適応障害の闘病記録①(発症前の生活)

自己紹介

チャンピと申します。
ワーママしてます。
総合職の会社員です。
人見知りで、負けず嫌いな性格をしてます。


そんな私ですが、
適応障害で休職を経験しました。

休職前&休職中に、
色んな疑問や不安が頭によぎりましたが、

それらを解消するにあたり参考になるような
経験談が、なかなかネット上にない…。

過去事例などを読むことで
「こんな人もいるんだな」
「こんな風に乗り越えていけばいいんだな」
と思えるって、
闘病中の精神衛生上かなり大事な事。

「闘病中のお友達はスマホのみ」
の人は多いはず。私もその1人でした。
それなのに、スマホを見ても
具体的な経験談がない…。
永遠にネットサーフィンすれど、
不安や疑問は堂々巡りするばかり…。

そこで、noteという媒体に
自分の経験談を記録することで、
他の方の参考になればと思い、
執筆することにしました。

苦悩している方の元に
この記事が届いて欲しいと思っているので、
すこしでも参考になったら、
「いいね」を押していただけると幸いです。

0.はじめに

適応障害の発症前から
復職するまでの記録を、
連載していきます。

今回は、第一弾として、
発症前の生活について記載したいと思います。

1.発症前の生活

発症の大きな転機となったのは、
「育休復帰時の花形部署への異動」でした。

①復職と同時に異動


育休復職と同時に異動があり、
希望していた花形部署に配属してもらうことができました。

勝気な性格の私は、
「ママになっても仕事を諦めない!!」と力んでいて、
育休中は、寝る間も惜しんで勉強し、
花形部署に関連する難関資格の取得もしていたので、
自分の熱量が会社に認められたのだと嬉しい気持ちでした。

一方で、花形部署への異動を希望していたものの、
具体的な業務内容は知らないし、
異動先に親しい人もいないし、
異動先の組織構造(役割分担)の詳細も理解していない…。
実務的な武器は備え切れておらず、
まさに「丸腰」で転入しました。

②完全にアウェイな職場環境


異動後に関係者に挨拶周りをしましたが、
初日からアウェイ感が半端ない…。

というのも、
・上司は最低限の会話しかなく味方感・仲間感がゼロ。
・関係部署のAさん(一番やりとりする人)は、挨拶しても無視。

居心地は悪かったですが、
「仕事さえできれば何でも良い感じが格好いい。これが実力社会か」と、
無理矢理にでもポジティブな側面に目を向けるようにして、
自分の負の感情には蓋をしていました。

が、しかし、このAさんの陰険な対応は、初日に留まらず、
  ・現物確認を目的とした打合せを、無断でZOOMに変更してくる
  ・返事は必ずため息から始まる
  ・「私の事を嫌い」だとメールしてくる
  ・自組織の業務委託先に、高圧的な言動をとって業務を増やす
  ・その他にも非常に高圧的な態度・物言いをする

Aさんは自分より立場が低い人に対して
パワハラをする傾向があるようで、
半年の間に、Aさん関連の派遣社員さんが3人も辞めたとのこと…。

また、ややこしい人は、Aさんだけではなかった…。
他の関係部署のお局さん(Bさん)も、
「そんな事も分からないの」というスタンスで常に接してくる。

しかし、私も私で、負けまい!と強がっていていました。
周囲の人が心配の声をかけてくれても、
「彼らの当たりは強いですが、受け流せるので大丈夫です。
 業務は何とか進められているので。」
と、ストレス耐性強いですアピールをしていました。

今思うと、自分が周りからどう思われるかは気にせずに、
「仕事がやりにくい環境だ」と、
ちゃんと上司か同僚に伝えるべきでした。

③キャパシティ不足


そんなこんなで、二か月が経ち、
少しやりがいのある仕事を任せてもらえる事になりました。

しかし、異動したてて、基礎知識はゼロの状態ですし、
花形部署とあって、求められるスピード感と質が高い。
おまけに、育休ボケしていて頭の回転が多少は遅くなっている。

帰宅後や休日に、ビハインドを取り返そうと思っても、
子供達への対応や家事で時間もとれない。
(なんなら、会社より家にいる方が身も心も削られる…)

その結果、上司に献上した成果物は、
超低品質なものになってしまいました。

④無理のある生活スタイル


地頭が良い方ではないので、
ある程度は「時間」をかけて、仕事の質を高めていくしかありません。
そこで、以下のような生活スタイルをとることにしました。

 ・4:30    起床
 ・5:00 家族が起きる前に出社
 ・22:00 子供が寝静まってから在宅で残業
 ・24:00 ベッドイン
 ・通勤時間は、会社携帯でメール処理
 ・休日は、隙あらば仕事の事を考える

毎日このスケジュールで稼働し続けていると、
心身のストレスは蓄積していくばかり。

家族・友人と会話をする時間もなく、
会社で下がりきった自己肯定感を上昇させる機会がありませんでした。

⑤育児ストレス

子供も子供で、保育園に11時間程預けられていて、
疲れも溜まっているし、甘えたい欲も高まっている様子。

思い通りにならない事があると、
すぐ泣く、すぐ奇声を上げていました。
(それは今も変わりませんが…)

この音量が大きいったらありゃしない…。

子供には幸せに笑っていて欲しいのに、
それが叶えられない自分に対する無力感。

子供が大好きな分、
会社より家にいるときの方が、
無力感を感じる機会・強度が強かったです。

「適応障害に至った最後の一刺しは、
 業務ストレスではなく、育児ストレスだった」
と、冷静になった今は、そう思います。

⑥趣味のない生活

時間的余裕もないし、
心理的余裕もなかったので、
「趣味」を持てていませんでした。

かろうじて、夫が企画してくれて
プチ旅行や外食等、家族の時間過ぽい事はしているけど、
頭の中は仕事でいっぱいなので、
楽しくないし、記憶に残らないので、
リラックスもしてないし、「趣味」とも言い難い。

家族と過ごしていた時も、
魂が抜けていて、
同伴のぬいぐるみ状態でした。

⑦否定的な言葉の存在

「自己犠牲を払ってでも、早く成長して、信頼できる存在になりたい」と、
無理のある生活を続けている最中、
上司から無意識に発せられる否定的な言葉が、ありました。
(言葉を深読みしすぎているのかもしれませんが…)



例えば、
 ・「しょーもない仕事ばかり頼んで申し訳ないね」
   (しょーもない仕事しか頼まれてないの!?)

 ・「チャンピさんが担当してくれている委託先、仕事が雑で、無能やな」 
   (間接的に、私の管理能力の低さを指摘されている…???私=無能って言うてる??)


地味に、
ボディブローのように効いていました。

2.振返り

①性格のせいで生きづらい?

発症前の生活の特徴について前述しましたが、

当時は、自分の生活を
客観視できていませんでした。

後先考えずに、
気まぐれで、向こう見ずに生きてました。

頑張りたい気持ちだけで走ってました。

自分について分析・反省したりするのが
面倒だったんです。

当時は、面倒くさがりの自分の性格を
責めていました。
諦めてました。

性格だから、変えられない。

花形部署で働く限りは、
今の生活から抜け出せるはずがない。

花形部署で働くのは、自分には無理なんだ。
これからは諦めるだけの人生を
送らないといけないのかって。

頑張りたいのに、頼りにされたいのに…。
虚しかった。
悲しかった。
楽しくなかった。
無力感しかなかった。
死にたかった。

②性格のせいじゃない


冷静になった今、思うのは、

性格が問題だったのではなく、
頑張りのベクトルを間違えていただけだった。

部屋に例えてみると…

当時の私は、部屋の中に
便利な物や流行り物を詰め込んでいた。

物を詰め込む行為自体が楽しかった。
頑張ってる実感が持てるから。

でも、限界が来た。これ以上詰め込めない。
ゴミ屋敷状態。
集めたコレクション達も、機能しない。

限界が来た当時、
自分の部屋の狭さを呪った。

でも、部屋の広さの限界は、
どんな優秀な人にもある。
幸せを感じながら暮らしている人にもある。

じゃあ、自分と彼らは、何が違うのか。

多機能なインテリアを適正量だけ選び、
コーディネートを楽しんでいるかどうか。

じゃないかなと、今の私は思います。


③私は今、少しだけ生きやすい

部屋の広さより、
部屋の使い方を気にして生きる。

自分のキャパの大きさより、
自分のキャパの使い方を気にして生きる。


これができている今、
私は前よりも少し生きやすいです。


今は自分の部屋(キャパ)の狭さも
呪っていません。
逆に、愛着すらもってきました。



…こんな感じで、
第二弾以降も、綴っていけたらと思っています

<つづく>


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