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【エッセイ】忘れられない味~渡せなかった手紙~

おばちゃんへ

信州屋の暖簾初めてくぐってから、もう17年になるね。蕎麦屋みたいな名前で、実は中華料理屋。信州味噌を使った味噌ラーメンが売りだったね。私は、同じく売りの餃子が特に好きだった。それはよく知ってるよね。

私が精神的に弱くてお医者さん通ってて、人づきあいが下手だから、おばちゃんは私の唯一の友達だった。根っからの江戸っ子のおばちゃんはいつもしゃきっとしてて、小柄で早口で、どんな時も笑顔で、どんな話も聞いてくれた。

野菜が値上がりしても、餃子だけは値段変えなかった。新作のスープ餃子の試食なんかも任されちゃって、実はすごく嬉しかった。お客さん帰る時は、一緒に「ありがとうございました」なんて言いたくて我慢してたんだよ。何だか自分のお店みたいに嬉しくて。笑われちゃうかな。

メニューにない水餃子も作ってくれたり、こっそりお土産くれたりした。餃子持ち帰る時はいつも多めにしてくれてたの、ちゃんと分かってたよ。

おばちゃんが2年前急に入院して手術になった時はいつ休業の貼り紙がはがされるかとやきもきしたよ。また餃子に再会できた時は嬉しかったけど、おばちゃん30キロ台まで痩せちゃった。でも嬉しくてお花贈って、お店に飾られたの喜んで、私バカだった。

おばちゃんの入院中に娘さんが末期がんだって分かって、おばちゃんの心労がたたるのを恐れて誰も知らせなかったのに、おばちゃん退院した次の日に娘さん亡くなったなんて。でもおばちゃんずっと笑顔で、いつもみたいに、そんな時でも、いつもみたいに、笑顔で、笑顔で。私何も知らないでお花なんか贈って、そのこと常連の人から聞いちゃった夜、自分を責めて一人泣いた。おばちゃんのもとに飛んで行きたかった。おばちゃん、泣いてもいいんだよ、って、細い肩思いっきり抱きしめたかったんだ。

去年の秋から、区役所改装の為に信州屋近隣は一斉に立ち退きを命じられた。駅ビルの店舗借りて続けようかすごく悩んでたね。でもご主人も高齢だし、夫婦二人きりでやってきた、30年続いた店を閉じることになっちゃった。

最後の日は親戚だけだったから、持ち帰りの餃子頼んだね。もう何度も、家でのおいしい温め方教わってるのに、また丁寧に教えてくれた。私そんなおばちゃん見て泣きそうだった。でも、最後めいいっぱいおいしく食べようと思って、一生懸命聞いてたの。

今は工事が本格化して、もう信州屋は跡形もなくなった。私今でも、その跡地の前で時々立ち止まって、心の中でありがとう、お疲れ様、それから、ごちそうさまでした、って呟いてるんだ。

どんな大きなチェーン店や流行の店にも負けない、一個一個手作りのあったかい餃子。6個で400円の餃子。私にとっては世界一の餃子だよ。私、絶対に、いつまでも忘れないよ。だっておばちゃんの温もりがいっぱい詰まった、笑顔ごとおいしかった餃子だったんだもん。忘れられるわけ、ないじゃんか。

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