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ハイレベルコミュニケーション『プレゼント』

難易度の高いコミュニケーションとして、ぱっと思いつくのが「プレゼント」だ。その難易度の高さとは主に「関係性」と「重さ」に因ると考えている。


日付を遡ると2月には「バレンタインデー」というイベントがある。日本では主に女性が想い人にチョコを渡すという文化である。このチョコも立派なプレゼントだが、所詮はただのチョコだ。

また、少し先にはなるが「母の日」なんていうイベントもある。子が母親に対してカーネーションを贈るのが一般的だろうか。このカーネーションも立派なプレゼントだが、所詮はただの花である。

チョコも花もそれ自体には意味はない。その日、その時に、誰が誰に贈るかによって初めて意味が生まれる。だからやっぱりプレゼントはコミュニケーションなのだ。


赤の他人から母の日に渡されるカーネーションは恐怖でしかないが、バレンタインには義理チョコという文化があって、これは実に上手い手段だと私は思っている(みんな止めたがっているという現実は置いておいて)。
というのも、

“興味のない人から向けられる好意ほど気持ち悪いものはない”

と、考えていそうな人であっても義理チョコという大義名分があれば、渡す方ももらう方も心理的負担が少なくなりそこから関係性(必ずしも恋仲とは限らない)が生まれる可能性もあるからだ。想いは伝わらないと始まらない。本命を義理という包装紙で包むことは可能なのだし。


さて、冒頭で挙げた難易度は「関係性」と「重さ」の掛け算で表現できる。

もともと関係がなかったり薄かったりする場合に、本命チョコをもらってもコミュニケーション効果は薄いだろう。というわけで数値モデルにしてみよう。

0.01(関係性)x100(重さ)=1(効果)

こんな感じだ。100%ド本命のチョコでも関係性が築かれていなければ効果は薄い。

次に親しい間柄の友人から友チョコをもらえた場合。

50(関係性)x10(重さ)=500(効果)

といった具合。


敢えて説明を省いたがこの関係性の値はもらう側の主観によるものだ。

プレゼントとは、もらった側がそのプレゼントにどういう意味付けをするかという問題である。つまり、贈る側の主観の関係性の値は、意味付けには影響しないのだ。

先に挙げた本命チョコ、もらう側はほとんど関係性は無いと思っていたが、贈る側がこんな風に考えていたとしよう。

100万(関係性)x100(重さ)=1億(効果)

贈る側は1億の効果を期待して渡しているが、もらう側は1であった。そのギャップはとてつもなく大きく、コミュニケーションが成立しているとは言い難い。

この数値モデルにおいては、コミュニケーション効果の値が大きく、なおかつお互いの主観によるコミュニケーション効果の値のギャップが少ないほど、良質なコミュニケーションといえる。

よってプレゼントを贈る側は、もらう側が自分との関係性をどのレベルであると認識しているかや、プレゼントの金銭的価値などの重さや想いの込められ方をどう判断するかを想像して贈らなくてはならないということである。これがプレゼントというコミュニケーションの大原則であり公式だろう。

公式ゆえに逆算もできる。母の日に赤の他人からカーネーションをもらう。つまり母への感謝の意味づけしか無い、本来ならとても重いはずの花を贈るという行為がなされるということは、それに見合ったコミュニケーション効果を贈る側は期待しているはずで、それはつまり、贈る側にとってはもらう側と強い関係性が存在する可能性(隠し子?)や、強い関係性を持ちたいという意思(ボクのお母さんになって下さい?)を感じさせる。これは恐怖でしかない。一方で、カーネーションを贈る側が父方の連れ子だったなら、もらう側の継母は子に母と認めてもらえた、という逆算結果になり喜ばしいことだろう。


プレゼントとは、相手と自分の関係性をどう捉えるか、そこにギャップはないか。そして、贈るものの重さはどうか、想いは伝わるか。何よりも、それを相手が理解してくれるか、誤解はされないか、共感してくれるか、ズレはないか、受け容れてくれるか、それら全て本心か、といった何重にも張り巡らせたラインを認識し調整し、最後には相手を信頼することでしかその効果を充分に発揮できない。

プレゼントはハイレベルなコミュニケーションなのだ。


さてさて、何を贈ろうか。



以下、雑文。


 君が僕にプレゼントを差し出してきた。

“君が僕にそれをプレゼントしてくれることの意味を僕は知っているし、それを僕が知っていることを君は知っているからこのプレゼントを選んだわけで、その裏の意図に僕が当然気づくことは君だってわかっているだろうから、僕がここで照れながらこのプレゼント受け取ることは全ての返事になるわけだけど、僕が素直にそう出来る性格じゃないことも君はわかっていて、でも僕が受け取りたいってことも君はわかっていて、僕が渋々受け取るしかない状況まで用意して、そうやって僕に無理やりプレゼントをもたせて、わざとらしく返事はいらないよって言うんだろうね、だって返事なんてしなくても君にはもう全てお見通しだし、実際その通りなんだから!”

 ほんの一瞬の思考ののち、僕が涼しい顔でプレゼントを受け取る。すると君はニヤリと笑うから、僕はわざとらしく溜息を吐く。この選択すらも君の想定の範囲内で、次に僕が文句を言い始めることもきっと君の想定の範囲内で、だから君が僕の口を塞ぎに来るのは、それは僕の想定の範囲内だよ。
(おわり)

妄想劇場。こういうシチュエーション好き。

このレベルまで到達していれば、もはやプレゼントの品はなんでもいいんだろうなー、と思います。

ではここで一曲。

歌がプレゼントになる関係性というのも素敵ですよね。朝に歌いたくなる曲です。

(問題は、徹夜に近い生活を送っているというのに、まだ私のアレはあがっていないということなのだよ……もう少し時間が……)


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