甘えてはいけない病

突然ですが、「お兄ちゃんでしょう/お姉ちゃんでしょう」とか、「もう大人でしょう」…親や親族からこんな事を言われた事は無いでしょうか?

その言葉には(下の子が居るんだから上のアナタはしっかりしなきゃね)と言う意味が込められている。

一人っ子だから聞いた事無いですと言う人には聞いても多分「その気持ちは分からないな」と一蹴りされてしまうかもしれません。

末っ子だったらどうでしょう?

私はと言うと「お兄さん、お姉さんは私のために我慢してるんだ…何だか申し訳ないな」と何だか兄弟である事に逆に嫌に思った事が何度かあった(3兄弟の末っ子)

お兄さん、お姉さん…あるいは成人した人が「他人に甘えてはいけない」と言われてきたのをずっと見てきて「なんで甘えちゃいけない」のだろうと、社会の中で殺伐としている事に疑問を感じて生きてきた。

よく末っ子は甘えん坊だったり、他人に甘えるのが上手なんて根も葉もないそんな薄っぺらい説が実しやかに囁かれてきたけれども、本当にそうなのか疑ってしまう。

親や親族から「甘えるなんて情けない」と言われるのが教育やその人を自立させるのに大切なのかというと私としては正直間違えているのではないかと思います。

私の持論としては「甘える事と甘やかす事は違う」と思うのです。

(私は今辛いから助けて下さい)と他人にSOSを発信すればそれはどうなると思いますか?

聞いた人は「自分の力で出来ないのかな?」と思うでしょうか?
それとも、「あの人は○○の事情があるから助けてあげよう。」と思うのでしょうか?

こういった問題は個々の自由でもあり、どう受け取るかは勝手なのですが、「甘えたいのは自分が楽をしたいから」では無いと思うのです。

楽をしたいのなら甘えるという以前にこの人間社会にそもそも参加しなければ良いだけですし、なんなら参加してない事があり得ます。

でも、そうはいきません。

人間社会に参加したくても参加できない、勇気が出ない、起き上がるのに精力を使い過ぎてしまう‥と言った辛い、苦しいという思いを持ち、他人に打ち明けるのが「甘えるな」と言われそうで怖いと感じている人が居る事も事実。

でも本人は甘えているのではありません。
やっと重い口を開けて助けを求めているのです。
つまりは「最後に打ち明けれるのは君だけだよ」と言うサインなのです。

では一方で甘やかすとは何でしょうか?

私が思うに甘やかすとは「社会で生き抜く事で何が大切かを1つも教えない」事だと思います。

私は昔、親から「どうして人は働くと思う?それは生きる為にご飯を食べていくためだよ」と教わりました。

社会で生きていく大事な事です。

お腹すいて力が出ません。そうならない前に食べなきゃいけません。でも食べ物には限りがあります。だからお金を貯める為に「働く」。

でも世の中には「働きたくても働けない人もいる」のも事実。

見渡してもやりたい事、お金が足りないからこの職業をしなきゃいけないのに募集のボーダラインギリギリ…etc挙げ出せばきりがないくらい。それに対して貰える給料はそれに値しないからとても生活が辛く思う。

そこから「助けて欲しい」なと思う人が多数出ているのが現状でありその内、「信頼を感じられる、助けてほしいとちゃんと伝えられる関係の人」がいる率はこの日本国内でどれくらいいるのでしょう?

実の親からも実家が火の車で辛いからあてにしないでほしいと援助を断られたと言う人もいると思います。

でもそれが「当たり前」となったらお終いなのです。

よく昔から「金の切れ目が縁の切れ目」とも言いますが、本当にそうなってしまっては甘える以前に人をお互いに信用出来なくなります(親子であっても、友人関係であっても)

ではどう改善すれば良いでしょうか?

(お金がなかったり、困り事で生活が辛い…でも甘えたら終わり。)と思ってからがスタートラインなのですが、家族に甘えるのが辛ければ、国に甘えるのはいかがでしょうか?

甘えは自分をダメにすると思うから余計にドツボになっていくのではないかと私は考えています。

仕事とかでストレス溜まって始めたギャンブルで大負けした事で借金してしまったが、プライド高くて他人に甘えたり弱さを見せるのが嫌だ!と思っていたり、その事で自分という軸を無くすのなら、一層の事自己破産してみるのも一つの手と思えます。

まあ、だからと言って「借金の肩代わり」が甘えとは私は思いませんが…。


最後になりましたが、私が伝えたい事は「甘えたいのと甘やかすは違う」と言う事。