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粒≪りゅう≫  第十五話[全二十話]

第十五話


 “ああ、何故私は走るんだ?生き急いでいる、というのでもないと思うけど・・・。生き急いでいるのだったら、この年になる、もうずっと前に、何らかの形で、一旗揚げていてもいいのではないのだろうか。やっぱりあれか、自分は頑張っていますよアピールか”
 
痛みが鈍く残る頭で、粒は、真実を導き出したような気がした。

ゴンゴロゴンと音を立てて、自販機から差し出されたペットボトルのコーヒーを取り出して、粒は、自販機の、割と近くに設置された、外の景色の見えるブルーの椅子に腰かけた。

 
 この自販機コーナーには、数種類の飲み物の他に、冷凍食品やアイスクリーム等、ちょっとワクワクする自販機が数台あった。
 
粒は考える・・・結構自分は図太いのかもしれない。ま、いいや~。どうあがいても、なるようにしかならないし、こうなったのも何かしら意味のあることなのだろう。
だって思い起こすと、これまで、本当に、何かに導かれているとしか思えないような事が沢山あった。後になって振り返ると、そういった事が見えてくる。

“!ああ、やっぱりそうなのだ!!!”

自販機コーナーの入り口の扉がカラカラと開いて、自販機に向かって歩いて来る人の気配を感じた時、粒は、そう思った。
匂いを感じたのだ。

粒が、恋焦がれていたあの匂いだった。確信をもって目をやると、懐かしい人の姿がそこにあった。

「星加さん!」

嬉しさのあまり、堪えきれない喜びの声色で呼びかけた。

「日和さん!」
「お久しぶりです。お元気でしたか・・・じゃなくて、どうかされたんですか?」

相変わらずこの人は、美しく冷静なのだなぁ~。この人は私のように、ちょこまかと意味なく走ったりはしないのだろうな・・・。

「私はどうってことないんです。それより、星加さんの方こそ、どうして?」

そうだ、星加さんに会えて嬉しいけれど、ここは病院なのだ。会えた事を喜ぶべきではない。それに、軽はずみに何でも尋ねてはいけない。粒は、浮ついた気持ちをグッと抑えた。

「僕は、その、検査入院です。」
「全く普段の生活にも支障はないのですが、定期的に検査を受けなくてはならなくて・・・。」
「あ、心配しないで下さい。本当に、変な話、ピンピンしていますから。」

と言って、星加は粒に、元気ポーズをして見せた。粒は、心底ほっとした。
 
 粒は、星加が本当に元気そうだったこともあり、ここで会ったが100年目?のような感じで、今、星加と「では!」などと別れてしまっては、もう二度と会えないような気がした。だから、お互い、飲み物を飲む間共にどうか、と、思い切って星加に打診した。

 すると星加は、快く「いいですね。」と返してくれたので、粒は、天にも昇るような気持ちになって、もうどうにも浮いた気持ちを抑えることが難しくなってしまった。
それで、大胆にも、たまたま視界に入ってきた庭園を指差して、「あそこに行きませんか?」と、星加を誘った。
 
 粒と星加が話している、わりと近い所に外に通じる扉があり、その扉の先には庭園につながる通路があって、そこから庭園へと入って行くことが出来た。各々飲み物を手に、お揃いのアメニティのパジャマ姿で歩く・・・。
 
 ここが温泉とかで、お揃いの浴衣姿だったらなんて素敵だろう・・・と粒の頭の中に、不謹慎な妄想が湧いてきたが、お互い元気で?なによりであるし、粒は、これ以上ない幸福感に包まれていた。

 

 植え込まれた木々の葉がさやさやと揺れて、とても爽やかだ。薄緑色の若葉がてかてかと光って、その生気を周りに振りまいている。
緑が目に染みる…。やっぱり、自然はいいなあ、と粒の心身がほぐれる。

 粒と星加は、程よく爽やかで、程よい陽の当たり具合の石のブロックに、並んで座った。
粒は、過去に経験した、絵本作りの打ち合わせ以外で、そして、社員と客という関係性以外で、星加と一緒にいるのは、とても新鮮でワクワクした。
 全く緊張感もなく、粒は、とても気分が良かった。星加の隣にいられることが、もうこの上なく幸せ過ぎて、また、あの言葉が浮かんだ。

“ああ、もう何もいらない”

粒は、幸せをかみしめた。
 
 何も話さなくても、粒は、星加の隣にいられるだけで、心が満たされて、充分ではあったのだけれども、自分から誘っておいて、黙り込んでいるのも失礼な事だと思い、口を開いた。

「星加さん、電車に乗られることありますよね?」

!!!なんと。自分の口は、というか、自分はどうしていつもこうして、落ち着きなく思っていることを、ぺらぺらと晒してしまうんだ!と、粒は自分の口を憎たらしく思った。

「はい?」

星加は、不思議そうに粒の顔を見ると、ふっと微笑んだ。そして、

「はい、時々利用します。」

と、答えた。
粒は、脳内にある『あの日あの時、電車の中で、私の隣に座っていたのは星加さんだったのではないか』という疑問を、どのように星加に投げかけようかと思案した。粒の中では、ふたりが同一人物であることを確信しているのだが、本人に確認してみたかったのだ。

 星加は「それが何か?」みたいな催促は、全くせず、気持ちよさそうに、そよ吹く風にさらされていた。
粒も、心地よい風に身をさらした。粒を粒として形づくっている、全てのものの間に、さーっと風が吹き抜けた。

 粒は、星加に確認しようとしていた事が、もう、どうでもよくなった。

「私。もう、ぶつぶつと愚痴ることがなくなったんですよ。星加さんのお陰です。」

粒は、本当にそうだと思っている。星加に会うごとに、粒は自分自身を理解し、受け止め、無理をしなくなったような気がする。
自分に正直に、動けるようになっていった。まあ、生まれつきの性格のような、どうにもしようのない部分は、まだ沢山あるのだけれども。そう、変化したお陰で今、この時があるのだ。

「僕も、ぶつぶつと愚痴を言うことがなくなりました。日和さんのお陰です。」

・・・?粒は、星加の顔を見つめて、首を傾げる。
思い当たる事が、ひとつもない・・・。それよりも、星加さんはやっぱり、いい男だ、と粒は惚れ惚れした。眉毛の形もいい感じだし(自分でカットしているのだろうか?だとしたら、上手だな・・・)目は、横に長く縦幅もまあまああって、程よい大きさ。鼻はこれまた程よい高さで、自己主張せずにさり気に顔を引き立てている。唇は、色っぽい。可愛らしく、キュートな感じ。どちらかというと大きい方かな・・・などとぽやぽやと思い巡らせていた粒に

「日和さん、覚えておられますか?」

「ほら、打ち合わせの際に、喫茶店のトイレに行かれた際の事です。入ろうとされたトイレが詰まっていて、スタッフに伝えに行かれましたよね。」

と、星加が問いかけてきた。

「ああ、ありましたね~そんな事。懐かしい。ん?というか、どうして星加さんがその事をご存知なのですか?」

私、席に戻った時、星加さんに報告した覚えがないけどなぁ・・・粒は、星加と過ごした喫茶店を、懐かしく思い浮かべながら記憶をたどる。

「僕、あの喫茶店を良く利用するもので、そこのスタッフと話す機会があるのですが。実は、トイレがよく詰まるらしくて・・・。あそこのトイレって、個室がふたつありますよね。まず、誰かがどちらかのトイレを利用して水を流したが・・・流れていかない・・・ああ詰まらせてしまったーどうしよう!と思っても、まず報告されることはない。ま、ゼロではないかもしれませんが。あと、気付かないで行ってしまうという事も、あるでしょうが。」

粒は、うんうん、と、相槌を打つ。

「それで、次にトイレに入って来た人が、個室に入り用を足そうとしたところ、詰まっていることに気付く。そこで、ああ、と思い、もう一方のトイレに入り用を済ませる。」

粒は、うんうんと相槌を打つ。うん。・・・終わり?

「日和さんは、違った。日和さんは入ろうとされた、片方のトイレが詰まっていることを知った時点で、スタッフに伝えに行かれた。」
「スタッフによると、用を済ませることが出来れば、特に伝えなくてもいいかと思われるのか、詰まったトイレが放置され、いつもスタッフが気付くまで、トイレは詰まったままなのだそうです。」
「だから、自分が気付かれた時点で、すぐにスタッフに知らせに行かれた日和さんのことを、僕に話してきたんです。僕が担当者だとわかっていたから。」

“ああ”

粒の記憶が、きれいに蘇った。

“私は、入って利用しようとしたら、明らかに水が流れてなくて、これは使用できないと思い、このままだと、次に入って来た人も使えないし、店の人に伝えなければこのまま放置されるのかな・・・と思い即知らせに行った。そのまま。思ったそのまま行動しただけだ。珍しいのか?”

「あと、ほら、日和さん、自分の座っている以外の席のお客さんの忘れ物に気付かれたり、店の入り口のマットがめくれているのを直されたり・・・と、スタッフにとって日和さんは、とても印象深いお客さんだったようですよ。」

確かにそんな事もあった。どれも、いつものように思ったまま行動しただけの事だった。

「日和さんは、よく見ておられますね。周りの様子や、その場の空気の流れ。そして、ご自分以外の人達の事を、よく見ておられますよね。感情までも読み取っておられるかのように思います。」
 

自分は、こんなんだから、周りの人に逆に気を遣わせる。
自分はこんな風だから、いつも配偶者から、疎ましがられていた。自分はこんなだから、自分で自分を疲弊させ、自己嫌悪に陥り、どんどん自分が嫌になった。
でも、仕方がない。こんなのが、自分なのだから。自分には、そういうふうにしかできないのだから、どうしようもないではないか・・・と、星加の存在のお陰でなだめられてきたのだった。
粒の目が、うるうるしてきた。

「僕は、日和さんにお会いして、気付かされることや、考えさせられる事が沢山ありました。それに、日和さんとお会いしている時は、何というか心が和むというか、ほっとするというか、自分でいられるというか・・・日和さんは、なにかそういう力を持っておられるのかもしれないですね。」

「いえ、それは・・・私も同じで、私は星加さんとお会いしている時、凄く幸せな気持ちでいっぱいでした。」
「今も、凄く幸せです。ほんとに。」

“叶う事なら、ずっと星加さんの傍にいたい・・・ずっとというのは強欲すぎるから・・・
定期的にとか・・・はぁ~”

 粒は、幸せにひたる自分自身に対して、こんなに幸せなひと時を過ごすことができて、本当に良かったと、心底思った。


 


 はぁ~と、深く息を吐く。これは、溜息ではない。
あの星加との幸せなひと時を思い出す度に、粒の胸がほわっと熱くなり、口から熱い息が出るのだ。あの時本当に、ほぼ強引に星加を誘って良かった。よくやったぞ自分!と、粒は思う。

 結構いつも衝動的に動く粒には、失敗談が数多くある。けれど、後悔はない。あの時、ああしていれば・・・という後悔はほぼない・・・ようだ。たぶん、だが・・・。
 
 
 あの日は結局、粒も星加も、飲み物を口にすることはなかった。
折角自販機で購入したペットボトル飲料だったのに、手でつかんだり、コロコロしてみたり、包み込んだりしていて、封を開けずに終わった。
粒は、その時星加と時間を共にしたそのペットボトルを、10か月近く経った今でも、大切に持っている。封を開けて、飲んでしまうことなど出来ない。大切な思い出が減ってしまいそうで・・・あの時感じていた星加の存在が、自分の感覚から薄れてしまいそうで・・・。

“あれから星加さんはどうしているだろう・・・。私の方は、この通り何の変化も異常もなく、ピンピンしている。ありがたいことだな”

ペットボトルを大切に手で包み込み、粒は星加に思いをよせる。

 
 

 粒は、あんに勧められて始めたのだが、webに投稿する小説を書くことに夢中になり、日々思いを巡らせて書き綴るようになった。

 朝目覚めて、今日は何をしようか・・・などとワクワクするような生活を送ることができるなど、数年前の粒には、あり得ない事だった。
 
 配偶者とは、出逢ってから、結婚、子育て、と長年生活を共にしていたが、ドキドキと胸をときめかせることもなく、ぴったりとすり寄って、頬をすり寄せたい衝動にかられたこともない。傍にいても、心地よいと感じたことは一度もない。一度も、だ。
 
 常に居心地が悪く、胸が圧迫されるような不快感に、押しつぶされそうな日々だった。
粒は、自分は何処かおかしいのかもしれない、自分は配偶者に対する思い、考え、関わり方を改めなければならないのではないかと、散々思い悩み試行錯誤したけれど、何ともならなかった。
 
 いつの頃からか、粒はもう、自分のなかで時効にすることにした。許されるだろうと思った。自分はもう充分頑張ってきたし、身体が、精神が、もうこれ以上は無理だと訴えていたから。
 
 自分だけではなく、配偶者も、居心地が悪かったはずだ。自分という存在と共にする、空間は。と、粒はこれまでの配偶者との暮らしを振り返り、思う。
 

 
 粒は、大胆に転んで、散々心配をかけた職場で、今も働いている。
先のことは、分からない。一秒後だって分からない。分からないから楽しい、ワクワクする!
 
 配偶者の扶養家族として養われていた粒は、経済的には恵まれていたが、いつも心が落ち着かず、不安だった。だからなのか、それこそ常識外れな事をしていたようだった。
洗剤やシャンプー、ボディーソープ、漂白剤等の日用品や長期保存のきく食品等を、こんなに必要ないだろうという程買いためてしまうのだ。
子供達にも指摘されていたのだが、何故だか、ビニール袋も集めた。
自然に溜まってしまうものも、定期的に処分する事が出来ずにどんどんため込み、更に各種のビニール袋を、多めに多めに買ってしまうのだ。子供たちには

「お母さんは、ビニール袋依存症だね。」

と言われた。きっと粒は、自分の心の至る所にある、穴を塞ぐためにそんなことをしていたのだろう。
 
 不安だったのだ。心がとにかく、さもしくて、落ち着かず、何とかしないと、何とかしないと、と、日々キリキリしていた。辛かった。
 
 今は、あの頃が嘘のように、シンプルな生活ぶりだ。ストック品も必要最小限で納得できる。食材も必要な物を、無駄なく購入している。ビニール袋も過剰に必要とすることはなくなった。
 それに、更に大きく変化したのは、排出されるゴミの量が激減したことだ。何がどう減ったのかは、粒にもよくわからないのだが、人数が減った事はさほど関係なく、何かが変わったのだった。 
 
 だから、余計な出費も減り、必要のないものはどんどんそぎ落とされていった。


“何もいらない”

星加と出逢って、粒は、こう心で呟くようになって、どんどん身も心も軽くなり、生活スタイルもシンプルになった。
本当に必要な物。自分が心から求めて愛せるもの。心癒すもの・・・拠り所。それがあれば、幸せに生きてゆくことが出来るのだなぁと、粒は、しみじみ思った。



第十六話につづく


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