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⑤【先に逝くのも悪くない?】     ホスピスとシャボンの香り

「私も最期はこの病院で…」
そう思わせてくれるホスピスで父が最期を迎えられた事はこの上なく幸せなことだと感謝しています。

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半月後、むくみがひどく両足はゾウの足。
次第に腹水もたまりどんどんお腹は膨らみ
寝返りも打てず、背中が痛いと訴えました。

骨に転移しての痛さなのか、床ずれなのか?
「腫れてないかみてくれ」と言われ体の下に
手をいれてみるも、腹水で体が重くて私の力では身体を動かすことが出来ませんでした。

看護師さんに聞いてみると
「背中は紫色になっているけど、多分それだけではないのでは…」と。

背中に当たる部分が少しでも楽になればと
普通のマットレスからエアーマットレスに
交換してくれました。
(少しはいいと言ってました)

この時既に1人ではトイレも食事も出来ず
仰向け状態から体勢を変えることすら
出来なくなっていました。

父は1日でも2日でも楽になるならと
医師に「苦しいので腹水を抜いてほしい…」
懇願するも願い叶わず〜

腹水を抜いても又同じようにたまってしまうし、「栄養も一緒に抜けてしまい場合によっては寿命にかかわる」とのことでした。

次第に食も細くなる父に大好きだったおでん🍢の差し入れ。「お父さん、食べるかい?」
「うん」とうなずくと看護師さんが誤嚥しないように小さくしておかゆと一緒に食べさせてくれました。

これが最後の食事になるとは思いもせず
「お父さん、大根が最後の食事で良かったかな〜⁇」と思うのと「おでんの汁、もうちょっと熱々にしてあげるんだったな〜」
今では思うばかりです。

そしてよく友人と
「人生最後の食事は何が食べたい?」
などという会話をした事がありますが、
病気になったら、最期は美味しく食べられるかもわからないし、最期はいつかもわからないので、食べれる時に食べたいものを食べる(食べさせる)のが一番だなぁとつくづく感じました。

次の日からは食事も出来ず、うつらうつらと
なり酸素もはじまりました。

病院から「食事を止めていいですか?」
聞かれましたが、家族としては
「少しでも食べなきゃ弱る」との思いから
お昼一食だけは出してもらうようお願いして
様子をみることにしました。
その後、結局食べることはできず止める事に…

「全く食事が無い状態で生きれるの?」
私は不安に思って看護師さんに聞くと
父はもう「省エネモード」に入っているそうで「生きる為に最低限の心臓や呼吸に力を
つかい精一杯生きている」
とのお話しでした。
(食べて消化するのも大変な力を使う事だから)

さすがに素人の私でも、
《もう時間が無い》ことは見てとれました。

父は話しかけると声に出して返事はできませんでしたが手を握り返してくれたり、涙をながしたりしました。

人間の👂の機能は最期まで残るらしいです

「まだ、わかってるね…お父さん。」
今、言わないと後悔すると思いました。
私は父の肩を抱いて耳元でささやきました。

「お父さん…ありがとう…」

ちゃんと、言・え・た…。

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次の日、看護師さんが
「今日はお風呂の日ですが、入りますか?」と聞きに来ました。
「えっ⁉︎」「この状況でお風呂⁈」
母は無理だと思うので…と言って断りました。

その後、廊下で私が看護師さんとすれ違うと
「お母さんは無理だとおっしゃってましたが
お父さんがお風呂が大好きで家族が望むのでしたら入れてあげることは出来ますが…」と。
「もちろん、いつ急変してもおかしくないので動かすリスクがありますから万が一の覚悟は必要ですが」と。

私も初めは「イヤイヤ、さすがに無理でしょー
お風呂って体力使うし、血圧とか…?」
と思いましたが、もう一度部屋に帰り母に相談すると母はおもむろに父の耳元で
「お風呂入るかい?」
と聞きました。
するとほとんど反応の無くなっていた父が
「う〜」
と声をあげました。

「入るってさ!」「入れてもらおう!」
返事なのか偶然なのかはわからないけど
普段優柔不断で父がいなければ何も決められない性格の母の腹が座った瞬間でした。

私は母の手を握り言いました。
「何があっても絶対後悔はしないよ!」
「約束だよ!いいね。」
母に言いながら、私は後悔しないと
多分自分自身に誓っていたんだと思います。

その後、5人がかりでいつもより手早くベッドで服を脱がせて準備。
酸素ボンベを抱えながらの移動。

「大丈夫かな…。」

15分後…
戻ってきた父はお風呂で血流が良くなったらしく、ほんのりピンク色の肌。

シャボンの香り…🫧

「良かったね!」「気持ちよかったかい…?」
父のツヤツヤの幸せそうな顔…

家族にも覚悟は必要だったけど
お湯の温度ひとつとっても
《ここで死なせるわけにはいかない》
というプロとしての細心の注意とチームワークが必要だったに違いないと私は思います。

それから一週間後
父は還らぬ人となりました。

私は今でも
あのシャボンの香りを忘れない…。

《あなた(家族)なら、最期の最期にお風呂に
入れるとしたら入りますか?》

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最後まで読んでいただきありがとうございます

毎回、父のその時のことや自分自身の感情が
溢れ出し何度も涙してしまいました。そして

《元気になったところで辞めようか…》とか
《やっぱり消しちゃおうか…》とか
《なんで泣きながら書いてるんだろう…》とか

正直4話で指が止まり、ここに辿り着くには
少し時間がかかってしまいました。

最後に、今父を看取る前と後で私の感じ方が変わった2つをお話しして終わりとします。
(率直に私が感じたことなのでいろいろ人により感じ方はあると思いますがご了承下さいね)

一つはホスピスに行ったら人生終わりのような感覚を抱いている私がいましたが、
《餅屋は餅屋》という言葉があるように
「人生の最期をより良くする為に」
本人と家族が心身共に穏やかに過ごす為の
素晴らしい場所だなぁと思いました。

もう一つは、長生きするのが一番いいと思って生きてきましたが、父を看取って思ったことは
夫婦でいたら
「先に逝くのも悪くないなぁ」
と。
最愛の人に手を握られ、家族に涙してもらい
それはそれで
「なんて幸せな人生なんだろう」
父を羨ましく思ってしまった私がいます。

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最後の最後まで読んでいただき
本当にありがとうございました🙇‍♀️











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