源氏物語の話4 桐壺って何?

桐壺=部屋の名前/七殿五舎/最低の部屋/父の死んだ姫君/母の孤軍奮闘/乳人の不在/遠距離恋愛の弊害/必然的なとんでもないこと/祝福されぬ誕生 ※桐壺の更衣の母について、音声では皇族出身説を語っていますが、ここは諸説わかれるところのようです。本文中の記述は「いにしへの人のよしある」で、皇族とは明言されていません。ただ、どこかしらの旧家名門出身であろうということは見解の一致するところです。


【以下文字起こし】

さて、源氏物語解説第4回ですね。前回はひたすら中国の歴史の話をして、どういう流れの中でどういう存在として楊貴妃って女性が出てきたのか説明をしました。実は、まだ楊貴妃自身の人生とか、皇帝との関係については全然話せていないんですが、それはまたもう一度楊貴妃の話題が本文中に出てきたタイミングで話をしましょう。

とにかくここで大事なのは、傾国の美女、国を乱して傾けてダメにする女性として楊貴妃は当時知られていて、彼女と重ね合わされるくらい源氏物語の冒頭に出てくる更衣っていうのは、その存在を危ぶまれていたってことですね。あの女と帝をこのまま放っておいたら、国がダメになっちゃうんじゃないかって貴族たちは心配していたって言うんですね。

さて、そろそろ話が煩雑になってきたので、いい加減源氏物語の帝と更衣のことを帝とか、皇位っていう単なる役職名、一般名詞だけで呼ぶのではなく、もう少し具体的な固有の呼び方で表現するようにしましょうか。

実はね、あるんですよ、ちゃんと。源氏物語の冒頭で帝から異常に愛されている更衣のことは、桐壺の更衣っていうふうに呼びます。桐壺の桐は、お花の、植物の桐、きりの花の桐です。で、壺っていうのは焼き物の壺ですね。何て言うんですか、お水が入ったり、お花が入ったりしてる壺ですね。容器としての壺です。

この桐壺って何なのかっていうと、これ場所の名前なんですよね。部屋の名前。これは皆さん知ってるかもしれませんが、当時基本的に女性が本名で呼ばれることってなかったんですよね。だから更衣は役職名立場の名前であると。で、桐壺は彼女にあてがわれていた内裏の中の部屋の名前です。その2つを組み合わせて、桐壺の更衣っていうふうに呼ばれていると。

この誰にどの部屋があてがわれるか問題っていうのは、源氏物語を読む上で実は非常に重要です。理解できるとすごく面白いので、ちょっと時間を取って説明しておきましょう。

これは以前話したことのおさらいになりますが、平安京の中で貴族たちが集まって働いていた宮城のことを大内裏っていうんだったんですよね。さらにその中でも帝の暮らすエリアのことを内裏っていうふうに呼んで区別をしていたと。内裏の南の方には貴族たちが帝に謁見するための部屋っていうのがあったんですよ。これのことを紫宸殿というふうに言います。もうね、これは漢字難しいのでいいです、頭の中に無理に思い浮かべなくても。ここで天皇としての政務が基本的に行われています。

※平安中期の紫宸殿はどちらかというと公的な儀式の場としての側面が強かったようなので、この説明は誤りです。

この紫宸殿よりもさらに奥、北の方にですね、帝のプライベートルームである清涼殿ていうのがありました。これはね、結構よく出るから漢字知ってたらいいと思うんですけど、清涼飲料水の清涼です。清らかに涼しい。で、殿は何て言ったらいいですか、お殿様の殿ですね。御殿の殿です。

この清涼殿というのがあって、更にその奥には、帝の妻たちが暮らす、いわゆる後宮。後の宮と書いて後宮と呼ばれるエリアが広がっていたと。そこに女房たちも住んだりしてたわけですね。

この後宮の各部屋というか、建物にはそれぞれ名前が付いていて、なんちゃら殿とかなんちゃら舎とかって呼ばれてたんですよ。それぞれ結構数があったので、全部ひっくるめて七殿五舎とかっていうふうに言われていました。数字の七に、さっきの清涼殿とか紫宸殿の殿です。数字の五に、舎っていうのはね、何ですか、学校の校舎の社ですね。これも建物とか部屋を意味する言葉でしょう。七殿五舎。このそれぞれにですね。名前とランクが付いてたんですよ。

これ面白いんですけど、まず七殿の方が歴史が古くてランクが高い。あとから作られた五舎っていうのはそれよりも低いランクに位置づけられています。で、さっきから話に出している桐壺っていう部屋はこの五舎の中に含まれています。

しげいしゃ、とか、しげいさ、って呼ばれる部屋があるんですよ。これちょっと漢字難しいんですけど、紳士淑女の皆様の淑の字に、景色の景を書いて淑景舎っていう風に読みます。この部屋のことを別名で桐壺っていうんです。なぜかって言うと、部屋の庭にね、桐の花が植えられていたからです。

で、これね、もう音声では説明のしようがないので、興味が湧いた人は是非ウィキペディアか何かで七殿五舎調べて地図見てほしいんですけど、この桐壺っていうのが、帝の部屋である清涼殿から一番遠いんですよ。北東の隅っこの方に位置しています。

だからランク一番低いんですよね、七殿五舎の中で。桐壺の更衣っていう女性は立地的にも格式的にも他に劣る部屋をあてがわれていた訳です。なぜなら、身分が低いから。

じゃあ、この桐壺の更衣っていう女性は一体どういう家の娘だったんだって話なんですけど、それを確かめるために本文の続きを引用してみましょう。

父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき御後見なければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。

これ何言ってるかって言いますと、桐壺の更衣のお父さんはまず大納言だったって言うんですね。左大臣右大臣大納言中納言少納言の大納言です。だからめちゃくちゃ低い身分ではない。場合によっては入内させた娘が女御になっているケースっていうのも歴史上いくつか存在しています。ただ、その父親の大納言は亡くなっているっていう風に書いてあるんですね。

で、ここでもう読者は「ああそっかー死んでるパターンかー」ってなる。「それはまぁ、更衣、だわなぁ」っていう風にね。これまで何回か過去話したことあると思うんですけど、平安貴族社会において大黒柱である父親が死んでしまうっていうことは凄いおっきな影響力を持つんですよね。例外は世の中幾つかありますから、源氏物語が成立してる時代の周辺を歴史紐解いてみたら、おやじが死んでからちゃんとその娘が女御として取り立てられるっていうケースもなくはないんですけど、それはレアケースですね。

後見っていう概念があるんですよ。これ、まさに後を見るっていう風に漢字で書くんですけど、要は後見人のことです。後見っていうのはね。この後見には2つの側面があって、そのうちの一つが物理的というか、財政的な後見なんですよね。これが親父が担当してる部分なんですよ。

何かしらね、宮中で姫君として、帝の妻として生活していくためにはお金かかってくる訳なんですけど、そのサポートをしてくれてるのは親父であって、これが死んでしまうと、金銭的につらい。金銭的につらいと宮中におけるいろんな社交の世界について行けなくなって、ああだめだよねって話になっていくと。

一方で、後見には精神的な面というか、教養とか知識的な面ていうのもあって、これについては母親とかあるいは乳母っていう育ての親みたいな女性が担ってくれるケースが多いです。だから、父親は死んでいったっていう話の後、母親はめっちゃ頑張ってたっていう話が源氏物語本文には来るんですよね。

どういう母親だったかっていうと、「いにしえの人のよし」ある女性だったっていう風に言うんですね。このいにしえの人のよしって何だって話なんですけど、どうもね、古い皇族の血筋の女性だったっていう風に解釈されてるみたいですね。源氏物語研究の世界だと。

※あくまで一説に過ぎず、諸説あります。

だからお母さんの血筋はかなりいいんですよ。そのいいところのお母さんが、おやじが死んだ後もめちゃくちゃ頑張っていたと。対比が示されていて、まだね、親がちゃんと生きていて、世の中の評判も名高いような凄い華やかな女御たち、身分の高い家の姫君たちに劣ることなく、いろんな儀式っていうのにも対応をしてたんだけれども、とりたててはかばかしき後見しなければってきますね。だからお父さん死んでるから、お兄さんのこととかも書かれてないですよね、だから、一族の中でサポートしてくれる男性が全然出てきてないから、事ある時はなおよりどころなく心細げだったっていう風に来る。

この事あるっていうのはね、臨時のイベントのことを指すんですよ。宮中の儀式とかイベントっていうのは定例の、毎年、この時期、この季節にありますっていうタイプのものと、何か突発的に開催されるものとの2種類があって、毎年あることが分かってるやつについては、お母さんが頑張って前々から準備して対応してくれてたんですけど、突発的に発生する臨時のイベントについては、何て言うんですか、お父さんがね、政治家として生きてたら何かそういうことそろそろありそうだなっていう、社会の流れみたいな情報をキャッチアップしてね、事前に準備をさせておくっていうことができるんですけど。お父さんなんせ死んでますから、そういう情報っていうのもなかなか届かなくて、急に準備を整えるだけの時間とか、お金っていうのが確保できなくて、つらい心細い思いをすることもあったって言うんですね。桐壺の更衣は。

あと、さっき後見の精神的な部分ていうのは母親とか乳母がフォローしてくれるんだって話をしたんですけど、この桐壺の更衣については、乳母がね、出てこないんですよね。お母さんっていうのは実家の里の方の家に住んでいますから、宮中で一緒に暮らしてるわけじゃないんですよね。姫君と一緒に宮中の部屋に暮らして毎日見守ってくれているのがまさに乳母なんですよ。その乳母が描かれていないっていうことは、宮中での暮らしにおいて、凄く不安で心細い生活っていうのを余儀なくされていたんだろうなって、読者は読み取れるわけです。桐壺の更衣についてね。

お父さんも死んでて、乳母もいなくて、ただ生まれが元皇族のお母さんだけが一生懸命頑張ってどうにかしてる状況なんだな、大変なところのお姫様だな、っていう風に読める。こういう女性が入内して帝の妻になって更衣として、内裏の中に部屋を貰ったと。で、その部屋が帝のプライベートルームである清涼殿から一番遠い桐壺だった訳ですね。

でね、この配置が上手いんですよね。源氏物語って。なぜかっていうと、この桐壺の更衣って帝から異常な寵愛を受けてる訳なんですよね。普通だったら、家のランクと連動したら姫君のランクに合わせたバランスで帝っていうのは女性のことを寵愛しなきゃいけないんだけど、この作品においてはもう自分の好意愛情赴くままに、一人の桐壺の更衣だけをひたすら寵愛していたと。

帝とこの妻の関係っていうのは、妻がね、呼び出されて帝の部屋に行くパターンもあれば、帝の方が妻の部屋に訪ねて行くパターンも両方あったんですけど、どっちにしろ最長距離を歩くことになるんですよ。桐壺に最愛の女性がいるとね。

するとどうなるかっていうと、例えばじゃあ帝が更衣の部屋に行くパターンでいうと、姫君の部屋を片っ端から素通りしていくっていう構図になるんですけど、これ分かりますか。帝が部屋から出てきた。歩いてどこかへ行っている。私の部屋に来てくれるかも、って。他の姫君たちは、より帝に近い部屋の中で思ってるわけなんですよ。ギシギシ、みたいなね、歩く音がして、私の部屋の前で立ち止まるかも立ち止まるかも立ち止まるかも、行っちゃった。っていうのがほぼ全員分繰り返されるんですよ。桐壺の高位の部屋って一番端っこですから、その間に他の姫君の部屋はあって、みんながっかりするんですよね。

みんな、私のところで立ち止まるかも来なかった、止まるかもかも止まらなかった、っていうのを繰り返して、ていうことは、きっとあいつの部屋だ、くそー、っていう思いを毎日毎日繰り返していると。

これね、帝の寵愛が順当だったら起きない現象なんですよ。帝の部屋に一番近いところ。だから姫君たちにとっては一番ランクの高い部屋のことを弘徽殿ていう風に言うんですけど、例えば弘徽殿の女御が一番頻繁に寵愛を受けていたとするならば、別に弘徽殿よりも遠くの部屋にいる姫君たちにとっては関係ないじゃないですか。音も聞こえてこないと。

だけど一番遠くの桐壺までわざわざ帝が毎回行くから、今日こそ私のところに来てくれるかもっていうぬか喜びがもう何回も何回も繰り返されるわけなんですよ。これね、精神衛生的によくない状況ですよね。

で、逆もしかりなんですよね。桐壺の方から誰かが出てきたと。歩いて、私の部屋の前を通っていると。絶対あいつ帝に呼ばれとるわ、ってなるんですね。くっそー私全然呼ばれてないのあいつばっかりいつも私の部屋の前を通って帝とこ行ってるー、ってなる。私のほうが身分高いのにー、ってね。こんなこと繰り返してたら、そりゃヘイトもたまりますよ。

この辺がね、源氏物語の設定の甘さですよねで、この桐壺の更衣と帝の間にいよいよとんでもないことが起こるんですよ。まあとんでもないんだけどある種必然的なことが起こる。必然的なとんでもないことが起こる。じゃあ一体何なのかっていう話を本文引用して確認してみましょう。

先の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子をのこみこさへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる稚児の御容貌なり。

これ何言ってるか分かりますか。男の子生まれたって言うんですよ。帝と桐壺の更衣との間にすごい素敵な男の子が生まれたんだっていう風に書いてある。

で、ここでまた平安時代の読者は「あー」ってなるんです。「あー、やっぱそうなったかー」って。「また話ややこしくなるやつー」って思うんですよ。なぜなら思い出してほしいんですけど、この時代の摂関政治っていうのはイコール外戚政治だったわけでしょ。自分の家の女性っていうのを帝の妻にして、男の子を産んでもらって、その男の子が次の帝になれば、自分は帝の外戚として権力を振るうことができる。

だから、帝の妻っていうのは、第1には実家のね、親父のランクっていうのが姫君のランクを決めていたんだけれども、息子を産めるかどうかっていうことも姫君のランクにすごく大きな影響を与えていたんですよね。

源氏物語の本文でここまで読んできた中で、帝の息子の話1個もなかったじゃないですか。読者は思うんですよね。「えっ、これもしかして長男?」って。「これもしかして一番最初に帝との間に男の子できたの、桐壺の更衣なの? やばない?」っていう風になるんですよ。「もうお父さん死んじゃってて外戚になる人も誰もいないところの姫君が次の帝候補産んじゃったってこと?」ってなるんですよね。当時の読者の感覚からすると。

で、いやいや実はね、っていうのが次の本文の流れになってくる。でも、まあその話はまた次回以降にしましょうか。この辺ね非常にドラマチックというか、読者をそわそわさせる紫式部の演出の名が発揮されていますね。

ちなみになんですが、この桐壺の更衣と帝の間の息子が生まれたシーンというのは、これ単品で見るとね、ああ、まあそういうもんなのかなって思うんですけど、他のいろんな当時の文献の出産シーンと比較すると、すっげー寂しい感じがすることに気づくんですよ。

普通だったらね、子供が生まれたら、周りの人たちのリアクションとか祝福みたいなものが描写されることが一般的なんですけど、この桐壺の更衣の息子に関しては、そういうのは一切ないですよね。ただ、父親である帝だけがそわそわしてたって書いてあるだけに過ぎないと。これが彼女とか彼女の息子の宮中におけるリアルだったわけですよね。誰からも祝福されていない息子だったわけです。これがね一つ切ないところではありますね。

この切ない息子と母親である桐壺の更衣はどうなっていくんでしょうかっていうのが次回以降の話です。ではでは、今回はこれくらいにしておきましょう。お疲れ様でした。また、次回。


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