と締めくくっている。

面白いのは、こういう中将の語り口に対して、地の文で「いとくまなげなる気色なるもゆかしくて」って書かれてることですね。「くまなし」も「けしき」も「ゆかし」も頻出単語だから、高校生になると意味がとれるはずなんですけど、「けしき」っていうのは様子のことですね。で、「くま」っていうのは、暗いところとか、光が届かず見えないところ、みたいな意味だから、くまなげなる気色ってことは、もうなんでも知ってるみたいな、女性について知らないことなんて何もないみたいな様子で語るもんだから、光源氏としては「ゆかし」、気になって心が惹かれたと書いてある。

面白いですね。光源氏って世間知らずなんですよ。なぜなら彼は最上級貴族だから。帝の息子で、左大臣家の婿だから。交友関係が実はめちゃくちゃ狭い。ハイソな世界から出たことがないから、宮腹の中将が語ってるような中流階級とか下流階級の女性事情がまったくわからなくて、興味を持つんですね。そこで、ここから先は階級別の女性、特に中流階級の女性について盛り上がっていくんですけど、それはまた、次回以降の話にしましょう。

残りの時間は、今回読んだ範囲の中で興味深い問題があったから、それについて語りたいんですが、さっき、光源氏が中将に、「かたかどもなき人はあらむや」と尋ねた場面があったじゃないですか。あそこ、本文だと、セリフの前に「うちほほえみて」って書いてるんですよね。

この微笑みって、受け取り方微妙じゃないですか? 男同士のノリで、ニヤニヤしながら中将の女性論に油を注いでいるようにもとれるし、そうではなくて、わかった風な口を聞いてる中将に対して、ちょっと呆れるような笑みを向けてる可能性もありますよね。

だから読むのに困って、どういう意味で光源氏は笑ったんだろうって思って調べていたら、面白いものを見つけました。吉村研一という、元々はバリバリのビジネスマンだったけど、途中で退職して文学研究の道に入られて、学習院大学の先生になられた方が2004年に書かれた論文です。「源氏物語において「ほほゑむ」の果たした役割 「ゑむ」と「ほほゑむ」の違い」というタイトルなんですけど、これ目の付け所が面白いですよね。

「ゑむ」と「ほほゑむ」って、どっちも声を出さずに表情だけ笑ってる様子を表す言葉なんですけど、もしかして紫式部って、この二つをかなり厳密に使い分けてない? ということに先生は気づいた。

そこで、作中の笑ってる描写を全部抜き出してみた。これは、古典文学研究あるあるですね。用例全部抜き出す。源氏物語ってめちゃくちゃ長い作品なんですけど、その全部をさらって、誰がどういう笑い方してるかってことの割合を出してみたら、光源氏は生涯で90回笑ったうちの39回が微笑む描写だった。そして、全ての登場人物の微笑みを集計しても69例しかなかったから、その過半数を光源氏が占めていることも分かった。つまり、明らかに光源氏はよく微笑む人物として描かれているってことなんですよね。

じゃあ、結局「ゑむ」と「ほほゑむ」はどう違うんだって話になりますが、吉村先生がこの論文を書いてる段階だと、先行研究では、「にやにや笑い」のことを「ほほゑむ」と表現していたのではないかと指摘されていたそうです。もう少し詳しくいうと、相手より自分の方が立場的に余裕があって、困っている相手を見て楽しんでいるときと、逆に自分の行動に引け目があってはにかむとき、この2種類のにやにや笑いが「ほほゑむ」だと言われていた。

でも、その分類には無理があるだろっていうのが吉村先生の立場で、用例全部分類してみたら、次の7つに分けられたと書いています。

一つ目が、あいてを嘲る笑い。二つ目が、からかいや冗談を含んだ笑い。三つ目が、照れ隠しや失敗を誤魔化す笑い。四つ目が、してやったり、って自分の仕事に満足したときの笑い。五つ目が、逆にしてやられたと、相手の上手を認めるときの笑い。六つ目が、同意だったり否定だったり、自分の意思を言葉に出さずに伝達するための笑い。7つ目が、恋心とかいとおしさとか、あるいはちょっとやらしい浮気心とかが胸に満ちたときの笑い。

結構色々ありますけど、少なくとも全部、反射的で単純な笑いではない。明るく無邪気なにっこり笑顔ではなくて、何かしら含みのある、人間的な笑みのことを「ほほゑむ」と表現しているらしい。

そして、源氏物語より前の時代の文学作品では、こんなにたくさん「ほほゑむ」描写は出てこないし、「ゑむ」との厳密な使い分けもなされていなかったらしい。ちなみに、同時代作品である『枕草子』は、笑う描写の割合が「ほほゑむ」1パーセント、「ゑむ」8パーセント、「わらふ」91パーセントだったと書かれています。極端すぎる。これもメチャクチャ面白いデータですよね。清少納言はけらけらクスクス声を出して笑う場面ばっかり書き残したけど、紫式部はもっと静かで微妙な、さまざまな心情のこもった「ほほゑみ」を使って、光源氏という人間の人生を表現しようとしたわけですね。

さっきも言ったように、この論文は2004年に書かれたもので、吉村先生のキャリア的にも、多分教授じゃなくて院生時代に書いたものだと思うし、その後も源氏物語の研究はいろんな人の手によって脈々と続いているので、この論文が最終的に導いている結論の妥当性については、読む人によって色々評価があるんでしょうけれど、少なくとも目の付け所やデータはとても興味深いし、『源氏物語』という作品の懐の深さというか、こういう楽しみ方もできるんだってことがよくわかる例だったので、最後に紹介してみました。研究って、面白いですよ。将来は文学部に行ってみませんか? 学生の皆さん。

それで結局、光源氏が今回中将に向かって浮かべた微笑みは、どう解釈するのがいいのかな? 結局難しいなぁ。ぜひみなさんも、箒木の冒頭を読んで、本文に目を通してね、自分なりの解釈を考えてみてください。ではでは、お疲れ様でした。また次回。


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