明治生まれのお爺ちゃん

私が10歳の時に祖父が亡くなった。老衰で数え90歳の大往生だったという。

後で知ったのだが、法律が変わる少し前だったらしく、お爺ちゃんは土葬で埋葬された。その様子が目に焼き付いている。

揃いのはっぴを着た人たちが集まり、土を掘り、何かわけのわからない声で吟じながら淡々と作業を進める。お坊さんの読経がはじまって親族が見守る中、お爺ちゃんが眠っている棺桶が入れられ、土を埋め戻す。

すべて埋め終わったあとも、土は高々と盛られる。

子ども心に妙だな、古墳みたい、と思った。

実家のお墓は家の裏、敷地内にある。

しょせんは子どもなので好奇心が先立ち、毎日お墓を見に行く。翌日の夕方だったか、人魂を見た(大人になってからそれがリンという成分だったと知る)。

怖かったが、また別の日も、と度々見に行ってしまう。

そんなある日。いきなり目の前で、ズンッ! 「ひぇ〜〜」

声にならない悲鳴をあげる。一目散に家へと逃げ帰る。

盛り上げた土が落ちたのだ。木の棺が腐って崩れ落ち、腐乱ガスで出来た隙間とともに埋まる。

その後しばらくはお墓へ行かなかった。

ちゃんと確認したことはないが、お爺ちゃんは明治10年の生まれだ。西南戦争で西郷隆盛が戦死した年だ。勝海舟はまだまだ現役だった。徳川慶喜が静岡で余生を過ごしていた。そんな頃にお爺ちゃんは生まれたのだ。

自分の記憶には、お爺ちゃんが自力で歩いていた姿が無い。中気(脳卒中)を患い右半身が不自由だったので、息子の嫁である私の母がいつも介護していた。日当たりの良い縁側でよく寛いでいたなぁ。

お爺ちゃんはいつも片手に樫の木の杖を持っていた。私が悪さをすると、不自由な身体を杖で支え追いかけてきて怒鳴っていた、と母に聞いたことがある。

身体が不自由なので溲瓶(しびん)をつかっていた。そのため部屋はおしっこ臭くて嫌だったが、けっこう周辺で遊んでいたようである。相撲を一緒に見ていた記憶がある。嫌がる私を捕まえてハサミで髪を切られたり。

後年、これも母に聞いた話だが、お爺ちゃんは無学で、文字の読み書きができなかったらしい。

で、世話好きで目立ちたがり屋でもあったという。そして、村いちばんの力持ちであり、喧嘩好き。騒動や喧嘩の噂を聞くと、隣村はおろか遠方の村まで出張ってひと悶着し、事を納めるのが自慢だったらしい。

その他にも、重い石を持ち上げる競争で優勝したり、と、何だか時代劇の一幕のようだけど、いつも甲斐甲斐しく側で世話をしていた母から聞いた話なので、多少の脚色や思い違いはあるとしても、作り話ではなさそうだ。

それに、子供心に、父親とは異なる貫禄を感じていた。

わずかな時間しか触れていなかったはずだが、今も強烈な印象を残しているマサキチ爺ちゃん。

あっぱれな人生だったね。

私は90歳まで生きたいと考えている。それはお爺ちゃんの影響かも知れない。

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