サル痘に関するWHOの声明を読んで
数日前にサル痘が日本にも入ってきた。また見たくないものを見ることに、いや、醜いものを見ることになりそうだな、という思いだ。
そして案の定、その感染源とみなされている属性を持つ人々は攻撃されはじめている。
WHOはサル痘に対して警告と以下のような声明を発信した。
この言葉は、感染者の98%が男性同士で性交渉する人であるという事実があるからだろう。これは否定のしようがない事実だ。しかし、この事実を受けて発せられたこの声明に意味はあるだろうか。
この声明を受けた当事者の方々のうち、行動を制限する人はいるだろう。しかし、行動制限出来る人はこの声明を受けずとも自制出来るのではないかと考える。このひどい声明を目の当たりにしても行動できる意志があるのだから。
そしてこの声明を受けてなお、行動制限をしない人もいるだろう。そういう人は、声明に関わらず自分のしたいように振る舞うはずだ。なので、こういった人たちには、この声明は何の意味も持たない。
つまり、当事者の方にとっては大して意味を持たないものであるように感じる。
が、当事者でない人たちにはこの声明は絶大な意味がある。すなわち、忌避すべき事柄や責任を負わせる属性を知った気になれるのだ。(サル痘は性感染症ではないし、誰でも感染し、感染源になりうるのにも関わらず。)
人々が意識無意識関わらず持ち合わせている差別感情を、WHOの声明と公衆衛生を守るという大義名分のもと振りかざすというわけだ。醜い。
また、先程引用したニュース記事には下記のような文言もある。
先に挙げたWHOの声明自体は、言葉の選び方に差別的なニュアンスがある気はするものの、公衆衛生を守るという目的を功利主義的観点で考えれば真っ当なものである。すなわち、主たる感染源を、人権を無視してでも潰せば収束は早まるというもの。宿主ごと殺せば寄生虫は根絶できるという考え。それは、中国がコロナが出たマンションを溶接して封鎖したというのに近い感覚だ。非道に感じるが、理解はできるしある意味では正しい。
だが、この引用文はさすがにひどい。
これを言い直すと「サル痘への偏見と差別は、感染者が治療を受ける妨げになりえて、感染拡大のリスクが高まるので止めましょう。」という意味だ。これはつまり、「現状感染者の98%が男性間性交渉を行っている事実のあるサル痘だが、そういう者に対しての偏見や差別があなた方(WHOが声明を発する対象=世界の人々)に存在するのは前提としてあると思うけど、サル痘自体は誰でも感染し得るから、症状等に疑いがあったら速やかに受診・治療を受けましょう。それが感染拡大の予防にもなります」ということだ。
つまり、この引用文の中で男性間性交渉を行うものに対しての偏見や差別は止めましょうとは言っていない。
WHOとして、あくまでもサル痘が流行することを懸念していることについての声明なので当然といえば当然ではある。
が、このような文言を添える必要があるのなら、そもそも最初から偏見や差別に繋がるような声明にしなければよいとも思ってしまう。
たとえば、
そうは言っても、WHOからしてみれば、データに基づいた情報で対策を発表しなくてはならないのも理解できる。データがデータであるから、異性間も含めた広義の性交渉という大きいくくりにすることは難しいと判断したのかもしれない。
しかし、そういう事情を読み取れない人からすれば、これほど強固な正義の剣――いや、盲信の鎌はないだろう。
穿った見方をすれば、この声明はその鎌を振るえと言っているようにもみえてしまう。「これこそが正しいことだよ」と、悪魔が耳元で囁いているかのようだ。
そういえば、コロナ騒動の最初期において、クルーズ船やら海外からの帰国者が同じように感染源やらの責任を負わされていた気もする。また、行動履歴をちゃんと答えない人や、隔離施設から脱走した人を攻撃する風潮もあったと思う。
今となっては、お隣さんや職場の同僚がコロナに感染しもてなんとも思わない。犯人探しや責任の所在もいちいち気にしなくなった。これは、感染が広まったからという面もあるだろう。
そういう意味でいえば、私は人々の醜さを見るよりも、病気が蔓延した世界のほうがまだマシだとも思ってしまう。感染が拡大しませんように、という純粋な祈りすら、醜く感じてしまいそうだから。
「気持ち悪い、近寄るな。伝染る」
って言うよりさ、
お互いしんどそうな顔しながらも、
「おたくも罹ったんですね、お大事に」
って心から言い合えるほうがいいと思うんだ。
そして、こんな思いを抱えているからこそ、平穏な世界になることを望める気がする。そこには純粋じゃなくても、誠実さがあると思うから。
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