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ふらりと立ち寄ったガーデニングショップにて、かすみ草が一年草であることを知る。それもそうかと妙に納得した。美しさと儚さは同値だし。



ある方が春になると頭がおかしくなると書いていたのを思い出す。面白いものだと思う。私は特に春に思い入れがない。ただ強いられることが春には多いと毎年思う。 始めさせられた新生活は面倒だし、何か始めないといけない気にさせられるし、何故かもたらされてしまう期待と希望はうざったいし。あと桜を見にいかなくてはという気にさせられるし、桜を見れば彼のことが思い出されるし。春は強制力が強くって嫌だね。でもそれだけ。ある方みたいに季節にいつまでもついてまわる思い出って素敵だなと思ったりする。私はどの季節にもそこまで思い入れがないから。それがたとえ春になって頭がおかしくなるとしても。



この4月で25歳になった。人生なんて25年くらいでいいと毎年のように思っていたその年を超える。ゴール間近のマラソンみたいにあと少しと唱え続けてきた呪文は効力が切れてしまった。ここ最近は効果絶大だったのに。小さなショートケーキを前にひとり考えた結果、ゴールを少し伸ばすことにした。人生が生きるに値するものなのかいつになったら知ることができるのだろうか分からないが、ただそれまでは死ねないと思ったのだ。済し崩し的に生きたくも死にたくもない。



noteで他人の日記をよく読んでいる。日記を読んでいる間は背後霊みたいにその人に一日中ついて回っているような気がする。その浮遊感が心地良かったりする。

一方で読書に対する熱意が失われつつある。結局何にもならないなと感じてしまうようになったから。それは日記を読むのも同じはずなんだけど。よく分からない。そもそも本当に何かになるものなんてこの世にあるのだろうか。あったらそれをやらせてほしい。



桜を見た。あと何回見るだろうか?


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