感覚という曖昧なものは困るよねという話
「感覚でやっといて」
「感覚でわかるでしょ」
「感覚で覚えられるよ」
割とよく聞くフレーズだが、これって困る。この言葉が使われる場面を想像してみよう。
まず、業務の指示などの具体的なゴールが見えている場合に使われる場合だ。これに関しては理解できるが、それでも困るケースは出てくるだろう。
例えば、寿司屋の職人が仕入れに行った際に、どの魚をどれくらいの量を買うかという点と、鮮度が良いもの美味しそうなものを選ぶということが必要になるだろう。量や種類に関しては、指示を与えておけば事足りるが鮮度を見たり目利きが必要になることに関しては難しい。ここを感覚でという場合には、仕入れに行った者の力量を理解しており、その能力で選ぶ食材に合意している場合でないと成立しない。目利きができない新人に「感覚で」なんて言っても、できるわけがないのだから。
このように、相手の能力が必要かつそのレベルを見抜いている場合にはこの言葉は有効と言える。
次は、やっていくうちに分かっていくよという場合。例えば、ダーツを投げて的に当てたいと思っている人にこの言葉を放つ場合。これは、トライアルアンドエラーを繰り返して覚えてね、という意味合いがある。失敗しても問題がなかったり、失敗することで覚えることができる内容の場合に有効だ。いわゆる何度もゲームオーバーになってコツを掴んでいく死にゲーなどでも使われるだろう。
もちろん、この場合も具体的に教えることはできる。ダーツなら力加減、指を離すタイミング、的との距離、風の有無。そういったことを緻密に計算した上で指導すれば的に当てることは理論上は容易だ。
この例の場合は、たとえ正解を見つけていなくても、やっていくうちに自ずと分かると言いたいわけだ。これもやっぱり、言われた相手がそこに気付くだけの能力があることに裏打ちされる。
この2つの例の、どちらのことを指すかは文脈や会話の流れで判断はできるだろうが、いずれにせよ試されるのは、この言葉を言われた側の能力だ。
しかし注意しておいてほしいのは、この能力の査定は必ずしも正しい評価にはならないこと、そしてこの言葉を言う側の感覚にエラーがあることもしばしばあるということ。
例えば、スマホの使い方がわからないと言う老人に対しては、この言葉は使わずにちゃんと1から教えてくれることだろう。逆に、好奇心旺盛な子供だったら、後者の意味合いで「感覚でわかるよ」と言ってもいいと思うし、明らかにスマホに慣れていそうな人に対しては前者の意味で「感覚でわかるよ」と言うだろう。でも、実際にその人がどれくらいの能力があるかなんて分かりっこないよね。めちゃくちゃ詳しいご老人だって結構いるのだから。
つまり、「感覚でわかるよ」とか「感覚で覚えられるよ」という言葉は、
「わたしの感覚ではあなたが教えなくても出来ることはなんとなくわかるよ(わかってない)」ということになる。
よって、この言葉を言われたときの正答は
「しらんがな」
である。
仲の良い人ならともかく、説明したりすることも業務の内に入る店員が客に対して言う言葉ではないよね、という話でした。
こちらはこの記事を書くインスピレーションを得たhanamoriさんの記事。十数年Android一筋の私は共感しました。
で、私の感覚では「世の中のiPhoneユーザーは『iPhoneは誰が使っても感覚でわかる』という感覚でいる」と思っているのだけれど、これって私だけかな?
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