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第327回、年齢別教育といじめの問題について、語ってみた


こんな事を言っても仕方がないのかも知れませんが、日本の年齢別教育制度ってどうなのだろうか?という疑問を、自分は以前からよく抱いています。

社会に出たら、年齢なんて皆バラバラで、同じ年齢の人が、職場にいる事の方が少ないのに、学生時代は、基本10年以上も、同じ年齢の人達との関わりの中だけで過ごすのって、何かとても不自然な事のように思うのです。

もちろん部活等で、先輩後輩の関りもあるのですが、一年の年齢差で絶対的な上下関係が生じるのも、異年齢の交流というより、年齢差による人間的な上下関係を、より強固な物にしているだけのような気がするんですよね。

昔はそれが、子供に社会性を身につけさせる為に必要な事だと思われていたのだと思うのですが、年功序列社会が時代遅れとなっている今、むしろこの年齢別教育による上下関係の構築は、国際競争力の弊害になっているのではないかとすら思うのです。

そして日本の教育現場に根強く存在する、いじめ問題の根底には、こうした同じ年齢の子供だけで構成されている、歪な人間関係が、原因にあるのではないかと思うのです。

同学年内で、皆が同じな感じでいなければならないから、少しでもそこからはみ出る者がいると、子供達は、それが気になって仕方がなくなるのです。

よく日本人の美徳として、和の心、協調性の精神があげられ、大人にいじめ解決の手段だと思われていますが、自分はむしろこの精神こそが、子供達に自分と異なる相手を、ハブこうとさせる心を抱かせてしまっている、一つの要因になっているのではないかと思っています。

自分はいじめ対策に必要なのは、皆を同じ存在として受け入れる事ではなく各々が異なる存在な事を許容する、多様性の受容ではないかと思うのです。

なぜこんな話をするのかというと、ブログを見ていると、子供時代にいじめられていた経験を書かれている人達の殆どが、いじめをする人達の人間的な問題を指摘している事が多いように感じられ、ドラマでもやはり、いじめはそれをする人達の人間性の問題として、殆どの作品が描かれてます。

そして問題は、いじめをする人の心にあるので、いじめる人が改心をすれば問題が解決した事になり、教育環境の改善には思考が至りません。
これでは、教育現場の環境改善は、いつまでたっても行われません。

自分は、いじめをする人達の人間性をいくら批判しても、いじめの根本的な問題解決には、ならないのではないかと思っています。

いじめは、心の問題、いじめをする人達の道徳的な精神問題ではなく、教育環境の構造的な部分に、問題があるのではないかと考えているからです。

こういうと、いじめをする人達の擁護をしているように思われそうですが、そういう訳ではなく、ただ日本人は、問題を何かと、精神性で解決しようとしてしまう所があり、環境改善をしようとはしない為、あえて、このような意見を言わせて頂きました。

別に年齢別教育を行っているのは、日本だけではないのかも知れませんし、問題提議をしたからと言って、何か具体的な案がある訳でもないのですが、今回、以前から思っていた事を、述べさせて頂きました。

イラストの批判をする訳ではないですが、いじめは、それをする人達の人間性の問題として、
捉えられている事が、イラストからもよく伝わって来ます。
これでは、道徳教育に力を入れるだけで、いつまでたっても教育環境の改善には、
ならないのではないかと思います。

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