小2娘に教えられた、義務と権利の違い

今思い返せば、私は常に誰かと比較して生きていた。

野球をしているときは、強豪校の選手やチームメイトと自分を比較し、その戦いに敗れると次は比較する対象がどんどん変わっていく。

競技を変えてみたり、同年代の平均所得と比較してみたり

何かにつけて常に自分と誰かを比較して、相手よりも勝っているところを探して生きてきたように思う。

高学歴な人は低学歴な人を軽蔑し、年収が高い人は年収が低い人を馬鹿にする。
努力ではどうにもならないこともあるのに、努力が足りないから…
という風に考えてしまう。

典型的な能力主義の世の中で、行き過ぎた能力主義にすっかり染まってしまっていた。

もちろん、そんな自覚はなかったけれど・・・
客観的に自分を見つめなおしてみるとそういう部分がとても強いことに気づかされる。

優越感を感じるために勉強し、

良いパパだねって周りに認めてもらうためにいいパパであろうとする。

自分がそうしたいからそうするのではない。

周りからの評価を求めて自分の行動を選択してきたのかもしれない。

自分のことしか考えていないから、周りの目を必要以上に気にしてしまう。

今のままで十分幸せだ・・・

そう思えてから楽になったのは、きっと競争する場面が減ったからだと思う。

昨夜、娘がお手伝いをしてくれた。

「パパがいつも洗い物とか洗濯干したりとかしてくれているから、今日は私がやるよ」

そういってくれた。

「じゃあみんなで協力して早く終わらせよっか」

ってことになり、娘にはお風呂洗いと、お皿洗いをお願いして見事にやってくれた。

優しく育ってくれているんだな・・・

そう思った。

子供の成長を見守るのは、親の「権利」であって「義務」ではない。
少なくとも、義務にしたくはない。

私たちには常に、選択をする「権利」がある。

メジャーリーグの選手たちは、子供の行事で試合を休むこともある。
彼らは、親は子供の成長を確認する「権利」があると考える。

義務感から嫌々子供の行事に参加しているわけではない。

子供の行事と仕事を天秤にかけたときに、選択する「権利」を使って自ら選んでいるのだ。

その時の判断基準は、人からどうみられるかではない。

「自分がどうしたいのか」

意識はしていないかもしれないけど、そうやって自分の意志で決めている。

言うは易く行うは難し。

こんなことは、書籍で読んでたし、ずっとわかっているつもりでいた。

頭でわかっているだけでは変わらない。

マインドが変わるには、頭でわかってからも時間がかかる。

筋肉と一緒。
時間をかけてゆっくりとマインドを育てていこう。

I’m OK.Your OK.

あなたも私もOK。

自分が満たされていれば人に対しても優しくできる。
優しくすることが自分の幸せにもなるから!

人類の発展にマウント合戦は必要だとは思う。
でも常に何かと戦う必要はないよね。



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