絵本に教訓は必要か?
子供にせがまれ絵本を読む。好きなお話というものはやはりあるようで、我が家の100冊近くある絵本の中から、持ってくるのはいつも決まって『きんたろう』『かぐやひめ』『ネズミのよめいり』『はくちょうのおうじ』『ももたろう』だ。
ヒット率5%はひどい成績なのは間違いない。一度も読んでいない本もある。
気に入ったからといって何度も読んでいれば子供は話の内容を憶えてしまう。文字は読めないくせに、私に読み聞かせるフリをして冒頭部分を諳んじる。
果たして、絵本を読むことによって子供は何を得るのだろうか。
また、私は好きで絵本を読み聞かせているのだが、世の中にはイヤイヤながらも読み聞かせをする人がいるそうだ。これもまた興味深い。
絵本は、教養として必要だ。教訓とするべき要素が織り込まれている。ステレオタイプ的な男女観や価値観を学ぶのに手っ取り早い。頭脳の発達に良い。
読み聞かせ、ひいては絵本選びにおいてはこのような言葉をよく聞く。
本当か? それって必要か? と、私は思ってしまう。
全てを考えるのは無駄に長くなるだけなので、今回は「教訓」を得るためという目的にフォーカスして語ろう。
そもそもだ。大人であったとしても、教訓を得るために何かに触れるということはあるのだろうか。特にエンタメ作品に対してだ。
エンタメに触れることで、楽しいや面白い以上に、考えさせられるとか見識が広がるということはあるだろう。しかし、これらはあくまでも副次的なものに過ぎないと私は考えている。それらを得たいのならば、もっと適した情報源があるはずだ。ニュースしかり、論文しかり。わざわざエンタメにのせて理解しようなどとする必要はない。教訓を得たいのならばエンタメ要素はノイズになり得るのだ。
ここからも、エンタメから得られる教訓というのは、副次的なものであることが窺い知れる。
さらに持論を展開しよう。
例えば『ももたろう』という話。ここから得られる教訓はなんだろうか。私が考えたものをいくつか紹介しよう。
・目標達成のために必要な人材想定
・人材の勧誘と適正な報酬による意欲向上
・リーダーとしての行動力
・報酬と名誉を得る具体的方法
ビジネスの側面から切り込んだ。これ、子供に必要だろうか。いや、いらない。
子供視点で考えれば、勧善懲悪や人のために役立つことをしよう、などが挙がるだろうか。実際のところはよく分からないが、少なくともそんなことは絵本で教える必要はないように感じる。
否定ばかりもよくないので、あえて桃太郎からこの教訓を得ることが必要になる場面を考えてみた。
「そんなことをしたら鬼になって桃太郎に退治されるよ」などと親が子供に叱る場面だ。こうすれば、子供のやったことが悪いことだと認識して、今後の行動に良い影響はあるのかもしれない。しかし、これすらも子供がこの物語から善悪の概念や、退治される状況といった価値観を得ていることを前提にしている。もし、その共通認識がなければ、お叱りの言葉は響かないどころか、誤った方向に解釈されかねない。
そんな不確かな教訓は、百害あって一利なしだ。
子供視点で考えれば、絵本に教訓など必要ないし求めてもいないと思われる。つまり、絵本に教訓がほしいのは、大人側なのだ。
何故、その本を買って、読んで、何度も何度も何度も何度も読み聞かせをするのかの、その理由がほしいだけなのだ。なんと愚かしいことだろう。
子供は、ただ純粋に絵本を読んでもらうこと自体を楽しいと感じているのだと思う。いや、その方がより良い状態で、その状態にこそ価値を置くべきだと思う。
そう考えると、同じ絵本を何度も読まされるのもうなずける。子供によって違うのだろうが、同じお話であれば物語を理解するのに労力を割く必要がなく、全身全霊で「その状況そのもの」を楽しむことができるのだから。
いつもの安心できる環境が心地よいのは、大人も子供も同じだろう。
さて、今日の絵本はなんだろう。また『かぐや姫』か。いいよ、何度でも読もうじゃないか。
今日のかぐや姫はどんな設定にしようかな。おてんば娘風か、小悪魔系か、ギャル系か、月の使いが来るのが遅くてお婆ちゃんになっちゃた展開にするか……。文字が読めないから、大筋さえ外さなければ問題ないのである。たぶん。
ケタケタ笑って笑い疲れたら……ゆっくり、おやすみなさい。
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