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【振り返り】死の自覚と虫歯のとばっちり

(ちょっと過去のおはなし)
先日、タバコを買いだめしておいた。年末年始休業に備えてである。ほか、安くなっている時に買いだめするものはたくさんある。

何故買いだめするのか?買いだめする意思があるからだ。何故意思があるのか?それは当面生きているだろうという楽観的・主観的根拠による。

高校3年だったか、虫歯が酷く進行し、五本くらい抜かなきゃダメじゃないの?という程まで深刻になった。歯を通り越し頭は寝ても醒めても割れるようで、当時付き合っていたオナベの前でも食事ができないのはもとより、常に頭を抱えて眉間にシワを寄せていたので、彼(彼女)には私はさぞかしひどい頭痛持ちだと思われていたのだろう。

何故歯医者に行かなかったのかといえば、理由は単純、毎日、明日にでも死のうと考えていたからである。チョット想像してもらえればお分かりと思うが、自殺しようとする人間は歯医者になどかからない、どんなに酷い痛みがあろうとも。肉体的な苦痛は精神的な苦痛に劣るのだ。

その後生きる道を選んだ私はようやく歯医者に通い始めた。2年かかった。
だが放置していた虫歯はあれから20年経って歯茎などにじわじわと影響している。あの時小さな虫歯の時点で通っていれば、今こんなとばっちりを受けることもなかったハズだ。

消耗品の買いだめも明日を生きる意思があるからこそできるもの。明日死のうと考えている人間はタバコをカートンで買わない。

死を自覚することはそう容易くないが、まさにその自覚によって一日一日を輝かすことができる。刹那的な美学でもなく、快楽主義でもなく、ただ死の自覚とともに生きていることの自覚が、輝きを与える。消耗品の買いだめをする度に生きている実感を新たにする。

明日も私は生きる。そしておそらく半月後にはまたタバコをカートンで買いに行くだろう。

(今はタバコ吸うのをやめたが、この時の考え方はほとんど変わっていない。)

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