適応障害の闘病記録⑥(休職中、回復への兆し編)

こんにちわ。ワーママちゃんです。

前回の記事では、
初診~休職までの体験談を記しました。

今回は、休職中の闘病について
お伝えできればと思います。

適応障害は、一般的に、
「ストレス源から離れれば良くなる」
といい、私もその言葉を信じていましたが、
そんなに簡単にすぐに回復しませんでした。

休職中、突破口を見つけるまでは
心身共につらかったです…。

フェーズ1.眠りっぱなし生活

休職すると、
自分自身にとってのストレスと
正面で向き合うことになります。

私の場合、夫と子は、生活の基盤で、
ライフビジョンでの優先順位が高かったので、
夫と子に対するストレスは低かったですが、
以下のことに対して、仕事と同じくらい
高いストレスを感じていました。

・食事をつくる
・食事を食べる
・第3者と話す(自分の親や兄弟を含む)
・テレビを見る
・文字を見る
・仕事の事を考える

何をしてもストレスなので、
休職中で時間的な制限はありませんでしたが、
朝は、子供が起きたら目は覚ますが、
ベットからは動かず、
子供の対応は夫に任せきりで、
夫と子供が家をでたら、また夕方まで眠る、
という生活を1週間ほど続けていました。

休職する前までは、
昼寝したら、夜眠れない体質でしたが、
夕方までたっぷり寝ても、
夜は熟睡できていました。

保育園に子供を迎えに行く&夕食は、
自力でやりきっていましたが、
夕飯は、保育園のお迎え前にスーパーに駆け込み、
お惣菜を買って準備していました。

これではダメだと、日中に起きて、
何かをしようとすると、
涙が出るといった状況でした。

「何もしたくない」と、
心身が本能的に作動しているような状態でした。

今思うと、疑似的に死んでいたような、
そんな状態でした。

フェーズ2.寝たきり生活

1週間たって、眠りっぱなし生活から脱却し、
寝たきり(意識は保てる)に移行しました。

①身体面

「頭は起きてるけど、身体を動かすと、
 力が抜けたり、立ち眩みがする」
といった状態だったので、
身体を起こすのは最低限でした。

朝起きたら、子の朝の身支度は、
リビングで眺められるようにはなりました。

ちなみに、意識は保てる状態になったとは言え、
眠る時間も、ある程度ありました。

②思考面(脳)

すべての刺激に対する感度は、
依然として高く、些細な刺激に対して、
涙がでたり、拒否反応を示していました。

また、ベットインしてから、
ふと過去の仕事の事を考えてしまうと、
頭がスパークしたかのように、
仕事の事が頭の中を駆け巡って、
ふと気づくと、自分が目を開けたまま
意識が飛んでいた?のに気が付きました。
時計を見ると、AM3時でした。

頭の回路は、まだ回復していないようでした。

しばらく寝たきり生活をしていると、
2週間目の最終日くらいには、
少し頭にも余裕がでてきて、
「この調子で、3週間後に仕事復帰できるのか」と
先のことを、考えられるようになりました。

「職場復帰時には、異動したい」
もしくは「家の近くで残業のない職場に転職したい」
と、うっすら考えるようになりました。

フェーズ3.休職期間の延長(再診)

ちょうど同時期くらいに、再診予約をしていたので、
ありのままを医師に伝え、とりあえず、休職期間を
当初の1か月から、2か月に延長するような
診断書を作成してもらいました。

仕事復帰までは、
1か月半の猶予をもらう形になりました。

ちなみに、薬の服用有無ですが、
休職中ということもあり、
パフォーマンスを維持する必要もないので、
薬の服用はなしとしました。

診断書をもらったその日に、
上司と総務担当に連絡を入れ、
休職期間の延長に対する許諾をもらいました。

フェーズ4.回復しない事への焦り

休職期間の延長に伴い、
会社との接点を持ったため、
「復職」を意識するようになりました。

業務負荷の低い業務に従事させてもらうにしても、
心身共にストレスに敏感なこの状態では、
復帰後の生活は辛くなる、、、と、
このことばかり考えていました。

「適応障害はストレス源から離れれば、回復する」と
色んなHPでは記載をしているくせに…、
自然となんか回復しないじゃないか!!!と
常に苛立っていました。

打開策を探すと、
・運動する
・規則正しい生活
・好きなように過ごす
等と、ネット上には記載がありますが、
まったくやる気が起きません。

試しに運動がてら、
いつも自転車でいくスーパーまで
片道10分歩いて買い物に行ったりもしましたが、
その後、反動がきて、
家に帰って夕方まで「眠りきり」になりました。

自分でも、前よりは状態が良いことは
実感できるものの、
このままでは復職もままらない。

転職したいと思っても、
職務経歴書を作成したり、
面接に行くことすら、困難。

そんな状況に、焦りばかりを感じていました。

この期間が、かなり辛かったです。

八方塞がりでした。

そんな時に相談できる人もおらず…。

ネットに落ちてるブログを漁るも、
ヒントは見つからず…。

情報収集範囲を本にまで拡大すれば、
ヒントはあるかもしれないけど、
本を読むと反動が来て、眠たくなり、
結局読み進められなさそうで、、、、

八方塞がりで、絶望すら感じていました。

フェーズ5.回復への兆し

そんな中、気分転換に、かねてより好きだった
「あちこちオードリー」を、
TVerで見ることにしました。

ゲストは以下の方でした。

・相席スタート山添さん
・ザ・マミィ酒井さん
・岡野さん

自分が過ごしてきた世界と全く違う世界で、
自由な価値観をもって生きておられる皆さんの
面白いトークを拝見して、
一人家で笑っていました。

こんなに笑うのは、いつぶりだろう…と、
泣きながら、観ていました。

嬉しくて、5回も観ました。

続きを観ていると、
「脳汁(アドレナリン?)」というワードが
トーク中に出てきました。

番組視聴後も、
そのワードが頭に引っかかっていたので、
一人で思考を発散させてみることにしました。

脳汁…って、私はいつ以来、出てないんだろうか。

脳汁がでるような瞬間って、どんなんだったけな。

部活をしている時は、
変なテンションで、頑張れていたなぁ。

そういえば、辛くても頑張れてた時って、
仕事でも脳汁が出ていた気がするなぁ。

あれ、休職直前の仕事は、
希望の業務であったにも関わらず、
他の仕事をしていた時に比べて、
脳汁が出ていなかった気がするなぁ。

なんでだろうなぁ。

業務のビジョンも明確ではなかったし
上司との関係性もよくなかったし、
同僚もパワハラ系だったしで、
あの環境なら、脳汁がでないのも
当たり前だわなぁ。。。。。

あぁ、そういえば、
適応障害を緩和させるには運動がいいというけど、
運動すると脳汁が出て、症状が回復する…という
そんな仕組みなんだろうか。

うん、なんかキーワードは「脳汁」な気がする。

私はどんな事で「脳汁」がでるのか、
ブレストしてみよう!

 私の過去を振り返ると
「脳汁」が出た行動等は以下でした。

・体育会系の部活をしている時
・恋愛をしている時
・就職活動をしている時
・立候補制の社内研修に参加した時
・自分の意思で、何かを決めたり、する時
・育休中に自己研鑽をしている時
・子供の成長を感じる時
・子供のために段ボールで玩具を制作
・興味のある本を読んでいる時
・人間性を尊敬できるような人を話をしている時
・人間性を尊敬できるような人と仕事をしている時

これを踏まえて、次、どうしようか…、と
考え、行動し始めたのは、次の記事で
お伝えできればと思います。

<つづく>




おまけ.育休の休職とは全く違う

頭では「何かした方がいいんだろうなぁ」と
考えられていた感じです。

一方、適応障害に伴う休職開始時は、
頭も身体も、デフォルトで
すべての刺激を遮断している感じです。

例えば、親・兄弟からの連絡すら、
返すなら死にたい、と思うくらい
ストレスに感じていました。

育休で休職も経験しているのですが、
心身が健康である時とは、
過ごし方が全く違います。

育休開始時は、
「何しようかなぁ」と、頭で考えながらも、
身体が重く起きる気がしない、
という感じでした。

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