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理性の檻に囚われしもの

 人間は動物である。

 しばしば、人間は理性を持つという点で他の動物と一線を画すと言われている。本能を理性で抑えていると言われている。しかし、これは違う。理性の檻によって囚われているのは本能ではなくあなた自身なのだ。

 人間は理性をもって本能を縛りつけて生きているという。しかし、その理性とやらも人間が勝手に作ったものだ。それを根拠に、他の動物を利用し飼い慣らし好きにする権利があると宣う姿は、神を騙るに等しい。

 檻の中にいる上に首輪まで喜んでつけている。自分たちで作った首輪だ。不可解なのは、互いにその紐を引き合うことだ。それは、緩やかに自分の首を締めあげているようにも見える。さらには、同じ首輪であることに安堵し、もし種類の違う首輪をつけている人がいれば、これを攻撃し、それを正義と呼ぶ。そしてまた安堵する。これが理性か。そこに自由はあるか。檻の中に囚われていて本当の自由があるのか。檻の中でのみ自由を許されている状態は本当の自由といえるか。

 理性の檻を開くカギは意志だ。意志を持つことがより人間らしいということだ。何かをしたい、何かが欲しいという思いは、本能的な欲求によって観念され、理性によってその実現可能性や合理性を問い、そして意志をもってこれを成す。本能と理性を持つ人間だからこそ、これが可能なのだ。

 さぁ、解き放て。カギはもう持っているだろう?




 私は、たったひとりの人間になったとしても、いや人間でなくなったとしても、その檻から這い出て、うごめく檻の中の動物を眺めてひとり涙を流そう。

 私は動物が好きなのだ。とても。


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