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難病の父と娘の私

私の父は、約10年前に難病を患いました。
球脊髄性筋萎縮症(SBMA)という国指定難病です。
難病・・・それは、「治すことのできない病気」。
24時間テレビなどで年に一度見かけるくらいで、完全に他人事でした。

難病をはじめ、重い病気を背負った人が「どうして私が!」と自問し続けるシーンをよくドラマなどで見ますが、まさかそんなことが身近に起こるとは。

父の病気を知らされた時、私は12才(中一)。
「どうして他の人ではなくパパなの」と自問し続けました。
父の病気が遺伝性であることが分かった時(2年前くらい?)、今度は自分の将来の子どもへの遺伝について不安に思いはじめました。

詳しくは後で書きますが、私の家族は病気に対してオープンではありません。発症10年にして、親戚への告知もしていません。(関係は至って良好なのですが)

病気に対する話し合いも、足りていません。ほんとうは、父に「病気に対してどう思っているのか」、「症状はどうなのか」「今後どのようなケアを望み、人生を考えているのか」「娘の出産についてはどう思うか」などを聞いてみたいと思っています。が、父はプライドが高く(笑)、聞くに聞けず。

不安や悩みを共有できる人がごく限られている中、病気のことは考えないように逃げてきましたが、「同じ境遇の人とつながり、話してみたい」と思うようになりました。

私は、小さい頃、母を嫉妬させるほど大の父親っ子でした。
今でも、父のことが好きです。
はっきり言って、性格はよくなく(笑)、いじわるな所もあり精神年齢も小3くらい・・・?って感じですが。(結構ズタズタに書いてますね笑)
ただ、とにかく面白い性格で、人を笑わせることが好きなのです。
私に面白い遊びを教え、一緒に小さなワルもしました😂

車の窓を開けて音楽をかけ、音痴同士大合唱したり。
近所の子と一緒に段ボールで小さな丘から滑ったり。(ケガしました(笑))
一緒に旅行行ったり。
遊園地やプールもしょっちゅう行きました。
スライダーやジェットコースターは何度も何度も飽きるまで乗ったものです。
帰宅が遅かったので、交換日記や電話を毎日のようにしていました。
そうそう、お風呂も父と入っていました!溺れるほどに洗面器で「雨~~~」とか言いながら私の頭に大量のお湯をかけたりしてはしゃいでました(危険ですね笑)

懐かしい・・・・・

そのような父のできることが少しずつ減り、辛い顔を見るのは耐えがたいことです。真面目な話を一緒にしない父には、面と向かって言いにくいですが、力になりたいと思っています。

また、これについては後でゆっくり書きたいのですが、「出産について」。
相当悩んでいます。「介護について」等も不安ではありますが、母を始め親戚のサポートが得られそうな気がするので、どうにかなるさ精神です。
しかし、出産については自分と将来のパートナー(とそのご家族)で決めなくてはなりません。

父と同じ苦しみを、まだ見ぬわが子に味わせるのか?
自分の息子が発症した場合、自分を責めないか?

もちろん病気=不幸でないと信じていますが、とっても怖いです。
答えの出ない問題ですね。

今のところ、私は、着床前診断(PGT-Mというのでしょうか)でリスクを避けた出産を望んでいます。
費用がかかる+日本では受け入れてくれる病院が少ないようで・・・それを理解してくれるパートナーがいればですが^^

私には今お付き合いしている彼氏がおり、将来の話をよくしてくれます。
好きだから、ずっと一緒にいたい。
でもだからこそ、この事情を話すのが怖い。
彼はマッチョで子ども好きだし。
いつか真剣に結婚を考えるようになったら、できればその前のタイミングで伝えなければ、と思います。でも、怖い。

・・・といった葛藤も抱えています。

父の病気は、間違いなく私の人生の中で大きな転機でしたし、周りの人よりも自分の人生について真剣に考えるきっかけになったと思います。
人の痛みや境遇に対して寛容にもなれたと思います。
だから、どんな未来が待っていようと、運命を憎んだり人の幸せを妬んだりせず、綺麗な心をもって生きようと・・・それだけは心に決めています☺

ゆっくりとした更新になるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
難病の保因者の方やそのご家族、難病患者の方と交流ができたら幸いです🎵
一緒に気持ちを共有することで、きっと前向きに病気と向き合えるのではないか、と信じています。




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