反出生主義にふれて

反出生主義という新しい価値観に触れた。
なんておもしろい考え方なんだ!
全く私の価値観と相容れない!
まだまだ勉強不足だけど実に興味深い。
初めて聞いた人はぜひ、調べてみてほしい。

これだから生きることはおもしろい。

つまり同意できないということ

新しい価値観にふれて、自分の価値観をアップデートしていくことこそが人生。

これが私の生きる理由、大事な価値観だ。


新しい価値観に触れる。すなわち、いろんな人とふれあって、その人の考え方などを吸収していく必要があるので、

新しい命が産まれてこないと困る

完全に自己中心的な考えに基づいている。
私は、他人のことを尊重するタイプの性格なのだが、その本質はサイキョーのジコチューだとも考えている。まさか産まれていないものに対してもそのジコチューを発揮しているとは。自己認識が深まった。

持論

さて、今生きている私の思惑で、まだ産まれていない命に産まれてくる意味を与えている。一方、反出生主義は産まれてくること自体が苦しみの始まりという価値観で、産まないという選択をしている。(既に産まれている命に対しては尊重する。)

なるほど。どちらも相手(産まれてくるその個体)のことを尊重しているようで、その実全く考えていないジコチューという点では同じである。

産まれてきた個体が、私に新しい価値観を提供する”保証”はないし、同様に産まれてきたことが悲しみの始まりになるという認識を持つ”保証”はない。

どちらも、産まれてきたその個体が自由に胸に抱くことである。

どの時点から生命かの議論まで言及する気はないが、産まれてきていない命が何をもってして”苦しみ”とするのかは、産まれてきた後に直接聞いてみるほか無いではないか。決めつけてかかるのは、価値観への冒涜で、私は好きではない。

具体的に言うと、
・産まれてくること自体を苦しいと思わない
・苦しみもあれば楽しみもある
・人生楽しいことしかない
などの価値観を、そして価値観が変わっていくという可能性を全否定していることになる。

苦しいタイミングも一瞬はあったが、人生楽しいことしかないと考えている私のような人間もいる。ちなみにいずれ来る「死」も楽しみにしているくらいだ。こんな私はこの主義に賛同できない。

この一瞬の苦しみすら許容すべきでないというのなら、それはもうしょうがない。

共通点

しかしだ。

おそらく反出生主義と私は基本的な部分は同じ思想だと思われる。すなわち、

世界を、人間を愛している

反出生主義の方は、人を愛しているを徹底的に突き詰めた結果として、大元となる生命の誕生を絶つことで緩やかな絶滅という苦しみからの解放を目指している。と、思われる。
(この主義の方は、今生きている命は尊重していて、人類を能動的に殺戮しようなどとは思っていないらしい。私からいわせると、手ぬるい。私がこの主義に染まったなら、もっと飛躍させて、人間に限らずあらゆる生命そのものを絶やす方法を模索する)

私はというと、誰もが楽しめる世界もアナタを苦しめる現実の世界も同様に愛していて、それを必要以上に排除しようという動きなどをなしに、誰もが認め合う世界というものを理想としている。でもそれは実現不可能なので、その中で「どう生きていくか」「どうあるべきか」に焦点を合わせている。
(今のこの考えにたどり着くまでは、色んな思考実験の最終的な解として「人間の存在が悪」として、何度となく脳内で人類を絶滅させてきた。)


とある性格診断での私のタイプは、世界を救済しうる能力をもった人や、逆に大量虐殺や非道な事件を起こした人と同じタイプだ。この行為の差は健全・不健全という2極の言葉で仕分けされることがあるが、それは紙一重でどちらに振れるかはわからない。

もしかしたら、反出生主義の方は私と近いタイプの人たちなんじゃないか、と思った。

根拠として、ピュアなこの主義の方たちは、自分達の主義主張を押し付けるようなことはしないと思われるからだ。相手(既に産まれている命)の価値観は尊重しているが、揺るぎない自分の信念を持つというのは、共通している。
あと、ともすれば「神にでもなったつもりかっ?!」と言われかねないほどの、完璧主義かつ理想主義なところも似ている。
そして、圧倒的少数派という点も根拠のひとつ。

この反出生主義というムーブメントが表出してきたことも根拠のひとつだ。

この思想自体は人類が誕生してから普遍的に存在していたと思われる。
でもきっと、「本能」や「社会」や時に暴力によって、その思想はその時代において認知されることも許容されることもなかっただろう。また、運良くこの主義を貫けた存在はその生きざまを残すことなく絶えたのだから仕方ない。
(残っていても共感は得られないし、同じ思想の人が過半数、いやもっと多い割合で同時期に存在しなければ、彼らの悲願は達成しえない。)

私の性格タイプとこの主義の方が近いかもという根拠の話にもどると、私の性格タイプの人が表出してきたタイミングと合致する(気がする)からというものだ。

私の性格タイプの人は表だって自分の意見や思想をださない。しかし、SNSの発達によりアウトプットする人口が増加してきている。その一環として反出生主義が台頭してきたとも考えられる。
(検索件数の増加量などから相関を求めたらわかりそうだけど、そこまでの情熱はない)

もし、この仮定があっているならば、それは私の興味の対象にもなるし、私の理想とする世界への構成要員となってほしい。だからこの文章を書いている。主義を変えろとかではなく、こういう価値観もあるよ、という話。


最後に誤解のないように書くが、私はこの反出生主義というものを認めるし、新しい命を産まないという手段には賛同できないが、その動機となる優しさや考え方に関しては、共通したものがあると感じている。

もし、直接話す機会があれば、いろんなことを話してみたい。
私の価値観をアップデートするために。

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