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商いと義理人情、浪花節

 赤塚不二夫原作「もーれつア太郎」はナンセンスギャグアニメの傑作です。第1作は、約50年前に放映されました。白黒で描かれた第1作を、私は、ギャグアニメではなく、守護霊と輪廻転生を描いた“まじめな経典”だと思います。
 アニメ第1作は1969年4月4日から1970年12月25日まで50作が放映されました。ウィキペディアによると、映画「天国への階段」をヒントに息子と父親の幽霊、下町人情物の漫画を構想したそうです。
 「少年サンデー」に連載開始後なかなか人気が出ず、人気テコ入れのためにとおちゃんの「×五郎(ばつごろう)」を予定より早く死なせ、デコッ八、ブタ松の登場で人情路線、ココロのボスでナンセンス度を増し、さらにどんなにいじめられてもめげないニャロメが読者の心を掴み、人気トップになったと言います。
 ア太郎のとおちゃん×五郎は、家業の八百屋をせがれのア太郎にまかせて占い師をやっています。小さな女の子の手にした風船が風に飛ばされて木に引っ掛かり、その風船をとってあげようと木に登ったら、誤って木から落ちてポックリ死んでしまいます。
 天国に登ったら、死んだのは手違いだと神様から追い返され、下界に戻りますが肉体はありません。そこで幽霊になって下界のとどまります。ア太郎には×五郎の姿は見えるし、声も聞こえますが、ア太郎以外の人には見えません。声も聞こえません。×五郎は、寝ているか、気絶している人間や動物に乗り移ることができます。
 中川無線創業者・中川昌蔵氏によると、神々の世界(四次元世界の霊界)も、地上と同様に神々の組織と法則により霊魂が指導、管理されているそうです。魂のレベルの高い順に、神界、霊界、幽界があります。霊界は波動の世界です。
 神界以上の魂は神、霊界の魂は霊人、幽界の魂は浮浪霊、地獄に落ちたものは地獄霊と呼ばれています。×五郎は浮浪霊なのです。時々、人間や動物に憑依して、ア太郎のピンチを救います。浮浪霊なのに守護霊のようにア太郎を見守っているのです。
 通常なら、死んだら魂は霊界に行きます。その後。輪廻転生を繰り返し、魂のレベルを上げると守護霊になります。×五郎が成仏してしまうとこの物語は終わってしまいます。成仏せずに、ア太郎を一人ぼっちにしたくないと見守り続ける親心があるのです。
 50年後の現在はどうでしょうか。子供は親の所有物です。親のエゴを子供に押し付けます。子供を見守るのではなく、親が敷いたレールの上を走らせようとします。子供は利用するだけ親を利用し続けます。
親孝行をしたい、親を楽にしたいという気持ちが希薄になっている気がします。親が死んだ後も葬式も上げず墓にも入れず、何十年にわたって死んだ親の年金を不正受給している輩もいると聞きます。親心子知らず、子心親知らずの世の中です。
 「もーれつア太郎」は輪廻転生を描いていると思います。学校では輪廻転生を教えてくれませんが、多くの日本人が輪廻転生を信じています。生まれ変わるのは魂のレベルを上げるため。前世で学べなかったことを現世で学び直すそうです。
 仏教のことばで「四苦八苦」があります。「四苦」は、生・老・病・死の四つの苦しみ。「八苦」は、この四苦に愛別離苦(あいべつりく:愛するものと別れる苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく:憎むものと出会う苦しみ)、求不得苦(ぐふとくく:求めても得られない苦しみ)、五陰盛苦(ごおんじょうく:心身の苦痛)を加えたものです。
 物語の登場人物は、主人公のア太郎、×五郎のほか、子分のデコッ八、ブタ軍団の親分・ブタ松、三人組ギャングのボス・ココロのボス、意地が悪いが憎めないニャロメなどが登場します。
 デコッ八が好きになった女の子を親分のア太郎に譲ったり、ア太郎やデコッ八が人間の汚いエゴや裏切りにより苦しめられますが、“信じる心”で敵が味方になったり、周りの人間が諸肌を脱いで危機を救ってくれるシーンがたびたび登場します。
 生まれ変わるうちにたくさんの「ソウルメイト」ができ、親子や上司、敵や味方に演じる役を変えて、目の前に現れて、現世での魂の向上を手助けしてくれているのです。
 自分をいじめる憎い上司が前世では、忠誠なる家臣であったかもしれません。愛おしい恋人が前世では、親の仇だったかもしれません。
輪廻転生を信じるとは、敵を信じること、憎むべき人を愛すること、苦しみから逃げ出さないことなのです。
 現在の社会問題にいじめと不登校、結婚の高齢化と少子化の問題があります。ア太郎は×五郎が死んで天涯孤独ですが、デコッ八がいます。デコッ八を親分と慕うブタ松がいます・・・。
 この作品を子供たちに見せると、現代の社会問題の解決の糸口があるのです。相談する相手がいない、相談する相手がいても親身になってくれないと嘆く前に、仲間を作るのです。仲間は「ソウルメイト」の化身であなたが声をかけてくれるのを今か今かと待っているかもしれません。
 日本人のこころは「誠」です。「誠」とは、言っていることとやっていることが同じということです。欧米では、勝つためになら何をしてもかまわない。自分たちが有利になるようルールを変えることは当然の行為です。また、騙すより、騙される方が悪いと開き直ります。今回のコロナ禍でもWHOや(傀儡の)政府の言うことを最後まで鵜呑みにしたのは日本人だけです。
 「誠」とは、義理人情、浪花節です。人と人は、一対一で義理人情、浪花節で接すれば、必ず通じ合えるのです。

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