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燻んだnovelty #2

#1はこちら。町と街とマチの捉え方とそれに対する私の思いについて。




少し前、こんなつぶやきをした。

novelty。真新しさ。

知らない物や人、理解が追いつかない価値観や態度との直面。その度私という存在が外の世界へ晒し出される。引き摺り出される。外の世界の波に私は削られ、洗われ、磨かれ、自己を私は形成しその形を理解していく。街はそんな自己を変えるnovelty に溢れていて、人生においていくつかの価値ある愛すべき体験をもたらす。

そんな理想を描いて私は街に来た。何か目新しいものを常に探し求めていた。出会いが私を変えてくれると期待していた。

例えば上京したての頃、街角のカフェのカウンター席で出会ったある男性。十歳くらい年上にみえた。

私はその時何か読んでいた。恐らく千種創一さんの「砂丘律」という短歌の歌集だったはず。(とても良いのでお勧め) 何かの歌集だったのは間違いない。

彼は私の隣に座ってコーヒーに角砂糖を二つ落としていた。男性の甘党はなんだか少し可愛かった。そんな勝手な感想を抱いた自分を誰かから隠すように私は歌集に目を戻した。

穏やかなひと時。平日の昼過ぎだった。時が緩慢に流れた。

ふと目を上げると、彼も何かの本を読んでいた。私は読書家として他の人が何を読んでいるのか見過ごすことはできず、気づかれないように目の端で彼の手元の本を覗いた。幸い彼は本に集中していて気づかれなかった。

文庫本サイズの本の1ページに二行ずつ。ゆったりとした余白。間違いない。歌集だ。

私は実際に出会ったことのない短歌愛好家が今目の前にいることに興奮していた。思わず彼に声をかけた。出会いの熱に私は浮かれていた。

「短歌お好きなんですか」

急に話しかけられたことに驚いて、彼は目を上げて私を疑うような不安そうな顔で見た。その表情に私は少し不躾だったなと申し訳なくなりつつも、好奇心は止まることを知らなかった。

「あぁ、えぇ、まぁ」

「実は今、私も短歌の本を読んでいて、、、」

私はこの後の展開を想像していなかった。戸惑いながらも彼の反応を眺める。

「え、そうなんですか、じゃあ短歌お好きなんですか」

彼は私の手元の本をちらっと見ながらにこやかに言う。彼の予想外の反応の良さに驚きとともに嬉しさが込み上がる。

「よかったらこの後一緒にどうですか?話しませんか」

私は出会いを求めていた。表層的なものではなく、何か深い心の繋がりを感じさせるものとの。自分を変えてくれるようなものとの。目の前の彼はそんな人のような気がした。

「えぇ、是非」

話始めてみると彼は出版の仕事の都合で短歌の本を読んでいたみたいだったけれど、私の方が色々と話すうちにその魅力を一つずつ納得するように認識していったような反応を示してくれた。私はそれが堪らなく嬉しかった。

正しく都会的な出会いだった。その出会いの後何回か会って彼からのアプローチで恋人になった。

優しい人だった。それが私の胸を苦しくさせた。

私が彼の愛情を利用する形で関係は続いていた。彼は私を異性として好んでいたから私に応じてくれていたと言うのは何となく分かっていたけれど、そんな動機がどうこうというより私に応えてくれる人がいるということで満ち足りた日々を送れるということの方が大きかった。私は彼を愛していたと言うより、彼が私と同じものを好きだと言うことを気に入っていたみたいだった。自分にこんなにも応えてくれる人がいるということを気に入っていたみたいだった。

彼の気持ちはまるで水溜まりが乾いていくようにゆっくりとでも確かに涸れていき、次第に私から離れていった。私は彼が最後に少し悲しそうに取り繕った表情の向こうに雨上がりに差す光のようなものを見た。皮肉なことに私は最後に最も彼を愛しく思った。

劇的な出会いに対しありふれた結末。心は痛んだけれど、でもそれでも別に良いと思った。彼に対して不誠実な私の行き着く場所は何となく想像できていた。そして結末よりも出会いが大事だと思っていた。出会いが人生を織りなしているからと。出会いは偶然だが別れは必然であるからと。でもそんな事をいくら思いついても、彼と別れた日の夜に自室で一人静かに流した涙の訳は分からないままだった。

名の付けられない閉塞感と心の空虚さと精神の脆弱性の裏返しみたいに、休日は敢えて一人でふらふらと街へ出て、知らない場所の知らない人と半ば狂ったように心の内を無防備に晒し出し交換し合う日々を過ごした。出会った人は友人や恋人や、その他名前のつかない関係性になった。多くの出会いの幸せとすれ違いの辛さと別れの痛みがあった。その幸せと辛さと痛み全部が愛おしかった。その全ての体験はある種官能的だった。そんな経験を繰り返すことで生きている気がしたのだ。私は都会的な劇的な出会いが生み出す麻薬的な魅力に酔いしれていた。私はnoveltyを求め続けた。ここにはない、ここから抜け出すためのなにか新しいものを。

そうして求めれば求めるほど、街はそれに応えてくれるものだった。街にはいつも新たな出会いがあった。上京した時に私が抱いていた理想に街は正しく適うものだとその度に思った。

だけれど、街で得たどんなものを手にしても、私は私から脱却できなかった。私はここに留まったままだった。自身の空虚さはまるで国宝に値する絵画みたいにガラスケースの中で完璧に保管され、色褪せた箇所など一つも見当たらずその解像度を保っていた。人と別れた帰り道に見る夕暮れの空。都会のひび割れたアスファルト。電線で鳴くハシボソカラスの真っ黒な体。真夜中の道に眩しく浮かび上がるコンビニの異質感。そんな都会の光景に私は何度も自身の空虚さを感じた。私は何も変わっていない。それを実感する度に、私の心がベランダの端の忘れられた小さな植木みたいにひっそりと乾いていくような苦しさを味わった。

大きな街の中で一人枯れてゆく私を気にかける人なんて居なかった。それは深い心の繋がりを求めていたつもりが、不誠実で浅はかな人間関係という名の証拠を大量に携帯の中に保持するだけだった私への報いだと思った。

ある朝、私は街で出会った人全ての連絡先を消去した。

3秒で思いつく言葉を送り合う関係性の何が大事だと言うのか。消去した後にはそんな事を思った私を私は自傷的に笑った。

季節は冬になっていた。

アパートの扉の一歩先から全てはその光を失い燻っていた。街はその姿を変えていた。正確には私が街に違った心の広がりを見るようになった。私は結局、人の交差点として機能する生命的で有機的な街にいても、学生時代の孤独とさして変わらず、誰かと人間的な濃度の高い繋がりを結ぶことは出来なかった。私と分かり合えた人なんて居なかった。街がもたらすnoveltyはその光を失い、それはもう真新しい何かでは無かった。街のnovelty は燻んでしまった。もう何も求めてはいなかった。何にも期待はできなかった。



そんな日々が続いてある日、ある人と出会った。
この記事で書いた人。

彼は私に人と分かり合えることがどんなに温かなものなのかを、分かり合えなくなった人がどんなに冷たく見えるのかを教えてくれた。彼と別れてからは寂しさと虚しさに押しつぶされそうになる日々が続いて考える余裕は無かったけれど、今になって分かる。それは正しくnoveltyだった。求めずして私はそれを得ていた。

果たして私はそれを得てどこかへ行けたのだろうか。私はどんな自己を形成したのだろうか。そんな事をずっと考えている。

今の私には街はどう見えるのか。そんなことを思いながら街を歩いて見るけれど、やっぱり街のnovelty は燻んでしまっていると感じる。そり立つビルはどこか虚しい青色をしている。街のどこかでの誰かの幸せな出会いもあまり上手く想像できない。もうあの頃の光は見えない。人と人との交差点としての機能を果たす街は以前と比べて魅力的とは言い難いのだ。でもそれはそこまで悲しいことでもない。ただ私が街に違った心の広がりを見るようになったというだけ。#1で書いた街の像自体は変わらずそこに雄大に広がっている。街は今でも誰かと誰かにとっての交差点であり、出会い、すれ違い、別れのある場として機能している。これからもそうあり続けるだろう。

街は私の人生や思いなど悠々と包み込み、大海に泳ぐ鯨のように悠然と存在し続ける。

私はやっぱりそんな街が好きです。



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