補助輪はいつか必ずはずれる
親というのは補助輪なのかもしれない。
子供は、最初はその存在がどんなものかなんて分かってなくて、でも確かに助けられていて。
こけそうになって初めて気づくのかもしれないけれど、感謝すらしないのかもね。
ちょっと独り立ちできるようになったらさ。なんだこれ、邪魔だな。なんて言ったりしてさ。そんなもんなんだろうね。足枷になることもあるし、ずっと付けてたら恥ずかしいって思うかもしれないし。
だからいらないって言われた時にはおとなしく外れてあげなきゃいけないんだよね。
あー、ちょっと違うな。親だからって必ず補助輪になるわけじゃないや。そう、心構えとして、補助輪であろうとするべきってところかな。
走りやすく舗装された道になってはダメだし、北風や太陽になってもダメで、手を引いてあげることもすべきでないのかもしれない。子供の意思を無視してレールの上を走らせるようなことなんて言語道断。
行きたい所に、行きたいようにさせてやればいい。親に出来るのは、ほんのちょっと倒れないようにするくらい。
君が一人で進んでいけるまで。
君が自分から補助輪を外すその日まで。
お誕生日おめでとう。
また漕ぐの上手くなったね。
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