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「あなた」だから…『ひだまりが聴こえる』


はじめに

説明不足で分かりにくい、出来の悪い感想文になってしまうと思う。


これはボーイズラブと呼ばれるジャンルのものだ。いわゆる男の子同士がイチャイチャする要素を含んだ作品であることを意味している。もうこの時点で嫌悪感を覚える人もいるだろうが、どうか偏見を持たないで読んで欲しい(作品もこの感想文も)。

とは思うけれど、(少しおこがましく聞こえるかも知れないのを承知の上で言わせてもらうと)この物語はある程度の読解力がある人であれば、その偏見も嫌悪感も気にならない物語だと思う。こういう世界や状況もあるよね、って思えるような作りになっていると私は思うし、これを理解してくれる人とは価値観が合うと思う。

ちなみに、年齢制限なしの実写映画(未視聴)が制作されるほど“そういう”シーンはほぼ無いので、苦手な人でも身構えずに読めると思う。
(逆にボーイズラブというジャンルである必要がないと感じる人もいるかもしれないくらい気にならない、あるいは蛇足と感じる人もいるだろう。でも私は必要だったと思う。この部分については感想文にてすこし触れる)


感想文

「あなただから好きなんだ」という絶対的な価値基準を、その存在を一つずつ証明していくようなストーリー。

「家族」だから「親子」だから「兄弟」だから「血縁」だから「仲間」だから「同志」だから「恋人」だから「友達」だから「男女」だから「障害者」だから「健常者」だから「同じ境遇」だから「生きてる世界が違う」から「理想が違う」から「当たり前が違う」から「守りたい」から「守られたい」から、じゃないんだよって自信を持って言えること。

「あなた」だから好きだし側にいたいし触れてみたいと思う。それが叶わない、叶えられない、叶えない方がいいのなら、せめて、誰よりも「あなた」を想い、誰よりも「あなた」の幸せを祈り、誰にも気づかれないままでいい、「あなた」への“距離感”を保ったまま距離を置く。たったそれだけの“当たり前”のことを、主人公やその周囲の登場人物が、丁寧に説明してくれているだけだ。だからフィクション特有の都合よすぎる展開なんてのも必要ないくらい、それはそこにあるような気がした。

でも、このことに感動して涙しているということは、“当たり前”が世の中の当たり前じゃないってことを私自身が感じているということなんだろう。それを登場人物たちが、時に熱く時に静かに力強く教えてくれるんだ。


とまあ、指示代名詞ばかり使って言いたい事をつらつら書いてきてなんだけれど、この作品を私はフラットな目で評価できていない(と思う)。それは、登場人物の心境にきっと必要以上に自分を重ねてしまうからだ。


私の知人に聴覚に困難を持つ人がいる。困難と言ってもその種類や実際に困ること、どんな風にそれと付き合っているかというのは様々だ。ここでは聴覚を介したコミニュケーションに困難があること全てをひっくるめて難聴と表現したい。それぞれの違いや背景の違いによる考え方の差についても、作品を読めばある程度は解説されている。

難聴の人の事情は、健聴者には分からない。聞こえない、聞こえていても分からない状況というのが理解出来ない。なんとか想像力をもってして難聴の状態を理解したつもりになって、差し出した“配慮”という名のついたその腕には、同情とか憐れみとかいう汚れがべっとり付いてて、どれだけ洗っても落ちてくれない。そして、その汚れを見られるのがとても恥ずかしくて情けなくて、こんな風に思うことすら、その感情さえもその人たちを傷つける刃となると感じてしまう。

難聴の方も、その汚れや刃を見ないようにしたり信じないようにしつつも、心のどこかで怯えているのかも知れない。そう思うと、私は立ちすくんでしまうのだ。何とかしたいという思いと何もできないという現実に苛まれる他ないのだ。
(作中には、この私と同じ心境に至る人物も出てくる。その場面で私は泣いた。)

だから、それを軽々と飛び越える健聴の主人公の言動に私は痛いほど胸を打たれる。作中の難聴の当事者たちが彼に惹かれるのも、難聴の人たちをサポートする人たちが暖かい目で見守るのも、きっと同じ理由なんだと思う。
(そして私がこの物語を多くの人に読んでもらいたいと思うのはこの部分にありそうだ。作者が伝えたいテーマはこっちなのではないか、と感じるほどだ。)


もしかしたらこれは、いわゆる『感動ポルノ』と呼ばれるものに捉えられるのかもしれない。
(補足しておくと、作中でも何回かこの『感動ポルノ』を痛烈に風刺する描写はある。だからこの物語はそれに当たらない、と予防線を張りたいのではなく、そう捉えられることも承知の上でのメッセージを込めているのだと解釈している)

『感動ポルノ』だとか所詮はフィクションだとか言う声もあるだろう。もちろん、そう感じるのは自由だ。でも私はこの場で言っておきたい。

「聴こえないことを理解されないのが“当たり前”の世界でも、実際に聴こえなくなっても、それでもあなたの声を聴きたい(あなたの声だけは聴こえる)」

この想いが、

「(同性同士が)愛し合うことを理解されないのが“当たり前”の世界でも、実際に愛し合うことが出来なくても、それでもあなたのことを愛したい」

や、

「同じ境遇じゃないから理解出来ないのが“当たり前”の世界でも、実際に理解し合うことが出来なくても、それでもあなたのことを理解したい」

に、上手くリンクさせて表現されていて、登場人物の心情を理解しようとすれば、自然と他のことも理解しやすい構成になっている。

だからこの物語は、健聴の彼と難聴の彼とその周囲の人たちで紡がれなくてはならなかったと思うし、そこにはポルノは存在していなくて、ああ、愛しかないのだ。

「○○だからあなたを愛しています」じゃなくて「あなただから愛しています。愛した人が○○だっただけです(だから、あなたが○○じゃなくなってもこの想いは変わらないんだよ)」って言えるものがあるんだ。

少しでも多くの人にこの感覚を知ってもらいたいと思うから、ジャンルとかテーマとかは気にせずに色んな人に手にとって欲しいと思う。

いい作品に出合えてよかった。


この漫画は現在、第四部にあたる話を連載中らしくまだ完結はしていません。この感想文は第三部(巻数としては五巻目)までを読んで書きました。

おすすめは、第二部にあたる二巻目です。これだけを読んでも話はだいたい掴めますし、充分に魅力が伝わると思います。これは、難聴の少女の登場が大きく関わっているからで、彼女の存在が主人公たちの心情を理解し共感するための道しるべになっているからです。
(そして、この手の役割のキャラ描写が丁寧である作品ほど、私は面白いと思うのです。)



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