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連続小説「アディクション」(ノート41)

ギャンブル依存症から立ち上がる

この物語は、私の誇張された実体験を基に妄想的に作られたフィクションですので、登場する人物、団体等は全て架空のものでございます。

〈「迷惑」〉

実に「迷惑」な人たちの集団、というのがここ「正力クリニック」のアディクショングループのことであるということは、紛れもない事実でしょう。

痴漢をする、盗撮をする、下着を盗む、ストーカーをする、覚醒剤を持ち歩く、ウソをついて借金する、横領する、万引きをする、こんな人たちの集まりですから生粋の「迷惑集団」ですね。

まぁそういう「迷惑」を今後掛けないように、ここで治療するということで、このクリニックが存在するのですが、

理事長曰く「依存症は治らない、一生通いなさい!」なんて一部のメンバーに恫喝しているくらい、治療とか克服とかは一筋縄でいかないことは、ここの最高の「優等生」である大北さんでさえ、スリップをしてしまったことが裏付けとなってしまっております。

そこはさておき、私は前回の動画でアドバイスという「迷惑行為」をそれとわかっていながらやってしまう、ということで今回は「迷惑」について掘り下げてみたいと思い、取り上げました。

まぁ、迷惑かけない人はいないでしょう

ただ、私のように「迷惑とわかっててやる」ことに賛否というか否定的なご意見になるかと思います。

厳密に言うと「迷惑とわかっていながらやむを得ずやってしまう。」なんですが、つまりウンコを人に投げつけるか、我慢できずに野糞をするかみたいなもんでしょうか。それでもパンツ履いたままウンコをして染み込ませた状態で会社に行くとそれこそテロ行為になるので、総合的と瞬間的な判断で野糞をしてしまったということなんですが。

少し極論かもしれません(かなりか)。

もう一つの視点としては、例えば「アドバイス」を「実は迷惑なこと」として、認識してするのか、しないでするのかというのがあります。

認識してする、ならばさっきの野糞話のように色々な配慮ができるわけですが、認識していなければ、見境なく相手の領域に土足で踏み込んで、自分は気づかぬうちに相手が大きく傷つくリスクがあります。

で、これはあくまでも私個人の見解ですが、言葉の最悪が「アドバイス」だとすると、迷惑の最悪は「命懸け」です。

「命懸け」で仕事とか何かをすると、必ず「死人」が出ます。自らが死ぬか、ライバルが死ぬか、巻き込まれた人が死ぬか、多分「巻き添え」が一番多いかなと。政治家やプロ野球の監督の夫人は本人よりも先に亡くなってることが多いのもそういうことかなと、これはあくまで私個人の憶測ですけどね。まぁ政治家とかプロ野球の監督とかは、平気で「命を懸けて戦う」とか言うので私的には気持ち悪くて仕方ありません。

命懸けでライバルを蹴落とし殺し、富を得て、そしてセックスをして子供を沢山作って「幸せ」なんて言っている人たちって私にとっては迷惑です。

まぁだから、生活保護費を増額して月イチくらいは風俗に行けるようにしてやってもバチは当たらないと思います。

競争すれば、命懸けの人の方が勝つだろうし、それだけの「覚悟」を持てる人が上に立って生き残れる、なんて言うけど、やってることは私からみたら「脳天気な人殺し」とも取れます。

「迷惑」の捉え方は人それぞれで、私の捉え方がかなり歪なものかも知れませんが、まぁ迷惑もある種の排泄行為だからはかけて当たり前だけど、「自覚すれば配慮はできる。」という線で、迷惑はかけてもいい、ということにしますw


「ただただ生きる」〉

と、この表題に書くまでもなく、ここ「正力クリニック」のアディクショングループの皆さんはこれを実践していると思われます。

ちょっとここんとこのチャプターでは、私の独断的な「ものの見方」について語らせて頂いており、読者の皆様で少し食傷気味感じられている方もいるかも知れませんが、しばらくご辛抱いただくか、遠慮なく飛ばしていただいて構いません。

では、表題に戻ります。

ここのメンバーさんは、ほとんどの人がスリップしないように日々を過ごして、これから克服して社会に出ようと思う人はそんなに多くいません。社会復帰を目指しているのは、私の他には玉井さんとノブさんと、あとは若手の根市君と加茂川君くらいでしょうか。

大北さんなんかは、ギャンブルを止めることをライフワークにしていて、下手に社会に出ると色々な刺激にさらされてスリップしてしまうので、ここに一生通うなどと仰っていますが、それでも先日スリップしましたw

迫丸さんも、社会に出ることが薬物に再び染まるリスクがあるということで、将来的には社会に出たいとは考えているようてすが、まだまだしばらくはここで過ごすことにしているようです。

淡河さんは、生活保護だけで収まりきらない時に小遣い銭(馬券代)欲しさに短期的な「社会復帰」をしてますが、腰を据えて社会の一員として働く気は全く無さそうです。

で、魚さんですけど、私と同時期にここに来て1年半近くになるのですが、まず、自分はギャンブル依存症だとは思ってない、すぐにでも社会で活躍できる。そして、かわいい花嫁さんをもらって楽しく過ごしたいという「妄想」が、全く消えておりませんw

理事長の「お許し」が出るまでは、ここにいることになるでしょう。ていうか、誰がどう見てもここで「一生通いなさい」にふさわしい人だと、私も認識しておりました。理事長の薦める『介護職』ってやつも、たぶんこの人のほうが利用者に逆に介護されるんじゃないかと思ってしまいます。

まさか今、私がその職業訓練受けているとは当時は全く想像できませんでしたが

そういうわけで、社会復帰もせず、生活保護をもらって生き延びていくというのは、この人たちの背景などから考えると『最も賢明な選択』ということになっていると思うのです。

社会の一員として働く『市場』ってやつにも需要と供給のバランスがあるのかなと思います。自分がそれにマッチングしていない場合は、そこから離れてただただ生きることがむしろ大切だと考えるようになってきていました。

以前から「人生全て運」と申し上げてましたが、その「運」というのは、「出会い」と「気づき」、言い換えれば「環境」と「自覚」の2つだけだと思っていて、これは何もしなくてもどちらかは必ず近いうちに訪れるはずです。

私は「このままじゃダメだ。何か働こう」という「自覚」という「運」が勝手に舞い込んできたということです。

理事長が魚さんに「介護をやれ」と言ってきたのも「運」です。この理事長の存在と介護を薦めるいう「環境」が舞い込んできたのですが、魚さんがそれをスルーして、魚さんにとっての「もっと素晴らしい運」が来るのを待っているんだなと理解しています。

まぁこの人は、「自覚」を全くしないというところがあるかも知れませんが。

とにかく今は、生活保護をもらって通院して規則正しい日常を送るってことで皆さん全然OKだと思ってます。

ただただ生きて「運」を待つ。

今回はここまでとします。

GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ
















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